【長野の伝統工芸品】匠の技が光る逸品を紹介 体験やお土産情報もあり
長野県の伝統的工芸品をご紹介。歴史や魅力、販売場所、体験スポットなどをまとめました。伝統的工芸品には、国指定もしくは県指定の作品があり、指定を受けると「伝統的工芸品」を示すマークを使用することができます。
今回は国指定の伝統的工芸品7つをピックアップ。匠の技に触れる旅をしませんか。
TOP PHOTO:『木曽漆器』の重箱 ©木曽漆器工業協同組合
営業・販売状況等は変更となる場合がございます。最新の情報は各施設にお問い合わせください。
01 飯山仏壇
主要産地:長野県飯山市
飯山市の北部・愛宕町を中心に生産される『飯山仏壇』。地域内で部品製作から組立、修繕まで一貫して行われています。特徴は、宮殿(くうでん)がよく見えるよう細工された「弓長押(ゆみなげし)」。独自の技法で組み立てられた宮殿は簡単に分解でき、部品を洗って再塗装する「おせんたく」が可能です。
1689年(元禄2年)、寺瀬重高が甲州から飯山の地に来て、素地仏壇を製作したのが『飯山仏壇』の始まり。飯山市やその周辺は室町時代に伝来した浄土真宗が定着し、戦国時代、仏教信仰があつい上杉謙信が築城し栄えた城下町。そのルーツから自然と仏壇製作が盛んになったと考えられるとのこと。
江戸時代末期には、仏壇づくりの名手・稲葉喜作によって工芸品としての地位が確立。1975年(昭和50年)、国の伝統的工芸品に指定されました。最近では従来の大型で豪華な仏壇から、比較的小さく洋室に合うものも多く生産されています。
『飯山仏壇』は愛宕町内の通称「仏壇通り」に連なる10軒の仏壇店で販売。年に一度開催されるイベント「飯山仏壇体験フェスタ」では、仏壇の展示販売に加え、彫金や彫刻、蒔絵、金箔押しの体験が可能。また「飯山市伝統産業会館」では、飯山市に伝わる2つの国指定伝統的工芸品(飯山仏壇・内山紙)の作業工程や技術をパネルなどで紹介する他、最高峰といわれる作品を展示しています。
【INFORMATION】
【工芸品名】飯山仏壇
【主要生産地域】飯山市
【産地組合】飯山仏壇事業協同組合
【主な販売先】飯山市内の仏壇店など
【体験受け入れ】イベント時
【詳細・問い合わせ】☞公式サイト
02 内山紙
主要産地:長野県飯山市、野沢温泉村、木島平村、栄村
奥信濃(長野県北信地方北部)に伝わる和紙『内山紙』。江戸時代の1661年(寛文元年)、萩原喜右ヱ門という人物が美濃の国で紙の製法を学び、内山村(現・木島平村内山)に帰郷した際、自宅で紙をすいたのが始まりとされています。
原料はクワ科の落葉低木・コウゾ(楮)のみ。洋紙パルプが混入していないため、通気性・通光性・保温力が高く、丈夫で長持ちし、製造過程で雪にさらして自然の力で漂白。日焼けしにくいのが特徴です。障子紙や筆墨紙として利用される他、その保存性の高さから全国各地の戸籍台帳用紙に使用されていました。
奥信濃一帯はコウゾが自生し、かつ長野県内でも特に雪深い地域。紙作りに欠かせない要素がそろっていたこともあり、農家の冬の副業として盛んに『内山紙』が生産されました。1976年(昭和51年)に、国の伝統的工芸品に指定。洋紙の普及に伴い生産者は減少しましたが、今も職人さんたちにより350年続く伝統が守られています。
現在は『内山紙』を使ったブックカバーやトートバッグ、アクセサリーといった小物類、和紙照明などのインテリア製品も作られています。
飯山市の「飯山手すき和紙体験工房」と木島平村の「内山手すき和紙体験の家」では、紙すき体験が可能です。オリジナルのはがきやしおり、テーブルライトなどを作ることができます。体験はいずれも要予約。
【INFORMATION】
【工芸品名】内山紙
【主要生産地域】飯山市、野沢温泉村、木島平村、栄村
【産地組合】内山紙協同組合
【主な販売先】産地組合員直営店、飯山市伝統産業会館、飯山手すき和紙体験工房、内山手すき和紙体験の家、オンラインショップ(内山紙協同組合HP)など
【体験受け入れ】飯山手すき和紙体験工房(電話:0269-67-2794)、内山手すき和紙体験の家(電話:0269-82-4151) ※要予約
【詳細・問い合わせ】☞公式サイト
03 木曽漆器
主要産地:長野県塩尻市、他
長野県塩尻市の漆工町「木曽平沢」(国指定重要伝統的建造物群保存地区)を中心に生産される『木曽漆器』。主な製品はテーブルや座卓などの家具、盆、椀、箸などの生活用品で、丈夫で使い込むほどに艶を増すのが特徴です。1975年(昭和50年)、国の第一次伝統的工芸品に指定されました。
木曽エリアの良質なヒノキ材を使った製品を丈夫にするため、17世紀初頭に木曽漆塗りが始まったといわれています。江戸時代には尾張徳川藩の厚い庇護を受け産業として発達。中山道を旅する人々の土産品として人気を集めました。1998年(平成10年)に開催された長野五輪では、メダル制作に漆塗りの技術が活かされています。
現在は、革やガラスといった素材に漆塗りを施したコインケースやグラスなど、現代のライフスタイルに添った製品が数多く生産されています。「木曽漆器工業協同組合」の青年部が提供する『木曽漆器』のレンタルサービス「かしだしっき」など新しい試みもスタート。社寺建造物やみこしなどの文化財修復プロジェクト(新日本様式100選の一つ)にも注力し、漆文化を後世につなぐ取り組みが盛んに行われています。
『木曽漆器』は木曽平沢の各漆器店や「木曽くらしの工芸館」「奈良井宿」の土産店で常時購入可能です。年に一度の最大の漆器市「木曽漆器祭・奈良井宿宿場祭」では、木曽平沢の町並みに約70の出店が連なり、店先に蔵出し物が並びます。
『木曽漆器』作りが体験できる施設は主に2ヵ所。「木曽くらしの工芸館」では「木曽堆朱(ついしゅ)塗りの研ぎ出し体験」コースで、幾層にも塗り重ねられた色漆を研ぎ出し、オリジナルの箸やコースターなどを作ることができます。また「木曽漆器館」でも、漆で模様を描く「塗箸絵付け体験」が可能な他、人間国宝・長野県宝に認定された職人さんが制作した漆器作品を中心とした約3,800点の貴重な資料を見ることもできます。体験はいずれも要予約。
04 信州打刃物
主要産地:長野県信濃町、他
信濃町や飯綱町などに伝わる金工品『信州打刃物』。職人さんの手作業により、鉄や鋼を一本一本丁寧に打ちのばして製作されます。 代表的な製品は「信州鎌」。柄の接合部を反らせた「芝付け」や、刃面を内側に湾曲させる「つり」加工が施されています。薄く丈夫で切れ味が良い上、刈り払った草が手元に寄る使いやすさが特徴です。鎌の他、鍬(くわ)や鉈(なた)、斧、包丁もつくられています。
川中島の合戦の際(1553~1564年)、武具や刀剣を修理するため信濃国を訪れていた刀鍛冶職人さんから、当地の人々が技術を習ったのが『信州打刃物』の発祥とされています。現・信濃町は北国街道沿いに位置し、当時から刃物の原料となる鉄や鋼が手に入りやすく、薄刃の鍛治に適した松炭を作る松林が豊富でした。生産が盛んになると、街道を経由してその名が全国に広まりました。
江戸時代末期には、柏原村(現・信濃町)の久保専右衛門という刀鍛冶が「芝付け」や「つり」の技法を考案。時を同じくして、古間村(現・信濃町)の荒井津右衛門が、両刃から薄い片刃の鎌へ改良したとされ、「信州鎌」の原型が生まれました。
1982年(昭和57年)、国の伝統的工芸品に指定。現在もその技術は脈々と受け継がれています。
『信州打刃物』の製品は信濃町内の土産店の他、「信州打刃物工業協同組合」の公式サイトで購入可能です。
【INFORMATION】
【工芸品名】信州打刃物
【主要生産地域】信濃町
【産地組合】信州打刃物工業協同組合
【主な販売先】オンラインショップ(信州打刃物工業協同組合HP)、信濃町内の土産店など
【体験受け入れ】無し
【詳細・問い合わせ】☞公式サイト
05 信州紬
主要産地:長野県駒ヶ根市、松本市、上田市、飯田市、他
長野県全域で生産される絹織物『信州紬』。「上田紬」「松本紬」「飯田紬」「伊那紬」「山繭(まゆ)紬」など、県内の各地域で発達した「紬」を総称したもの。
信州(=長野県)は古来より“蚕(かいこ)の国”と呼ばれるほど養蚕が盛んな地。江戸時代初期には、信州の各藩が養蚕を奨励し、農家の副業として織物が生産されるようになりました。
次第に生糸や真綿の手紡ぎ糸を使った紬が織られるようになり、豊かな自然環境を生かした「草木染め」の技法を合わせ、信州全域が紬の産地として繁栄。洋装の発展により、生産が減退した時代があったものの、その技術は脈々と受け継がれ、現在に至っています。
『信州紬』は生糸や玉糸、真綿などの手紡ぎ糸を「草木染め」し、手作業で織り、縞や格子、絣(かすり)、無地調に仕上げます。「草木染め」は、さまざまな樹木の染液で手紡ぎ糸を染色する作業で、唯一無二の色合いを作り出します。手織りの温もりと渋い光沢感、伝統技法が叶える深い色合いが『信州紬』の魅力です。
各地域の工房で『信州紬』の着物地や帯、羽織などの他、眼鏡ケース、ネクタイ、財布、名刺入れ、トートバッグなどの日用品も販売しています。
上田市の『小岩井紬工房』や『藤本塩田店』、駒ヶ根市の『久保田織染工業』などでは、織物体験が可能です。手織り機を使って、オリジナルの花瓶敷きなどを作ることができます。
06 松本家具
主要産地:長野県松本市、他
300年以上の歴史を持つ和家具『松本家具』。ミズメを中心にケヤキ・ナラ・トチといった国産の無垢材を伝統的な組手・継手の技法で組み立て、木目を生かした拭き漆で仕上げられます。製作は職人さんの手作業。堅牢で木の温もりや木目調の美しさ、重厚感を感じる佇まいが特徴です。
『松本家具』は、16世紀半に松本城下町で生産が開始されました。江戸末期にはタンスや茶棚、食卓など、庶民向けの家具が製作され、交通の発達に伴い全国に販路が拡大。大正時代には家具生産地として知られていましたが、相次ぐ戦争によって生産休止を余儀なくされ、一時衰退の一途をたどります。
そこで立ち上がったのが、松本出身の木工家・池田三四郎(松本民芸家具創業者)。柳宗悦を中心とした民芸運動を受け『松本家具』の復興に向けて、さまざまな分野のプロフェッショナルの協力を得ながら、家具職人さんの育成に注力しました。
1953年(昭和28年)にはイギリスの陶芸家:バーナード・リーチが来日し、ウインザーチェアの製作を指揮。そして、和家具の伝統技法と西洋の生活様式が融合した「松本民芸家具」が確立されました。
『松本家具』は1976年(昭和51年)、家具分野では全国に先駆け、国の伝統的工芸品に指定されました。現在も、800種類を超える「松本民芸家具」の一バリエーションとして製作・販売されています。
松本市内の飲食店や寺院などでは『松本家具』を含む「松本民芸家具」が用いられ、経年変化の風合いをうかがうことができます。また「中央民芸ショールーム」では椅子やテーブル、棚など約400点の製品を展示。間近で見たり座り心地を確かめたりと、自由に鑑賞・体感することができます。
【INFORMATION】
【工芸品名】松本家具
【主要生産地域】松本市
【産地組合】松本家具工芸協同組合
【主な販売先】中央民芸ショールーム、全国の百貨店・家具店・工芸店など
【体験受け入れ】無し
【詳細・問い合わせ】☞公式サイト
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07 南木曽ろくろ細工
主要産地:長野県南木曽町、他
南木曽町に伝わる『南木曽ろくろ細工』。ろくろ細工は、無垢の厚い板や丸太をろくろで回転させ、かんなで削り出す伝統技法で「木地師(きじし)」と呼ばれる職人さんが製作します。美しい木目とやさしい手触りが魅力。盆や鉢、椀、皿などの伝統的な製品の他、花器やボールペンといった新たなろくろ細工も盛んに生産販売されています。
「木地師」の歴史は、平安時代、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王(これたかしんのう)が家臣の小椋実秀(おぐらさねひで)と大蔵惟仲(おおくらこれなか)に木地挽きの習得を命じたのが始まりとのこと。
南木曽町に残る古文書には、17世紀ごろ「木地師」が居住し、名古屋・大阪方面に製品を出荷していたとの記録が。明治時代には「木地師」の集落が形成され、現在も「木地師」の始祖である小椋・大蔵の姓を持つ職人さんらが技術を継承しています。
『南木曽細工』は1980年(昭和55年)、国の伝統的工芸品に指定され、産地の集落は「木地師の里」と呼ばれるようになりました。
JR南木曽駅から車で約20分、国道256号沿いに広がる「木地師の里」(南木曽町吾妻)には、現在、7軒の工房が構えられています。このうち「木地師の里ヤマイチ」では、ろくろ挽きと絵付け体験が楽しめ、オリジナルの皿やコースターを作ることができます。
例年11月初旬には「南木曽ろくろ祭り」が開催。各工房でセールやくじ引きなどのイベントが催されます。
【長野県知事指定】伝統的工芸品一覧
曲物(主要産地/塩尻市)
蘭檜笠(主要産地:南木曽町)
お六櫛(主要産地:木祖村)
木曽材木工芸品(主要産地:木曽町、上松町、大桑村、他)
長野県農民美術(主要産地:上田市、東御市)
白樺工芸品(主要産地:松本市、他)
軽井沢彫(主要産地:軽井沢町)
秋山木鉢(主要産地:栄村)
桐下駄(主要産地:栄村)
信州竹細工(主要産地:長野市戸隠、山ノ内町、伊那市)
信州鋸(主要産地:茅野市、原村、富士見町)
あけび蔓細工(主要産地:野沢温泉村、他)
信州手描友禅(主要産地:長野市、上田市、松本市、飯田市、他)
龍渓硯(主要産地:辰野町)
飯田水引(主要産地:飯田市、他)
松代焼(主要産地:長野市)
栄村つぐら(主要産地:栄村)
信州からまつ家具(主要産地:松本市、他)
小沼箒(主要産地:飯山市)
長野県手作り打上花火(主要産地:長野県全域)
信州組子細工(主要産地:長野県全域)
参考:長野県公式ホームページ「長野県伝統的工芸品」
文:松尾 奈々子
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