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まだ見ぬ戸隠へ。善光寺から戸隠神社奥社まで『戸隠古道』をゆく1泊2日祈りの旅

古くから無宗派の寺院として多くの人を受け入れる善光寺。そして山岳密教の聖地としてのルーツを持つ戸隠神社奥社。この歴史遺産2地点を結ぶ『戸隠古道』には、今も名所・旧跡が数多く残されています。“祈りの道”を進む清麗なる時間の中で、私たちが体感した世界とは!?戸隠古道1泊2日修験の旅。

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1日目/午前
善光寺→湯福神社→頼朝山→静松寺→桜

善光寺から戸隠神社奥社までの参拝道=戸隠古道をゆく1泊2日の旅。善光寺公認案内人で戸隠登山ガイド組合にも所属する秦孝之さんと一緒に巡ります。「一生に一度は善光寺参り」といわれる『善光寺』本堂前から出発。

善光寺の名は本田善光(よしみつ)が由来とされています。「善光寺縁起」によると、飛鳥時代、難波の堀江に捨てられていた阿弥陀如来像(後の善光寺御本尊)を本田善光が持ち帰り安置。その霊徳が広まり寺院の建立に至ったとのこと。参拝後、本堂から北西へ進み、境内を出てすぐの“左とかくしみち かるかやみち”と記された道標に沿って湯福(ゆぶく)神社へ向かいます。湯福神社は善光寺の守護神である善光寺七社の一つ。拝殿近くには本田善光をまつるやしろがあり、関係の深さを知ることができます。境内を囲むケヤキのうち樹齢700~900年の巨木3本は長野市の指定記念物。茂る葉の間から差し込む陽光の下、深呼吸して鳥居を出ると“左かるかや道 戸隠へ通りぬけ道あり”との道標が。歩みを進めます。

お朝事の後、静けさが漂う善光寺。

善光寺公認案内人で戸隠のガイドでもある秦孝之さん。

本堂より北西の出口に立つ道標。“左とかくしみち かるかやみち”と書かれています。

湯福神社の前にも“左かるかや道 戸隠へ通りぬけ道あり”との案内。

湯福神社は、諏訪大社の御祭神・建御名方神(たけみなかたのかみ)の荒御魂(あらみたま)をまつっています。

社叢(しゃそう・社殿などを囲むように成立する林)の多くはケヤキ。長く根を張るその頼もしさ。パワーをいただきます。

往生寺沿いの閑静な住宅街を歩き、右に行くと七曲り道路に通じる分岐を直進。西長野諏訪神社を過ぎると、徐々に深緑が増します。湧水の瓜割清水(うりわりしみず)が見えてきました。善光寺七清水の一つにも数えられ「瓜が割れるほど水が冷たい」ことが由来と、ガイドの秦さんが教えてくれました。

一息ついたら源頼朝が寄進したと伝わる頼朝山に入山。静松寺(じょうしょうじ)を目指します。頼朝山の入口から静松寺まで、西国三十三ヶ所にまつられる観音様の石仏が並びます。現在33体すべてはそろっていませんが昔、広域の巡礼が難しい場合でも、この石仏群を参拝することで極楽往生を願っていたのかもしれません。観音様に手を合わせながら、ゆっくりと登っていきます。15分ほど歩くと視界が開け、分岐に出ます。道標に従い静松寺方面へ。景色が鬱蒼としてきました。

まだ夏の日差しが残る9月6日。瓜割清水はかなりの冷水。

木漏れ日に導かれながら頼朝山へ入山。

入山者を迎えるように鎮座する観音石仏群。

静松寺は頼朝坊智盛(らいちょうぼうちじょう)という法師が全国行脚の末、善光寺如来の近くに身を置きたいと庵を開創したのが当寺創建の伝承です。智盛法師は左手に“頼朝”と書き残し遷化(せんげ)したとのこと。そして、生まれ変わりかのように左手に“頼朝”の文字を持って誕生したのが源頼朝とされます。焼失した善光寺を再建し参拝に訪れた源頼朝は、ゆかりあるこの地に立ち寄り“頼朝山法性浄院静松寺”と名付け、山林を寄進したとか。扁額(へんがく・門戸、鳥居など高い位置に掲げる額)や賽銭箱の設置がない朴訥とした佇まいに、背筋がすっと伸びました。

少しずつ山道を進むと視界が開けた地域に出ます。この芋井地区はリンゴの名産地で、時期によっては畑仕事中の地元の人に会えるのも嬉しい。桜という地名にある長野市芋井支所の近くでお昼にします。出発前に入手した『ぷくぷく亭』のおにぎり弁当は、からあげ・きんぴらごぼう・たくあん付き。ノスタルジックで温かい空気の中、素朴な味わいのおにぎりは格別です。ここからおよそ6km先の一之鳥居苑地まで、コース上にはトイレの設置がありません。準備を万端にして進みます。

静松寺。深い山林の中に建つ幽玄な寺。

安心する景色と味に思わず顔がほころびます。『ぷくぷく亭』のお弁当は、おにぎりの具材が選べます。

東山魁夷画伯がスケッチに収めたといわれる里山の風景。

ぷくぷく亭
https://www.pukupuku-tei.com/

1日目/午後
隠滝不動尊→一之鳥居苑地→宿坊

空腹が満たされたところで、再び歩き始めます。田畑が広がる光景に懐かしさを感じながら、しばらく行くと赤いのぼり旗が並んでいます。たどった先には隠滝不動尊(かくれだきふどうそん)。さらに石造の不動明王の後方に続く階段を下ると、轟音とともに隠滝が現れました。落差45mの飯縄山からの伏流水。光を存分に浴びた神々しい輝きを放つ姿に畏敬の念すら抱きます。いよいよ本日の最終行程です。ここからは約4㎞の上りが続きます。達橋沢沿いからしばらく薄暗い林道を進み、ふと寂しさと足の疲労を感じたとき、カラマツの間から光が差し込みました。そして1日目のゴール、一之鳥居苑地(いちのとりいえんち)に到着です。

道沿いに建つ石造りの隠滝不動尊。

赤いのぼり旗を目印に下ります。段差に気をつけゆっくりと。

岩肌をなめるようにして流れ落ちる隠滝。

滝と対面するように建つお堂の中には、木造の不動明王が安置されています。

一之鳥居苑地から徒歩3分。バス停・飯綱登山口から16時すぎの路線バスに乗り、戸隠の宝光社区へ。宝光社区と隣接する中社区のほとんどが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。30軒ほどの宿坊が連なる歴史的な町並みに感じる安らぎ。古くから参拝者を迎え入れてきた宿坊は、今も戸隠神社の神官が宿の主を務めます。今回は宝光社門前の『武井旅館』のお世話に。夕暮れに掲げられた提灯がとても幻想的です。1745年(延享2年)建立のかやぶき屋根の母屋で、地産の食材を中心とした夕食をいただきます。季節を感じる彩りと素材を活かしたやさしい味わいが、疲れた身体を癒してくれます。戸隠産のそば粉で打った天ざるで〆。庭園から水の音が聞こえるだけの、静かで澄んだ夜。ゆっくりお風呂に浸かって休みます。

宿坊が軒を連ねる中、ひと際目を引く温かな灯り。旧坊名・覚住坊福寿院の門構え。

食前には御神酒をいただきます。信州サーモンのお造りや季節の野菜を使った料理の数々。

イワナの塩焼き。美しい盛り付け。

武井旅館
https://takeiryokan.jp/

2日目/午前
一之鳥居→宝光社→火之御子社

朝食のそばがゆで優しく身体を活性化し、準備を整えたら2日目の行程へ。路線バスに乗って一之鳥居苑地まで戻り、道路と並行する古道を歩きます。5分ほどで一之鳥居と書かれた石柱が見えてきます。1985年(昭和60年)まで、戸隠神領の入口として“第一の鳥居”が建っていた場所。この先、木々に囲まれた緑のトンネルが続きます。ふかふかの土道に木漏れ日が差し込む気持ちの良い道。『戸隠古道』の“陽”を感じる道です。

天気の良い日には北アルプスが見える展望苑を経由し、戸隠神社宝光社へ。戸隠神社は宝光社、火之御子社(ひのみこしゃ)、中社、九頭龍社、奥社の5社からなり「天岩戸開き神話(あめのいわとびらきしんわ)」ゆかりの神々が中心にまつられています。宝光社の御祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)。学問や技芸のほか、女性の健康にご利益があるといわれています。明治時代の神仏分離以前、戸隠神社は戸隠山顕光寺というお寺でした。宝光社の社殿にはその風情が色濃く残り、奥行きのある造りは善光寺をほうふつとさせます。麒麟や龍、獅子などの彫刻も見事。本院(現在の奥社)から御正体(みしょうたい・御神体とも)が飛んできて、それを安置するために建てられたとの言い伝えもあります。

古道は社殿向かって右に続きます。宝光社から中社までの古道は神道(かんみち)と呼ばれ、中間付近に伏拝所(ふしおがみしょ)があります。女人禁制の時代、女性やお年寄りはここから戸隠山を拝んでいました。宝光社の由縁と伝わる御正体が飛んできたところともいわれています。舞楽や芸能の神様・天鈿女命(あめのうずめのみこと)がまつられている火之御子社にも参拝して、ブナ林を通り住宅街を抜けたら、お昼の時間です。

一之鳥居から続く緑のトンネル。紅葉期に散策するのも気持ち良さそう。

一之鳥居跡に建つ石柱。側面から拓本をとることもできます。拓本集印帳は戸隠観光情報センターで販売。(税込500円)

鳥居より先には193段の階段が待ち構えています。

荘厳な宝光社社殿。

御正体が飛んできた先とも伝わる伏拝所。

2日目のお昼は、戸隠神社中社近くのそば店『しなの屋』で。創業およそ55年。趣のある店構えはどこかなつかしく温かい雰囲気。お通しにそば団子が供されます。店で受け継がれるコク深い味つけがくせになると評判。挽きぐるみのそば粉を使った香り高いそばを、濃厚なつゆにつけていただきます。10月中旬ごろ、自家栽培の秋の新そばが提供開始。

天ぷらざるそば。

昔ながらの雰囲気に心落ち着きます。

おもてなしの一品として考案されたそば団子。『しなの屋』発祥のメニューともいわれています。

しなの屋
https://togakushi-21.jp/spot/318/

2日目/午後
中社→奥社

店を出てすぐ、戸隠神社中社の大鳥居が見えてきます。中社の御祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)。宝光社の御祭神の父神です。大鳥居を中心にして正三角形に三本の杉が立っています。人魚の肉を食べ死んでしまった3人の子どもを弔うため植えられたという伝説を、ガイドの秦さんが話してくれました。この他にも中社から奥社の入口まで、道中には興味深い伝承の旧跡が点在。立ち止まってはまた歩くを繰り返していると、林の間からそびえ立つ戸隠連峰の姿が見えてきました。もうすぐ戸隠神社の御本社・奥社の入口です。

中社の大鳥居は高さ約11m。2020年(令和2年)に建て替えられたばかり。

戸隠連峰が見えてきたら、奥社参道の入口はすぐ。

奥社のお社に向かって一直線に延びる参道は、片道2km。一礼して大鳥居をくぐると、肌で感じる凛とした空気。左側に雨降りにご利益のある池の主をまつった一龕龍王祠(いっかんりゅうおうし)があり、参道の両脇には小さな沢が穏やかに流れています。参道の中間地点には狛犬の後ろで待ち構える朱塗りの随神門(ずいじんもん)。かやぶきの屋根から緑草が生える様子に安堵感を覚えます。随神門を抜けると、樹齢420年を超える杉の巨木が立ち並ぶ圧倒的な景色が広がり、思わず立ち尽くします。緊張しながら歩みを進めると、勾配がだんだんと急に。息を切らしながら階段を上っていきます。手水舎と狛犬が見えてきたら、あと少し。奥社本殿近くの九頭龍社にお参りして、最後の階段を一歩一歩踏みしめます。

奥社の大鳥居。ラストスパート。

信濃町へ向かう途中にある種池。古くから雨乞いの水としてあやかられています。その主をまつる一龕龍王祠。

西日が差す先、陰影に浮かぶ随神門。

杉並木の間を黙々と進みます。

もうひと踏ん張り。

1泊2日の旅を終えて

「1泊2日の戸隠古道をゆく旅」、いかがでしたか。日ごろ足を踏み入れることがない“いにしえの山道”をガイドさんと共に旅をする。少しだけ修験者の信仰心を感じることができたかもしれません。

25kmという行程は、さまざまな出会い・体験の連続。登山経験はある筆者ですが、今回の旅はそれとは異なるものでした。出発地点の善光寺境内。身につけた衣装のせいか、背筋が一直線に伸び、この先の道行きへの緊張と同時にパワーをもらえた気がします。

深い緑色の世界となった森の深部を抜け、急峻な階段を下り目の前に現れた美しい滝と対面したとき。体の中までシャワーを浴びたようなすがすがしさに包まれました。

宿坊での一夜。美食を頂き凛とした時間の流れに身を休め、迎えた翌日の朝。自分が少しだけ新しいジブンになった……ちょっと大げさですね。

旅の終点=戸隠神社奥社まで最後2kmの参道に敷かれた石や土を踏み、左右に鎮座する杉並木をゆっくり歩む。昨日の行程で感じ得ることができた気付き。そして自分の日常を振り返ることができました。

奥社と正対して手を合わせ、まずは旅の無事へのお礼を伝えました。それから……いくつか願い事を、と。けれどなぜか見つけることができません。ガイドの秦さんから「そろそろ戻りましょう」と声がかかったとき。ふっ、と言葉がこぼれました。
……「ありがとうございました」……

 

撮影:武井智史 取材・文:松尾奈々子(旅人) 撮影協力:秦孝之(ガイド)、山﨑桃香(旅人) マップ制作:株式会社松葉屋

 

 

《戸隠古道大ウォーク11月12、13日開催》
申込みは10月17日まで。
詳細はイベント特設HPをご覧ください。
https://www.togakushi-walk.jp/

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