長野県茅野市に伝わる食文化“凍み”を訪ねる

茅野市に根付く“凍み”料理。寒い冬を乗り越えるために、先人たちが築きあげた生きる知恵である食文化だ。この伝統を今なお大切に守り現代へと伝える3名の“凍み”職人たちを訪ねてみた。

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寒さが生んだ凍み素材01_天然寒天

標高が高く周囲を山々に囲まれた茅野エリアは、県内のなかでも寒冷地として知られており、1~2月の気温はマイナス10度を下回る日も少なくはないという。そんな厳しい寒さを生きるために先人たちが編み出したのがこの地に根付く“凍み”の食文化。食材を外に干し乾燥させ、夜間の厳しい寒さで凍らせるという工程を繰り返してできる食材で、特産品として知られる寒天をはじめ、凍み豆腐、凍み大根などが昔ながらの製法で今も変わらず作り続けられている。

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12月~2月は氷点下5~10度となる茅野エリア。冬の風物詩ともいえる寒天干しの光景

最初に訪れたのはイリセン寒天湯川工場。茅野市北山で昔ながらの製法で寒天づくりを行う有限会社イリセンの代表・茅野さんを訪ねた。

江戸時代、外に置き忘れたところてんが凍り、偶然できたといわれる寒天。長野県諏訪地域に伝わったのは1840年頃といわれ、そのころから棒状の天然寒天がつくられてきた。
「稼業を継いだのは今から13~14年前です。そのころから生産者の高齢化、温暖化などによって生産量が落ち、消費量も落ち込んできていたんです」
今はまだいいかもしれないが、いずれ寒天産業は衰退してしまう…。そんな危機感を抱いた茅野さんは、従来の形の棒寒天ではなく、小さいサイズの寒天を生産することを思いついた。
「昔ながらのやり方をひと通り全部経験してみて、もうちょっと違うやり方ができないかという思いがありました。棒寒天は形が大きいから凍りにくい。じゃあ小さい寒天をつくればいいのではという単純な発想でした」

古くから根付いた伝統産業なので、新しいことを受け入れるのには時間がかかる。ただ何も行動を起こさなければ、地場産業は衰退していく一方だ。
「約200年近く続いていた産業ですが、このまま何も行動を起こさなければ成長が止まってしまう、そう思ったんです」

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昔ながらの棒状寒天。2週間ほどかけフリーズドライにする

「昔はつくれば売れる時代。つくり手至上主義だったんです。でも今は食べる人が優先。使いやすいものが選ばれている」
形が大きいと凍らなかったときのロスも大きい。
「1万本作っても商品になるのは7,000本ほど。3,000本が無駄になっていたんです」

そこで茅野さんが考えたのが、棒状ではなくサイコロ状に小さくカットした寒天。
「サイズが小さいと早く凍るので時短になりロスも少ない。味はまったく変わらないのに製造時間の短縮になり、安定して生産できるようになりました」
調理の際にカットする手間がないので、消費者にも受け入れられ「いまではこの小さいサイズの『かんた』がウチの主力商品です」

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1942年創業の有限会社イリセン。茅野さんは4代目にあたる。手前にあるのがワケありの小さい寒天

自身の会社だけ発展しても、業界全体が活性化しなければ未来は危うい。
「寒天をはじめ、凍み大根や凍み豆腐。この地域では昔から根付いている凍みの文化がある。地域のためにも、この食文化を発信していこうと、それで立ち上げたのが『凍みでつながるプロジェクト』です」

茅野さんは『凍みでつながるプロジェクト』の代表を務めている。
「ちょうど『寒天づくり体験』をやりたいと思っていたときに、一般社団法人ちの観光まちづくり推進機構から声をかけていただいて、寒天づくり体験の受け入れをはじめました。当初は国内の観光客が多かったんですが、今ではインバウンドの需要も増えてきています」

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寒天づくり体験では寒天をカットし干すところまでを体験できる

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イリセンの寒天工場。木枠のなかに大きな釜があり、そこでテングサを煮詰める

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温暖化により原料であるテングサの生産量も少なくなってきており、価格も高騰しているのだという

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寒天になる前、いわゆるところてんの状態のもの。これを寒空に干すと寒天になる

プロジェクトが始動したばかりのころは、同業者には見向きもされなかったという。「職人気質の方が多いので、いいものを作りたいという意識は本当に高いんです。それはとても大事なことなんですが、それだけだと今の時代難しいですよね」

直売所で接客をしているときに「ここでは凍み豆腐や凍み大根を買えないの?」と聞かれることが多く、「凍み食材を求める声があるのでは」と感じていたという。

そうして「周りからは『絶対に失敗するからやめろ』と言われていたんですが、ひとりでもいいからとにかくやろうと決め、生産者の方々に声をかけ、賛同していただいた方たちと一緒にプロジェクトを立ち上げました」


茅野さんの想いは徐々に周りの同業者にも伝わっていき、2024年にはイベントを開催。3年目となる2025年にはイベントだけでなくスタンプラリーも開催。

「このへんは冬になると観光客の数が落ち込んでしまうので、ちのの凍み文化が新たな観光資源として定着していけばいいなと思っています」

寒さが生んだ凍み素材02_凍み豆腐

茅野さんが地域のためにはじめた『凍みでつながるプロジェクト』。
次なる凍み食材を訪ねて向かった先は小林豆腐工房(千年豆腐)。この地に古くから伝わる伝統保存食、凍み豆腐を作り続けている豆腐店だ。

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軒下に吊るされた凍み豆腐。昔はこのような風景があちこちで見られた

凍み豆腐というと県外の人にとってはあまり馴染みがないかもしれないが、高野豆腐といえばわかりやすいだろう。
高野豆腐は武田信玄が佐久地方に広めたという説も残るが、この地域に凍み豆腐が根付いたといわれるのは大正時代。
「農家の男性が冬の稼業にと、高野山まで行って製法を学んできたのがはじまりだと聞いています。また地理学者の三沢勝衛先生が、風土論を唱えて、凍み豆腐や寒天づくりを推奨したといわれているんですよ」と店主・小林さん。夏は畑作業、冬は豆腐づくりと、寒天と同じく、茅野の気候が凍み豆腐づくりに適しており、農業と兼業で行っていた豆腐店が、当時は10軒ほどあったという。

昔ながらの製法で凍み豆腐を作る豆腐店。今なお残るのは2軒のみとなってしまった。

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小林豆腐工房4代目店主、小林哲郎さん。毎朝4時に起き豆腐づくりを行っている

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竹の棒で100回手でかきまわす

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細かくなったおぼろ豆腐を木の型枠に入れ固め、水分をしぼる

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おぼろ豆腐を固めたものをカットし、外に出し一晩凍らせ乾燥させると凍み豆腐になる

小林さんの朝は早い。毎朝4時から豆腐づくりの仕込みをはじめ、1日3回、一連の工程を繰り返し、凍み豆腐用の豆腐をつくる。
「昨日はマイナス15度、今日はマイナス13度。本当は大寒の時期(2025年は1月20日~2月2日)が一番寒くなるというんだけど、最近は少し遅くなってきていますよね」

2月初旬を過ぎると寒い日があっても、日中が暖かくなると溶けてきてしまうので商品にはならない。
「お天気次第なので難しいですよね。でも今はお天気アプリがあるからね(笑)。気温を予測できる便利な世の中になりました」

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四角くカットし天日干しに。昔は藁でしばって吊るして干していたが、今はこうして並べて干している

植物性たんぱく質をはじめ、鉄分、カルシウムが豊富に含まれる凍み豆腐。栄養価が高くヘルシーな食材として親しまれている。冬を越す保存食として開発されただけに、長期保存も可能。災害時などいざというときの非常食としても役立ちそうだ。

小林さんに「どうやって食べるのが一番好きですか?」とたずねてみたら、奥さまの作る煮物が一番おいしいとのこと。白菜、きのこ類などと一緒に出汁で煮て、最後に溶き卵をかけてひと煮立ち。長時間煮なくても味がよく染みるので時短料理にも最適だ。

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奥さまが作ってくれた凍み豆腐の煮物。凍み豆腐だけに、よく味が染みていて滋味深い味わい

おいしい豆腐づくりに欠かせない、おいしい水と良質な大豆。小林豆腐工房は八ヶ岳西麓に湧きいでる地下水を浄化した水と県内産の大豆、そして天然のにがりを使い、日々豆腐づくりを行っている。

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春先から9月ころまでは青大豆を使った木綿豆腐も登場する

「八ヶ岳山麓の湧水、冷涼な空気などの自然の恵み。凍み豆腐は、それらを巧みに利用した先人たちの知恵の結晶なんですよ。寒さに縮こまっていないで、なんとか生きようとこの保存食を生み出したんだよね。すごくたくましいことです。だからこそ、この食文化と歴史を今も伝えていかなくてはいけないんです。そう思って今もつくり続けているんです」

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小林哲郎さんと奥さまの千年(ちとし)さん。店名の「千年豆腐(せんねんどうふ)」は奥さまの名前をとって、先代である奥さまのお父さんが名付けた

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茅野市内から車で20分ほど。営業時間は9時~17時、水曜定休

凍み豆腐の販売は冬季限定。気候によるが12月中旬~2月中旬までの商品だ。店頭販売以外に地方発送も行っているので手作りの凍み豆腐の味を体感してみてほしい。

寒さが生んだ凍み素材を使った料理を味わう

凍みの魅力や歴史などを知ると、やはり凍み食材を使ったメニューを味わってみたくなる。
最後に訪れたのは茅野市湖東にある「森の家 花蒔店(もりのや はなまきてん)」。凍み食材を使ったメニューとここオリジナルの土手草料理を楽しめる店だ。

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「ビーナちゃんランチ」(1,600円)。メニュー名は茅野市棚畑遺跡から発掘された縄文時代の土偶「縄文のビーナス」から名付けた

45年ほど前に寿司店として開店。10年ほど前に店主の北原さんと奥さまのみさ子さんで考えたオリジナルメニュー土手草料理を提供する店にリニューアルした。
「地元の食材を使った郷土料理を出す。それだけだとおもしろくないので、どこもやっていない変わったことをやりたいなと思って」と北原さん。畑にある雑草をこの辺では“土手草”と呼んでいたので、土手草をメインにした料理を提供することに。

土手草料理の素材はレッドクローバー、たんぽぽ、ハルジオン、ズッキーニの花などのいわゆる“雑草”と呼ばれる草花が中心。普通は料理に選ばない食材をあえて使い、北原さんの手で見た目にも味にもこだわったメニューへと昇華させる。

「春先はたくさん土手草がとれる時期。木の芽など柔らかい食材も多くそろうんですよ」と芳行さん。ただこの日訪れたのはまだまだ寒さ厳しい2月の中旬。
「土手草が採れない時期は、凍み食材を使った料理を提供します」

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奥が寒天、凍み豆腐。手前左が凍み大根、右が凍りもち

運ばれてきたのは、凍み食材や今の時期に採れる地元産の野菜などをふんだんに使ったランチコース「ビーナちゃんランチ」(1,600円)。この日は撮影用にと一気に出していただいたが、ふだんはコース仕立てで1品ずつ提供される。見るからに手間がかかっていそうな品々に、この値段で本当にいいのだろうかという品数の多さ。通常であればここにウェルカムドリンクも付くのだという。なんというサービス精神だろう。
「一度食べていただいた方は、二度三度とまた来ていただく方が多いです」とみさ子さん。この量、この質、この値段。リピートするのも納得だ。

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サツマイモのレモン煮やトマトソースの茶わん蒸しなど独創的メニューがならぶ。こんな組み合わせがあったのかとはじめて食べる味に驚愕

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旨味が凝縮した凍み大根と凍み豆腐の煮物。うさぎは長芋の寒天よせ

春夏は土手草の素材が多く手に入るので、凍み食材の出番は減るが、それでも地域の伝統食材なので使い続けていきたいと芳行さん。
「今日食べていただいている凍み大根は去年のものなんですよ。今年はまだできていないので。長期保存ができて、味も変わらないのが凍み食材。ただ最近は天候が不安定なので、作るのに苦労していると聞いています」
天候によって左右され、作る量も限られているので市場に出るのは少しだけ。希少なので価格も割高な高級食材だ。
「それでも喜んでくださるお客さんがいるならば、という思いで使っています」

デザートはみかんの寒天寄せと干し芋ヨーグルト。
「硬くなってしまった干し芋でもヨーグルトに漬け込んでおけば柔らかくなり、またおいしく食べられるんですよ」とみさ子さん。冷蔵庫の奥などに忘れられた干し芋がある人はぜひ試してみてほしい。驚くほど柔らかくスイートなデザートへと変身する。

「これもよかったらどうぞ」と言って出していただいたのは、酒粕を火にかけアルコールを飛ばしたものにドライフルーツを入れて3日ほど冷蔵庫に寝かせたというスイーツ。これまたはじめての味、はじめての出合い。

確かに。こんな店、ほかにはない。
ひと品ひと品に感動と驚きがある、ここならではの時間を体験できることだろう。

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北原芳行さんとみさ子さん、夫婦ふたりで切り盛り

「わざわざこんな信州の山のなかにまで足を運んで来ていただけるのだから、ここでしか食べられない料理でもてなしたい」と芳行さん。寿司店だった時代は、この場所でマグロや関サバなどの寿司ネタを提供していたが「海のそばでもないこの場所で寿司屋をやる意義とは?」と常に疑問を感じていたのだという。
「京都や金沢など、いろいろな観光地を訪れたお客さまが、ここ八ヶ岳で感動してもらうには…」(芳行さん)
「いろいろ考えた結果、土手草になっちゃったんです(笑)」(みさ子さん)

旅の醍醐味であるご当地の味。このエリアに来たのであれば、ぜひこの店ならではの土手草料理と凍み料理を味わっていただきたい。

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個室利用もできる純和風の離れ。ゆっくり食事ができる空間。少人数での利用も可能

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ディナーは前日までの要予約で「女神の夕食」(4,000円)コースを提供。こちらのメニュー名も、もう一つの国宝土偶「仮面の女神」から名付けた

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ランチ12時~14時(入店は13時30分まで)、夜は17時~20時(入店19時まで)、月曜定休

先人たちが生きるために考え。この地域に根付いていった凍みの食文化。現代へと守り伝えていきたい地域の財産である。


2025年3月末まで、紹介した3店をはじめ、協賛の直売所、飲食店などをまわりスタンプを集める「凍みでつながるスタンプラリー」を開催中。詳細はhttps://chinotabi.jp/feature/shimibook/

【INFORMATION】

〈イリセン寒天工場&直売所 湯川店〉
住所:長野県茅野市北山湯川1253
https://kanten-irisen.com/
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〈小林豆腐工房(千年豆腐)〉
住所:長野県茅野市湖東260-1
http://sennentofu.jp/
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〈森の家 花蒔店〉
住所:長野県茅野市湖東6595-104
https://n829600.gorp.jp/
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取材・文:大塚真貴子 撮影:平松マキ

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