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古代の信州ブランド・黒曜石。 下諏訪の黒曜石鉱山「星ヶ塔遺跡」で、縄文文化に触れる

長野県は、縄文時代の遺跡の数が全国でもトップクラスで、「信州は縄文遺跡の宝庫」と言われるほどです。下諏訪町にある、縄文人が黒曜石を採掘したという「星ヶ塔遺跡」を訪れ、国の史跡指定を受けた貴重な採掘跡を見学しました。

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TOP PHOTO:縄文時代の黒曜石採掘抗「星ヶ塔遺跡」

縄文時代の信州ブランド、黒曜石

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「天然ガラス」と言われる黒曜石。諏訪産のものは透明度が高いのが特徴

太古から地球に存在する“石”。そのなかには、生活に役立つ鉱物や、美しい光を放つ宝石など、人間と密接な関わりをもつものがたくさんあります。私たち人間にとって、石とは生活を豊かにし、癒しやパワーを与えてくれる、不思議な魅力をもつ存在です。

人が最初に道具として使ったのも石でした。石器の使用は、火の使用よりもずっと早いと言われます。
とくに旧石器時代の後期から縄文時代にかけて、人々に重宝されたのが黒曜石。矢じりや槍などに使われ、縄文時代の生活のキーアイテムでした。
八ヶ岳の山麓は「黒曜石」の原産地で、縄文時代には一大産地として繁栄していたことが知られていますが、原産地のひとつである諏訪地方に、縄文人が黒曜石を「採掘」していたという「星ヶ塔遺跡」があります。

信州産の黒曜石は、縄文人にとってどんな魅力があったのか?それらが全国に流通する価値とは何だったのか?
縄文人が黒曜石を採掘していた場所に、その答えのヒントがあるかもしれない。そんな期待を胸に、普段は一般公開されていない遺跡に訪れることができる見学ツアーに参加しました。

星ヶ塔遺跡の発見・発掘者が解説

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諏訪湖博物館館長で、星ヶ塔遺跡の発見・発掘者、宮坂清さん

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宮坂さんが取り出した黒曜石は、ほぼ透明だった

下諏訪町の温泉街、諏訪大社の下社に近い場所にある「星ヶ塔ミュージアム 矢の根や」は、星ヶ塔遺跡についての展示・解説を行なっている博物館です。
ミュージアムの前で出迎えてくださったのは、諏訪湖博物館の館長、宮坂清さん。
宮坂さんは、星ヶ塔遺跡の発見・発掘者で、2021年に放送されたNHKの番組『ブラタモリ』の諏訪編にも出演した黒曜石の専門家です。

宮坂さんは、さっそく黒曜石を取り出して、私たちに見せてくれます。
「透明感があるのが分かりますか? これが星ヶ塔の黒曜石の特徴です」
太陽の光に透かしてみると、黒色というよりも透明に近いのが分かります。黒曜石を手に取った参加者の皆さんも、「きれい」「ガラスみたい」と興味津々です。

黒曜石を求めて、全国各地へ赴くという宮坂さん。黒曜石とひとくちに言っても、土地によって特徴がかなり異なるそうです。
九州産は漆黒、東北産は斑点入り。透明でキラキラした星ヶ塔の黒曜石は、「ブルーブラック」と呼ばれる青黒色で、白い縞模様が入っているものもあるそうです。
「顕微鏡などで観察して産地を特定する研究者もいらっしゃるけど、石の“顔つき”を見ればだいたい分かりますよ」と宮坂さんは笑いました。

黒曜石を採掘し、交流していた縄文人

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遺跡見学前に「星ヶ塔ミュージアム 矢の根や」で理解を深める

星ヶ塔産の黒曜石は、遺跡から半径250㎞くらいの範囲を中心に、遠くは東北や九州でも発見されているそうです。
「縄文人というと、ターザンのような原始的な人類が思い浮かぶかもしれませんが、実は全国と交流があって、他給依存で生活していた面もあるんです」と宮坂さん。

遠くは、北海道福島町の館崎遺跡、青森県青森市の三内丸山遺跡から、諏訪産の黒曜石が見つかったそうです。黒曜石が伝わったルートは、千曲川を伝って日本海へ出て、さらに舟で海を渡ったと考えられています。徒歩と舟という、原始的な移動手段しかなかったであろう時代、諏訪の黒曜石を入手しようとした縄文人の熱意には、ただならぬものを感じます。

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左のキレイな三角形の山が「星ヶ塔山」

「星ヶ塔」という素敵な名前は、「天から降ってきた星のかけらが、塔のように積み重なる場所」という意味に由来すると考えられています。この地に黒曜石が多いことは江戸時代から知られていたようで、江戸時代の人々は、黒曜石を天から降ってきた星のかけらと考えたのです。

透明でキラキラした黒曜石を、江戸時代の人たちは「ホシクソ」と呼んでいたそうです。ホシクソがたくさんある峠という意味で「ホシノトウゲ」という地名が付き、それが変化して「ホシガトウ」になったという説もあります。
そして、遺跡がある山にも「星ヶ塔山」という名前が付けられています。霧ヶ峰の西端にある、端正な三角形の山。縄文人たちも、この優美な形に何かを感じたのかもしれません。

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黒曜石採掘の想像図が描かれ、イメージが膨らむ

星ヶ塔遺跡を採掘した縄文人は、遺跡の近くに住んでいたわけではなく、どこか別の場所から採掘のために来ていたそうです。有力だと考えられているのは、八ヶ岳南麓のムラの人たち。星ヶ塔から40㎞も離れた場所です。
その人たちは、集団で星ヶ塔に訪れ、山の中で簡易的な家を作り、キャンプをしながら採掘をしていたそうです。黒曜石を何十キロ、何百キロと採掘し、それを自分たちのムラへと運んでいくのです。
宮坂さんは、発掘の研究から想像される縄文人の生活の様子を、次々に語ってくれました。漠然としたイメージしかなかった縄文人たちの生活が、目の前にありありと浮かんできます。

黒曜石が散らばる星ヶ塔遺跡

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足元には一面、数えきれないほどの黒曜石が!

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急な斜面を下りた先に遺跡がありました

ミュージアムで星ヶ塔遺跡について学んだ後は、バスに乗って遺跡へと移動します。普段は閉鎖されている林道のゲートが開き、山の中へ。
バスを降りたのは、何もない山の中腹。尾根に挟まれ、鷲ヶ峰の頂が見えました。すぐ近くに沢が通っていて、諏訪湖へとつながっているそうです。
「縄文人は、はじめは諏訪湖で黒曜石を見つけ、沢伝いにこの場所にたどり着いたのだと思います」

山の斜面を横切るように森の中へと入っていくと、すぐに足元にキラリと光るものを見つけました。黒曜石です。奥へと進むにつれて、その数はどんどん多くなり、終いには足元一面に黒曜石が散らばるほどになりました。
「ひゃー」「いっぱいある!」と、参加者からも歓声と笑いがこぼれます。普段は博物館のガラスケースに収められている黒曜石を、靴で踏みつけながら進むことに誰もが驚いてしまいます。

「斜面を見て何か感じませんか?」と宮坂さん。よく見ると、斜面が不自然に凸凹しています。
「この凹んでいるところが採掘跡なんですよ。全部で193カ所の採掘跡があるんです」
調査では、約3.5万平方メートルの範囲に縄文前期から晩期までの黒曜石採掘跡が193カ所分布していることが明らかになっているそうです。

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宮坂さんの説明で、縄文人の採掘の様子が蘇ります

10分ほどで、ついに宮坂さんが発見した遺跡に到着しました。
調査のために掘られた穴は、約3m四方、深さは約4m。蛇紋岩の下に、黒曜石の岩脈があり、縄文人が掘った跡がくっきりと残っていました。

「地面が凹んでいるから、ちょっと掘ってみよう、という感じで掘り始めたんです。だから、こんなすごいものが出てくるとは全く思わなかったんですよね」
と、宮坂さんは遺跡を眺めながら、発見した時のことを思い出します。

いざ掘り始めると、大量の黒曜石の破片が出てきたため、「へんだな」と予感のようなものが生まれ、次第にそれは「何かある」という確信へと近づいていったそうです。
ひたすら掘り続けたある日、カチンと何かに当たったような音がしました。胸の鼓動を抑えながら、ハケで丁寧に土を取り除くと、黒曜石の平らな面が出てきたそうです。これこそ、縄文人の採掘の痕跡でした。
「あのときの感動は忘れられません。何かは分からなかったけど、すごいものを見つけてしまった、と瞬時に思いました」
と、そのときの興奮を語ってくれました。

もっと知りたい!黒曜石と縄文文化

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さまざまな黒曜石に触れる。どんな石にもドラマがある

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黒曜石の切れ味は抜群。ペーパーナイフにしても遜色ないほど

遺跡から戻り、ツアーは解散となりましたが、午後は『探求心くすぐる黒曜石』と題したワークショップが行なわれました。研究資料である黒曜石に触れながら星ヶ塔遺跡について学ぶことができる、貴重な機会です。

「今日は、縄文人がなぜ黒曜石を掘ったのか? なぜ鉱山化したのか?について考えていきたいと思います」
そう言った宮坂さんは、旧石器時代から縄文時代にかけての、さまざまな石器・黒曜石を見せてくださいました。
地域はもちろん、時代によっても、黒曜石には異なる特徴がみられます。宮坂さんが集めた膨大な数の黒曜石を、見たり触ったりしながら特徴の違いを感じました。

小型の矢じりから、突然、大型の槍が作られるようになった時代もあったそうです。透明の黒曜石で作られた大型の槍は、ため息が出るほど見事なもの。
「こんな美しいものを狩りに使っていたのですか?」
思わずそう尋ねると、
「大型の槍は使用の痕跡が見当たらないことから、所有が目的だったと考えられます」
と宮坂さん。光り輝く諏訪産の黒曜石は、権威の象徴として、各地の有力者に求められたのでしょう。

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青黒色で白い縞が入った諏訪産の黒曜石「ブルーブラック」

黒曜石の採掘がはじまったのは、縄文時代の前期が終わるころ。その原因には、さまざまな事象が考えられるそうです。
縄文時代とひとくちに言っても1万年間もあります。その間には、黒曜石を採掘せず、河原で拾い集めていた時期もあるとか。宮坂さんは、黒曜石の採掘と、気候や環境との関連に注目しているそうです。

「鉱山化のプロセスは、まだまだ分からないことだらけです。これからもさまざまなデータや事象を集めて、考えていかなくてはなりません」
そう語る宮坂さんは、黒曜石を通して縄文人からのメッセージを受け取ろうとしているようでした。

数千年の時を経て受け取る、縄文人からのメッセージ

数千年の時を経て、発掘された星ヶ塔遺跡。その痕跡からは、自然と共生し、よりよい暮らしを求めて必死で生きていた、縄文人の生活が生き生きとよみがえってきます。

縄文時代というのは戦争がなく平和な時代だったと言われますが、それは必ずしも、安心・安全ということではなく、人智を超えた大自然の脅威にさらされていました。だからこそ、すべての人類は互いに助け合う必要性を感じていたのではないか、と遺跡を見た私には思えました。

今よりも、はるかに人口が少なかった時代。ある意味、自然という大きな敵(と言っていいかは微妙ですが…)に、人々は力を合わせて対峙していたのかもしれません。
そんななか、生活を守り、美しい輝きを放つ諏訪の黒曜石は、彼らにとっての“パワーストーン”だったのではないでしょうか。
黒曜石からは、自然と共存・対峙して生きていく縄文人の“しなやかさ”と“強さ”が垣間見られるように感じました。


文・写真=横尾 絢子

【INFORMATION】

◆下諏訪町観光サイト「おいでなして しもすわ」:https://shimosuwaonsen.jp/

<著者プロフィール>
横尾 絢子(Ayako Yokoo)
編集者・ライター。気象予報士。高校時代より登山に親しむ。気象会社、新聞社の子会社を経て、出版社の山と溪谷社で月刊誌『山と溪谷』の編集に携わる。2020年、東京都から長野県佐久市に移住したのを機に独立。六花編集室代表。現在はフリーランスとして、主にアウトドア系の雑誌や書籍の編集・執筆活動を行なう。プライベートではテレマークスキーやSKIMO(山岳スキー競技)を中心に、季節を問わず山を楽しんでいる。日本山岳・スポーツクライミング協会SKIMO委員。

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