木工を志すきっかけとなった同僚からの依頼
木曽路の中程に位置する上松町は、人口4000人ほどの、古くから林業とと製材業で栄えてきた町だ。“木工の東大” と呼ばれる1年制の上松技術専門学校(以下、上松技専)がある地域としても知られ、毎年県内外から木工職人を志す人たちが集まってくる場所となっている。 長野市出身の小林さんは、小さなころからものづくりが大好き。国立長野高専に入学後、静岡県にあるバイクメーカーへ。ところが、メーカーとはいえ大きな企業だったため部署ごとにやることは様々で、担当したのは設計業務。毎日パソコンに向き合い、仕事する日々だったという。
「毎日パソコン作業だったので、自分がやりたかったものづくりが本当にできているのか?と自問自答する日々でした」と、小林さん。
転機となったのは、会社の同僚からの声がけだった。
「結婚式を控えた新郎新婦から『ノブ、ウェディングボード作ってくれない?』と、頼まれたんです。手先が器用そうに見えたのでしょうか」。
製作したウェディングボードは好評で、その後もどんどん依頼がくるように。また、周囲からの勧めでECサイトでの販売を始めたところ、意外と注文が入ってきたという。
「最初は、同僚からの依頼だけだったのですが、いざお金をいただくカタチで注文が入ると、かなりのプレッシャーで・・。『本当にこのクオリティでいいのか?』と考えるようになり、きちんと木工の技術を学ぶことのできる上松技術専門学校へ入ることを決めました」。
上松技専には、木工の技術を学ぶために、長野県の内外から毎年さまざまな年代の人たちが集まってくる。彼らは年齢に関係なく、木工の技術を学び合う仲間となるそうだ。
「実習はもちろん、実習以外の時間もクラフトの木工フェアなどに出店する、仲のいい3人がいて。この3人との時間がめちゃくちゃ楽しかったんです」と、楽しそうに振り返る小林さん。
この3人の存在は、後の小林さんのキャリアの選び方や活動に大きく影響してくることになる。 技専校での1年はあっという間だ。修了後は家具工房などに入り、さらに腕を磨くパターンが多いそうだが、小林さんが希望していた工房は新規人材をあまり採用しないところだったこともあり、なかなか話がまとまらなかったという。 その頃、検討しはじめたのが上松町の地域起こし協力隊(※注1)木工部の募集だった。 「上松技専に入った頃、将来的には実家のある長野市で独立しようと考えていました。会社員時代、静岡から帰省するたびにの地域がどんどん元気がなくなっているように感じていたので。せっかく上松町にきたのなら、地域おこし協力隊として地域に入って三年間学ぶことで、自分の地元についても貢献できる何かが見つかるのではないかと考えました」。 上松町の地域おこし協力隊木工部は、現在では上松技専の卒業生がこのまちに関わりながら木工品の製作を行うことができるような立て付けとして整備されている。採用は小林さんたちが第1期となる。ミッションは“木工でまちおこし”というものだった。
※注1 地域起こし協力隊とは:地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に移住して、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期は概ね1年以上、3年未満となる。
戦略的協力隊!隊員の任期をどう活用するか
協力隊として着任してからの小林さんの活動はめざましいものがある。 まず1年目に取りかかったのは工房の整備。上松町の地域おこし協力隊たちが町の商品開発や自分たちの作品づくりを実現できる拠点の整備が必要だったためだ。
しかし、工房にする予定の物件は物件そのものが古く、数年ほど空き家状態だったこともあり、片付けや修繕に相当な時間を要してしまったそうだ。空き家の片付けが終わった時点で既に2カ月が経過。拠点の完成まで2カ月と見積もっていた小林さんにとっては痛い誤算だったという。
最終的に、ものづくりの拠点整備が完成するまでに要した時間は1年弱。想定よりも時間がかかってしまったものの、改修プロセスには上松技専の現役学生などにも参加してもらい、一緒に進めていくことができたそう。 仕上がった工房では、他の工房からいただいたものも含めて木工品の製作に必要となるさまざまな機械が配置され、いつでも作業ができるようになっている。
木工品づくりはつくるだけでは完結せず、隊員たちが工房で作った商品は、その後お客さんへの発信など、商品を購入してもらうための販促をしていくことが必要となる。そこで小林さんが2年目に取り掛かったのは、情報発信拠点の整備だった。 「商品を知ってもらうためには、まずウェブサイト。それからパンフレットなどの紙媒体。さらに、実際に立ち寄れるリアルな場所をつくることが必要だと思いました」と、小林さん。
それが、『KINOTOCO』という施設だ。
「一人だと心が折れそうになるので、月一回のペースでリノベーションのイベントをしました。また、上松技専や林業大学校、信州大学など、いろいろな方に手伝ってもらったりと、つくり上げる過程に関わってもらうことで、施設ができあがった後も、『懐かしい』と言って来てくれたら」と、小林さんは願ったそうだ。
こちらの施設も、完成までに1年ほどかかった。1階は家具ギャラリー&コミュニティスペースとなっており、製作された家具などの商品を実際に見たり使ったりしながら珈琲などが飲めるような機能も備えている。2階は在庫を保管したり、上松町の返礼品になっている協力隊員がつくった商品を梱包したり発送するスペース。3階はできあがった商品の販売促進をするための冊子づくりやウェブサイトのコンテンツづくりをするためのフォトブースを備える、スタジオだ。 大きい窓から自然光が柔らかく差し込み、スタイリッシュな家具が配置されたスペースは、ショールームやイベント開催のための場所としてだけでなく、快適なワークスペースとしても機能する。
当初の想定通りにはいかないこともたくさんあったものの、初年度、次年度と着実に実績をつくってきた小林さん。このような形で戦略的に任期期間を使い、動いている隊員は全国的にみても少ないように感じる。この背景には一体どのような考えがあったのだろうか。
「そもそも、僕がやることは3年では終わらないというのを町にも伝えていました。8年くらいはかかると(笑)」。
8年後に描いている未来。そこには、上松技専で一緒に学んだ10歳下の同級生3人の姿がある。技専校から卒業するタイミングで、バラバラになってしまった4人だが、将来的に再び彼らと集まり、プロジェクトなどをわいわいとやっていけるような環境があったらと願う。 「彼らが『新しいことにチャレンジしてみたい』と言った時に、それに応えられるような環境を上松でつくることができていたらいい。そうすれば、僕もまた彼らと一緒に楽しく遊べる(仕事ができる)」と語る、小林さん。
上松技術専門学校があることで、年間100名もの木工職人の卵たちが木工を学びにくる上松町だが、卒業後も上松町に残る人の数は少ない。 いよいよ協力隊の任期として最終年度となる3年目。小林さんは、これまでのような施設整備だけでなく、木工の事業を考える人が起業しやすい環境づくりを目指し、上松町と一体となって町としての受け皿づくりに着手しはじめた。
上松町を木工で起業しやすいまちに
「木工業界は起業のハードルが非常に高いです。必要となる機械の数が多いことや、騒音などの問題もあるので場所探しも大変です。さらに、機械を稼働するには200Vの電力も使うので工事が必要となります。こうしたさまざまなハードルがある中、上松町に残って起業を検討する人に選択してもらえるような町になるためにはどうするべきか、3年目からは町役場と協力しながら考えていました」と、小林さん。
その試みは、現在も進行中だ。
具体的に動いているのは、木工で起業する人たちが活用できるような、スタートアップシェア工房構想。ハードルとなっていた場所探しや木工機械や電力などの設備投資の課題。それらのハードルを下げつつ、木工で食べていきたい人、別の仕事をしながら副業的に木工をやりたい人、別のメインの仕事に木工を取り入れたい人など、さまざまな起業のタイプに合わせたプランを準備している。
「最初の一歩目を町としてサポートをするからこそ、個々の職人さんの時間やエネルギーはその先の商品開発や価値創出に投入することができ、その方が町としても絶対プラスだと思います」と、自身も立ち上げ時の苦労を知る立場として、熱が入る小林さん。
また、起業しやすいまちとして発展していくことは、これから起業を目指す人たちだけでなく、既存の産業を支える地域の人たちにも良い影響を与えていく。
「木工で起業する人の母数が増えていくことで、ハード面だけでなくソフト面でも新たなサポート体制の整備が必要となってくると思います。都市部でのポップアップ展示会などの機会創出や、オンラインショップ立ち上げ時のブランディング、企業経営時の伴走型のサポートなどもその一例です。そうした仕組みができていくことで、新たに木工で起業する人だけでなく、地域にいる人にも還元できる仕組みが生まれていくと信じています」と、小林さん。
重視するのは、上松町の地域産業を支えてきた森という地域資源を活かして、いかに持続的に産業が発展するか。地域の森からきちんとお金を稼ぐ仕組みをつくることができれば、森は整備され健全な状態で保全されていく。長い目で見た時に好循環を生み出す独自のシステム構築が必要とされているのだ。
旅人である私が小林さんと会う前の印象は、クールな戦略家。目的意識を明確にもち、ゴールに向かって緻密に計画を練っていく人だと思っていた。実際に会ってみて、そういった面を改めて実感するとともに、情に厚く仲間のために奔走する熱い一面があることを知った。むしろ、彼の原動力は、こうした仲間たちの姿や一緒に過ごした日々であり、そうした原風景が心の中にあるからこそ、周りを共感させ、巻き込んでいく力を持つのかもしれない。
小林さんが描く未来への挑戦はまだ道半ばかもしれないが、活動を続けていくなかで、必ずそれは形となってまちに現れてくると予感させる。自分や仲間が働きやすく暮らしやすいまちをつくるために走り続ける活動に、今後も目が離せない。
※この記事は2021年3月に旅人が小林信彦さんを訪れた際のインタビュー内容、時間軸となっています。小林さんは2022年現在、地域おこし協力隊の任期を終了され、上松町にてご活躍中です。
文:岩井 美咲(旅人)
PROFILE
小林 信彦さん
1988年長野県長野市生まれ。長野高専卒業後、2009年ヤマハ発動機に入社。バイクエンジンの設計開発に携わる。
同期の結婚式のウェディングボード製作がきっかけとなり、その後のBACKYARD craft&furnitureの立ち上げにつながる。
2017年に上松技術専門校入校、翌年上松町の地域おこし協力隊に着任。前職で培ったものづくり的問題解決思考で地域の課題解決に取り組み、技専卒業生が上松町に残り続けられる仕組みづくりや、工房、ギャラリーの整備、他メンバーの活動計画のフォローなどを行う。
2021年からは、同町の地域コーディネーターとして上松町の木工による地方創生事業の初期設計から事業推進まで全般を担当する。
KINOTOCO
https://awlm.jp/kinotoco/
<著者プロフィール>
岩井 美咲
Kobu. Productions代表
1990年東京⽣まれ。Impact HUB Tokyoに新卒⼊社後、起業家のコミュニティづくりや事業伴⾛を行いながらプログラムやイベントを運営する。2018年より⻑野県塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」の⽴ち上げに参画し、2020年に塩尻市に移住&独立。屋号の由来である「⿎舞する」をテーマに、向き合う⼈のビジョンや課題を掘り下げ、必要な伴⾛を提供しつつ企画を一緒に実現していく。事業内容はインタビューやPV制作のディレクション、ブランド⽴ち上げから経営伴⾛まで多岐にわたる。
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