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長野県に残る中山道と宿場町を巡る① 「軽井沢宿~下諏訪宿~妻籠宿」前編

江戸時代の五街道のひとつ「中山道」。
東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ街道であり、
長野県には26の宿場町があります。
長野県の中山道のことを調べて、宿場町の歴史を紐解き、
日本の原点を再発見してみませんか。

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歴史の浪漫があふれる
中山道ウォーキング

江戸時代に、人々の往来を支えた日本五街道(東海道・甲州街道・日光街道・奥州街道・中山道)。そのなかでも、江戸・日本橋から長野県の山岳地方を抜け、京・三条大橋を結ぶ「中山道」は、歴史的な建物や史跡が多く残されており、街道歩きが楽しめる絶好のルートとなっています。

軽井沢宿から下諏訪宿を経て妻籠宿へ。
長野県をまたぐ中山道と26の宿場町

中山道を何日もかけて歩いて巡ったり、「今日はここからここまで」と数日にわけて訪れたり、ときには自転車で辿ってみたりと、それぞれの楽しみ方で満喫する外国人観光客や日本人の姿が多くみられてきました。

江戸時代の風情を感じさせる中山道

その理由の秘密は、全行程534kmの中山道は険しい山道が連なり、宿場も69ヵ所と多く、 その各所に今もなお風情漂う町並みが残され、国の有形文化財となっているスポットもあるからです。五街道のなかで、もっとも人々の往来が多かった「東海道」に、かつての面影がほとんど残っていないことも、中山道巡りの人気を後押ししているといえます。

長野県にある中山道の宿場のなかでも、
とくに人気の高い奈良井宿の町並み

そんな人気を集めてきた中山道。「軽井沢宿」から「妻籠宿」まで続く長野県の26の宿場を知ることは、おすすめのアイデアです。佇む旅籠や茶屋の軒先、かつてのにぎわいを思わせる街道など、歴史を物語る風景から日本の歴史を再発見してみませんか。
今回は、長野県をまたぐ中山道の半分、西洋文化の香り漂う軽井沢宿から、門前町にして唯一の温泉場「下諏訪宿」までの魅力を紹介します。

軽井沢宿から岩村田宿へ

江戸・日本橋を出発し、武蔵国(埼玉県)を抜け、上野国(群馬県)に入り、難所「碓氷峠(うすいとうげ)」を越えると信濃国(長野県)に。そこは、江戸から数えて18番目の「軽井沢宿」。江戸時代に宿場町として大いに栄えましたが、明治に宿場制度が廃止されると途端に廃れ、その後、外国人や富裕層の避暑地として発展します。かつて参勤交代の際、大名らが宿泊所として利用した軽井沢宿の脇本陣(わきほんじん)旅籠「亀屋」は、明治期にモダンな洋風建築の「万平ホテル」として生まれ変わり、いまも気品ある佇まいで人々を出迎えてくれます。また、〝軽井沢の鹿鳴館〟として名を馳せた木造西洋式ホテル「旧三笠ホテル」は、現在ホテル営業は行われていませんが見学することができます。一方、にぎやかな中心街・旧軽井沢銀座を一歩離れると、緑に包まれた小径が連なり、小鳥がさえずる自然豊かなエリアに。優しい木漏れ日を受けながら森林浴を楽しむこともでき、歴史と自然を満喫できるのも軽井沢宿の魅力です。

万平ホテルの前身「亀屋」が創業したのは1764年。
現存する建物は1902年に、旧軽井沢銀座通りから桜の沢に移築されました
軽井沢の「旧三笠ホテル」は、1970年に営業を終了していますが、重要文化財として内部の見学を楽しめます

さらに中山道を進んで、中軽井沢駅周辺に位置する「沓掛宿」を過ぎ、次は北国街道との分岐点「追分宿」へ。軽井沢宿から追分宿は、徒歩で約2時間ほど。ここは、軽井沢宿と一変して古くからの落ち着いた佇まいを残すのどかな町。

追分宿にある「分か去れの碑」。
ここは、江戸から京都へ向かう中山道と北国街道の分岐点。
かつて旅人たちの出会いと別れを見届けてきた地点です
©︎軽井沢観光協会

この地をこよなく愛した作家の堀辰雄は、結核を患い、養生を過ごし、追分宿を舞台にした作品『菜穂子』を書き上げました。他界した後には、この地に「堀辰雄文学記念館」が建てられ、晩年を過ごした住居や書斎、自筆原稿が展示されました。ちなみに、ジブリ映画『風立ちぬ』は堀辰雄の同名小説をベースに、その世界観を映し出したものです。映画のなかでも軽井沢宿や追分宿周辺の風景、「万平ホテル」などが描写されています。
追分宿を出ると、次は「小田井宿」、「岩村田宿」へと続きます。2時間ほど歩いてたどり着く岩村宿は、北陸新幹線佐久平駅のすぐ近く、昭和の雰囲気が漂う商店街となっていますが、西宮神社や西念寺などの寺社仏閣は現存しています。

小田井宿。かつて大名は追分宿に、姫君は小田井宿に泊まったことから
「姫の宿」といわれています。現存する千本格子の旅籠を眺めて、
当時を偲ぶことができます

塩名田宿から宿場町の情緒が残る温泉地「下諏訪宿」

追分宿から中山道を南西へと進み、小田井、岩村田、塩名田、八幡、望月、芦田、長久保、和田宿と8つの宿場を抜け、中山道最高地点・和田峠を越えると、長野県のほぼ中央に位置する江戸から数えて29番目の「下諏訪宿」です。

望月宿
和田宿
下諏訪宿の町並み

下諏訪宿は、江戸から甲斐国(山梨県)を経て辿り着く「甲州街道」の終着点として中山道と交差していた上に、長野県をまたぐ中山道のなかで唯一の温泉場であり、旅の疲れを癒す地としてにぎわっていたといわれています。温泉宿のほか10ヵ所の共同浴場と5ヵ所の足湯があるのも、中山道巡りを楽しませるポイントです。江戸時代に中山道を歩いた人々さながら、そぞろ歩いて温泉に癒されてみたいものです。

下諏訪宿は、「諏訪大社下社」の門前町として栄え、今でも趣のある建物や蔵が並んでいて、見所もたくさん。皇女和宮や明治天皇が宿泊した「下諏訪宿本陣・岩波家」でには、中山道随一の名園が今も大切に守り継がれています。また、街道や下諏訪温泉の貴重な歴史民俗資料が展示される「宿場街道資料館」は、江戸時代の商家が利用されており、在りし日の下諏訪宿の様子をうかがい知ることができます。

かつて多くの大名が宿泊した「下諏訪宿本陣 岩波家」
回遊式庭園を眺めて、大名たちが見た景色を体感できます
「宿場街道資料館」は江戸時代の商家の特徴を残す明治初年の建物で、
下諏訪宿のかつてのにぎわいを紹介している

また、江戸創業の脇本陣の「まるや」や、「桔梗屋」は、今もなお旅館として営業するほか、かつて宿場の茶屋だった建物を利用した「今井邦子文学館」、経営を引継ぎながら銘酒を醸す酒蔵「諏訪御湖鶴酒造場」などもあります。最近では古民家をリノベーションしたゲストハウスやカフェ、アトリエなども増え、長い歴史に現代のエッセンスが掛け合わされたエリアでもあります。

下諏訪宿には、いまも当時の面影を残す旅館があります

今回の中山道案内はここまで。下諏訪宿を抜けると次は宿場の趣が色濃く残る木曽路へと向かいます。
中山道ウォークは何日にもわけて歩く人もいれば、宿場だけをめがけて訪れる人もいます。ちなみに、佐久平駅近くの岩村田宿から下諏訪宿までは歩くと12時間ほど。実際に歩いて巡るには、体力と時間がかかりますが、各地に宿る歴史を知り、かつての日本の風情に思いを馳せてみるだけでも中山道の魅力はたくさん。これをきっかけに、中山道の歴史を追いかけてみてはいかがでしょうか。

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