特集『ナガノのキャンプ時間』❶ 「人の心と社会に自然とのつながりを取り戻す」 ――キャンプ場を活かしてサステナブルな未来を共創する場づくりを Waqua合同会社(四徳温泉キャンプ場・Kuwabara Camp・陣馬形山キャンプ場運営)久保田雄大さん
南信州・伊那谷にある長野県中川村の山深くにある四徳温泉キャンプ場。関東、東海のアウトドア好きが集い、ファンから熱い支持を得ているキャンプ場だ。また、現在、林野庁が推進する「森林サービス産業」の事業者としても注目されている。運営会社のWaqua(わくわ)合同会社では、森を舞台に15人ほどのメンバーが仕事をしている。代表者の久保田雄大さんに、取り組みや想いについて取材した。
なぜ、現代人はキャンプに行くのか
2010年代から始まった現在のキャンプブーム。2020年~2022年のコロナ禍ではキャンプ人口、キャンプ場数が急増し、社会現象となるほどキャンプやアウトドアが流行した。2023年に入りキャンプ特需は終息したという見方もあるが、新規に始めるビギナー数や、平日のキャンプ利用者の割合は依然として高く、キャンプは特別なものでなく日常的なレジャーとして定着しつつある。
なぜ、現代人はキャンプに行くのか。
「キャンプをする人は、本来の人間とは何か、ということを思い出すために、自然の中へ行くんだと思います」と話すのは、四徳温泉キャンプ場のオーナー、久保田雄大さん。
「火を見て癒されたり、五感をフルに使って森の音や感触や気配を感じたり、人と一緒に食べて寝たりすることで、人と人の関係を再生したり、自然や宇宙とのつながりや循環を思い出すことができます。社会や、自分の社会的な立場からも距離を置いて、本来の自分自身を取り戻す時間を、現代人は必要としているのではないでしょうか」
キャンプという行為について、「個人的にも、そして種族としても、『生き残っていく』ための行動ではないかなと思います」と久保田さんは言う。
「人間は地球上の自然の一部。これは僕の理想とかではなく、事実。だから、僕たちの心や身体は、数万年暮らしてきたスタイルが心地よいようにプログラムされているんだと思います。自然の中に身を置くことで、本来の心身の機能や人間らしさを取り戻していく。とても簡単でシンプルなことなのです。今世紀、我々と次世代は、たくさんの解決していく問題を抱えています。人類全体で持続可能なライフスタイルにシフトしていく。その一歩は、『自然とのつながりを思い出すこと』から始まると思うんですよね。それが、僕たちの事業の一番のテーマです」
自然と共生する社会へ。森や田舎に愛着をもってもらうためのきっかけ作り
「ここでのキャンプのメリットを一言で表すと、『森の休日』ということだと思います。現代人の心身の不調は、過度のストレスと運動不足が根本原因と言われています。日々の生活での疲れを、森林浴や温泉で癒し、適度な運動もすることで、人間が本来もつ“生きる力”を取り戻すことができると考えています。都会から田舎へ、定期的に森に通って自分をリセットできるって豊かですよね」
久保田さんが掲げた「森の休日」というコンセプトは、ビジターのライフスタイルの中に「森」を取り込んでもらうための仕掛けだ。四徳温泉キャンプ場が気に入ったら会員になることができ、「このキャンプ場でなければ」というファンが常に100家族ほどいるという。毎年1~2回、夏に4泊以上、多い人は年に10回以上など、スタイルは人それぞれ。何度も通うことで、キャンプ場だけではなく、スタッフや地元の人々と出会い、地域を丸ごと好きになってくれるという。
四徳温泉キャンプ場では、さまざまな自然体験イベントを開催している。また地元の子どもたちやビジターへの環境教育プログラムも実施している。
「まず、何よりも楽しいということ。そして、自然の奥深さについて発見の悦びが得られること、自分のライフスタイルに持ち帰ることができることを意識して、体験を“デザイン”しています」と久保田さん。
毎年12月に行なう木育イベントでは、参加者みんなで交代しながら、斧を使って一本の木を伐る。伐採の前には木にお神酒と感謝の祈りを捧げ、三ツ紐切りという、斧を使った伝統的な手法を用いて伐っていく。1本の木が倒れるまでには2時間半くらいかかるそうだ。
「時間をかけて斧を入れていくことで、森や木についていろいろ考えるんですよね。自分の腕も疲れてくる。木が倒れる瞬間には、ひとつの命をもらったという感じがすごくあります」
参加者は、希望すれば伐採した木を使った家具をオーダーすることができる。メインのプロダクトは「一生使える勉強机」。自分で伐った木を使い、職人と一緒に、親子で仕上げる。シンプルな構造で組み立てることができるので、引っ越した場合も持っていける、まさに一生ものだ。
「木育ということを考えた時に、まず自分が毎日家で使っている家具がどこから来たか、どうやって作られたか知っていることが大切だと思いました。勉強机は一生を共にでき、子どもや孫に継け継いでもらうこともできる。それが子ども時代に自分で伐って作ったものだとしたら、どんな風に人は育つんだろう、どんなストーリーが続いていくんだろうとワクワクしました。それによって、森に愛着を持ってもらうこともできるのかもしれないと考えました」
久保田さんが、自然体験を企画するなかで感じたことがあるという。それは、「知識と感情が一体にならないと行動には結びつかない」ということ。
「環境に配慮した社会はこうつくるんだよ、といくら口で言っても、行動につながらない。そのために必要なのが感情です。まずは自然に触れる。そして自然の中で思いっきり楽しい体験をする。もっと知りたくなったり、ワクワクしたり。都会の人も、地元の子どもたちも、自然を楽しんだ先に愛着を持ってもらうことが、僕たちにできる一つのゴールです」
そして、自然に愛着を持つことから「共に生きる」ことにつなげていきたいと、久保田さんは話す。
「好きになったら、守りたくなるのが人間です。自然と共に人間がどう生きていくか考え、行動する人が育っていったら嬉しいですね。地域、日本、地球規模。いろんな場所、いろんなレベルで行動する人が育っていく社会になればいい。もちろんそれぞれに楽しみながらね」
ローカルに「森を活かした産業クラスター」を創造する
「もともとは、キャンプ場運営をやりたいと思っていたわけではないんです。やりたかったのは、一つは『環境教育』、もう一つは『自立したローカル経済を創ること』でした。長野といえば、山の水と森が資源。森を守り、活用し、人間も幸せに生きられるための地域づくりに関わりたかった」と久保田さん。
飯田市出身の久保田さんは、2012年、29歳のときに伊那谷にUターン。中川村の行政に四徳地区を含む山林を活用した産業創造を提案した。2015年、行政から四徳温泉キャンプ場の運営を委託され、現在は、2021年には同じく中川村にある陣馬形山キャンプ場、桑原キャンプ場が加わり、現在は3つのキャンプ場の運営を手掛けている。
スタート当初から事業テーマを「森を活かしてシゴトを創る」に定め、森林に価値を創造し、森を活かした建築、薪作り、野外教育スタッフなどの仕事を生み出してきた。
「森で働きたい仲間が集い、それぞれのスタッフのビジョン、個性、得意分野、モチベーションが、森とリンクするところに仕事が生まれている。人の成長と一緒に事業を発展させてもらっています」
久保田さんが目指すのは“森を活かした産業クラスターの創造”。その実現までは、きっとまだまだ数十年の時間がかかるだろう。だが、創業メンバーは40代になり、現場を30代にバトンタッチしていく環境もできてきたという。IターンやUターンをして地域の自然を活かしたツーリズムで働く、という選択肢があまり考えられなかった状況から、8年で確実にステップを踏んできた。
地域社会全体の活性化につなげるということも重要だ。例えば、先に挙げた伐採体験イベントでは、林業関係者と協力して伐採を行なう。伐った木は地元の製材所に持ち込み、製材・乾燥する。そして職人さんの手によって机のパーツに仕上げる。最後は、机として組み立てる作業をふたたび参加者の手で行なう。1次、2次、3次産業までが一つの輪になった体験を提供している。
「最近は、森林サービス産業という言葉も出てきました。森林空間を活かして、健康や教育、観光などの新しいサービスを生み出していく産業のことです。そして、サービスをする側と消費する側に分かれるのではなく、持続可能なライフスタイルやローカル経済を一緒に創る。キャンプをただのレジャーでなく、持続可能な未来を共創する場にしていきたいのです」
以前、森林組合が管理していたころの四徳温泉キャンプ場は、年間利用者は1000人ほどで、キャンプ場の維持費さえ賄えなかったという。現在は、3拠点の利用者はのべ1万5000人ほどになった。薪の消費量は150立法メートルまで伸びた。軽トラックにすると300台分だ。周囲の環境整備もできるようになり、林業事業者の自立に役立っている。地域の人材活性化にもつながり、好循環が生まれ始めている。
キャンプに行く人の先には、自然で働く人々がいて、そこで紡ぎだされる出会いにより、独自のローカルコミュニティができあがっていく。コミュニティの人々が共有するのは「自然と共生する未来」への緩やかなビジョンだ。キャンプ場を「地域の自然を活かした事業創造のためのインフラ」として捉え直した久保田さんたちの取り組みは、これからもゆっくりと進んでいく。
世界各地を巡った20代。地球規模で感じ、ローカルから行動するきっかけとは
自然と共生するローカルコミュニティの実現という久保田さんの考えの根底には、20代の頃に世界を渡り歩いた経験がある。
20代の頃は、自転車でのバックパッカー旅行や、二輪車系メーカーの仕事でさまざまな途上国をめぐったという久保田さん。とくにアフリカ地域を中心とした開発援助案件やマーケティングに携わることが多かった。そこで目にしたのは、紛争、侵略、温暖化や生物多様性の損失、資源開発、経済格差といった地球規模の問題の影響を受ける地元の暮らしの姿だった。世界のさまざまな地域を見ていくなかで、久保田さんは、人類が“サステナブルな社会”を実現するためにはどうすればよいのかについて深く考えさせられたという。
「訪れたさまざまな地域の問題に対して、自分は何ができるのか、という葛藤がいつもありました。問題の根本はライフスタイルなのではないか。世界のそれぞれの場所で、経済的、文化的、環境的に自然と共生できるローカルの確立が一番大切なのではないかと思うようになりました。グローバルな仕事に身を置くよりも、どこかのローカルで自らそれを実践していくのが心身ともにいちばん気持ちがよいのではないか、と思ったんです」
旅をするなかで、自然と共に生きる文化がしっかりと残っている美しいローカルに出会うこともあった。
「もしかしたら、人類のいちばんの宝物は、自然と人が共に生きられる“ふるさと”なのでないかな、と思うようになりました。ふるさとを誇る人々に出会うことで、自分のふるさと、長野・伊那谷への想いも強くなっていきました」
ふるさとの伊那谷で、自然と共生する未来を創っていく
ローカルコミュニティへ飛び込もうと決心した久保田さん。最終的に選んだのは故郷の長野県・伊那谷だった。
「故郷ということもありますが、魅力だったのは、きれいな水です。山や森の生物多様性、きれいな水が豊富にあるのは長野の大きな特徴です。日本は大陸の東側にある島国で、世界でも降水量が多い。火山や造山運動があることで土地が栄養豊富になり、生き物が増えて多様性が生まれる。伊那谷って、サステナブルな地域としては実はすごい可能性があるんじゃないかと思ったんです」
環境問題のような大きな視点をもちつつ、それをローカルな行動に落とし込み、実践を続けている点が、久保田さんのユニークなところだろう。仲間とつけた会社名「Waqua」は、この地域での暮らしにとっていちばん大切な水源の森を守っていきたいという意味を込めた「Aqua(ラテン語で水)」と、「ワクワクの輪」を掛け合わせたという。
最後に、久保田さんは、「四徳の土地は、この地のご先祖から受け継いだものだと思っているんです」と大切そうに語った。
四徳地区は昭和36年の「三六(さぶろく)災害」で壊滅的な被害を受けて全戸集団移住が行なわれ、以来、半世紀ほど無人の里だったという歴史をもつ。無人になる前に四徳に住んでいた人たちは、ここ10年ほどでほとんどが鬼籍に入られたそうだ。その方々は、「四徳は自分の大切なふるさと。ここにあるものを活かして盛り上げていってほしい」という言葉を久保田さんたちに残したという。
「何世代にもわたり人と自然の営みが続いてきた“ふるさと”四徳は、災害をきっかけに森に戻りました。その後60年経って、素晴らしい森が育った。現代の僕たちはそこにあった想いを受け継ぎ、木々を活かし、森を維持していく。ここから何かしら想いを受け取った人が、またどこかで行動していくようになったら最高です」
先人たちの気持ちを受け継ぎ、自然の中で仲間とともに働き、自然と共生する未来を担っていく人を育てる。久保田さんからは、まさに「生きる力」が感じられた。
撮影:杉村 航 取材・文:横尾 絢子
<著者プロフィール>
横尾 絢子(Ayako Yokoo)
編集者・ライター。気象予報士。高校時代より登山に親しむ。気象会社、新聞社の子会社を経て、出版社の山と溪谷社で月刊誌『山と溪谷』の編集に携わる。2020年、東京都から長野県佐久市に移住したのを機に独立。六花編集室代表。現在はフリーランスとして、主にアウトドア系の雑誌や書籍の編集・執筆活動を行なう。プライベートではテレマークスキーやSKIMO(山岳スキー競技)を中心に、季節を問わず山を楽しんでいる。テレマークスキーイベント「Frie(フリーエ)」実行委員。日本山岳・スポーツクライミング協会SKIMO委員。
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