やっぱり、踏破してみたい、トレイル
踏破、という言葉を辞書で引くと大体、歩き抜くこと、とか、歩き通すこと、と書いてある。そしてそれにはもれなく、困難な道を、長く険しい道のりを、という枕詞もついている。簡単な道をただ歩いただけでは、踏破とは呼んではいけないようだ。つまり、トレイルを“踏破”することとは、そういったものをすべて乗り越えてこそ、達成できるものなのだろう。
初夏。トレイルという言葉を初めて聞いた。そこからいくつかの道をかじり、やっぱり、トレイルを踏破してみたい。そんな欲望がふつふつと沸いてきた。それは、山の頂上をコレクションするためでもないし、たくさんの距離を歩いたという健脚を自負するためでもない。単純に、自分がトレイルを歩く最中に何を思い、歩き終わった後に、どんな風に感じるのかを知りたい、そういった類の好奇心から沸いたものだった。
距離がそこまで長くなく、初心者でも楽しめるトレイルはどこだろうか、と探していたところ、“霧ヶ峰・美ヶ原中央分水嶺トレイル”を知った。モデルコースでは、二泊三日で踏破可能と書いてある。早速事務局に電話をし、初心者が踏破できるものなのか、どんなプランを立てればいいのか、どこに泊まればいいのか、と、次々に質問をしてみると、踏破には送迎が必要だという。一人だけの宿泊&送迎では、なかなか受け入れてくれないかもしれない。やはり踏破は難しいのか…と、半ば諦めつつ電話を切った。すると、すぐにまた電話が鳴り、びっくりして出てみれば、「女将もいいって言ってるし、うちに泊まってもいいですよ。」と言う。実は話していたのは、事務局も兼任している、ゲストハウス『ダーチャ ベリオスカ』のオーナーだったのだ。そしてなんと、沈んだ様子の私を見兼ねて、トレイル踏破に向けて、宿泊と送迎を快く引き受けて下さった。
自分で言うのもなんだが、今までの人生を振り返っても、私は出会いにだいぶ恵まれている。信じられないくらい、ラッキーだ。旅先では特に、偶然出会った人たちに助けてもらうことがたくさんある。原付の旅で急な坂道の前で立ち往生していた時、押してくれたバイカーのおじさまたち。道端で座っているひもじそうな私に、大きなスイカをくれたおばあちゃま。その他にも、あげきれないほど、たくさん。思いがけない出会いは、いつだって旅の思い出として蘇る。
今回も、そんな出会いに助けられ、旅へ出ることができそうだ。よく、家を出発して帰るまでが遠足ですよ、と言われるけれど、今回の“遠足”もこの時点から始まっていて、すでに30%くらいは達成していると言っても過言ではない。とにかくトレイルを歩けることがうれしくて、浮かれた気持ちでバックパックに荷造りをし、現地へと旅立った。
“日本の背骨”、中央分水嶺を歩く
中央分水嶺、とは、読んで字のごとく、水を分ける嶺のことだ。ここを境にして、降った雨が日本海か太平洋のどちらかに流れる。降り落ちた雨水が海にたどり着くまでの壮大な旅路のはじまりの地点と思うと、そこに立つだけで自然のスケールを感じられる。
この、“日本の背骨”とも呼ばれる、日本列島の真ん中を通る中央分水嶺に沿うのが、全長38㎞の霧ヶ峰・美ヶ原中央分水嶺トレイルだ。今回の二泊三日の行程では、長門牧場~大門峠、大門峠~和田峠、和田峠~美しの塔と、コースを分割して歩く。途中には中信高原国定公園の霧ヶ峰・美ヶ原高原を含み、いくつかあるピークからの眺めはもちろん、多様で美しい景色が私たちを迎え入れる。
コースのスタートでもある長門牧場までは、ゲストハウスのオーナー、小金澤さんの車で送ってもらった。彼はこのトレイルの創始者のひとりでもあり、ルートや注意点、おすすめポイントを的確に教えてくれた(細かな道の特徴、景色などを目の前に見ているかのように言葉にしてくれるので、まるで自分までそこにいるような気持ちになる)。スタート地点につくまでに、アドバイスをしっかり頭に叩き込む。ちなみに、長門牧場からは、遠くにゴール地点の美しの塔が見える。こうやって全貌を見ると、俄然やる気もみなぎるものだ。
「いってらっしゃい!」と小金澤さんに見送られ、牧場脇にある木が生い茂った道をずんずんと進む。段々と牧場らしい広い牧草地を望む道になり、始まって早々、その雄大な景色に立ち止まった。そして、気づく。ここには、私しかいない。
今回は人生で初めての、一人での山行だ。ふとした瞬間ごとに、周りに誰もいない大自然の中にいる、という事実が迫ってくる。それは、贅沢、でもあるが、全ての行動の責任が自分の手中にあることへの、わずかばかりの恐怖、でもある。家でダラダラと過ごすのとは、わけが違う。このそこはかとない緊張感は、でも、なぜか心地よい。
9月上旬、すすきが所々に群生し、その穂は光を金色に映す。鬱蒼とした森の中、そこだけスポットライトが当たったように、輝いていた。背丈以上の草をかき分けながら進めば、虫は普段こういう景色を見ているのか、と新鮮な気持ちがした。このころから、自然の中にぽつんといる心細さも少しずつ薄れ、私たちも元々は、この自然の中からやってきたのだった、と思い出した。そうだ、ただ、忘れていただけだ。
そうこうしていると、女神湖に到着。観光客が歩き、レジャー施設があるのを目にすれば、さっきまでの“原始の気持ち”が一気にリセットされてしまった。少し残念な気持ちになりつつ、腰を下ろす。しとしとと雨が降っていたが、木の下にあるベンチは、雨が当たらない。しんとした湖を眺めながら、お昼を食べよう。
急登にみる、山行の魔力
やっぱり外で食べるご飯は、五割増しにおいしい。一休みしたら、再び歩き出す。一日目は平坦な道も多く、のんびりと森林浴を楽しむことができる。小川の苔むした岩場などは、本でも読みたくなるほど平和だ。
しかし、そろそろゴールに近いかという所で、一気に様相が変わった。目の前に立ちはだかったのは、上が見えない程の急登。木にはロープが渡され、それを掴むか、地面に這いつくばらないと登れないのではないか。私にしてみれば、それくらいの角度である。ここでもし、足を踏み外したら。見つけてもらうのはいつぐらいになるだろう。そんなことを考えながら、ふっと一息つき、気合を入れる。
足を出し、とにかく進む。太ももの筋肉がちぎれそうになったら、立ち止まる。決して後ろを振り返らない。バランスを崩しそうだから。ちまちまと亀のような歩みで、無心にひたすらロープにしがみついていたら、段々と空が見えてきた。そのとたん、今までの疲れがすうっとなくなっていく。よくやった、自分。誰もほめてくれないので、自分で自分をほめる。
坂の上にどうにか辿り着き、息を整える。着ていたシャツはびしょびしょで、バックパックまで濡れている。でも、気のせいではない。体はへろへろなのに、気持ちはとても晴々しい。きっとこれが、山行の魔力だ。
この日のゴールである大門峠まで到着し、静かな森にあるゲストハウスまで車で向かう。夕飯は女将さん手作りの、山菜や野菜が盛りだくさんの贅沢ご飯。そのまま食堂で、小金澤さん夫妻としばしおしゃべりを楽しんだ。
トレイルやこの地域のこと、お二人がここに来た時のこと、ここを訪れる人々のこと、いろんな話をした。「もう引退ですよ。」と、何度か小金澤さんは言っていたが、まだまだ精力的に活動されている様子に、自然と背筋が伸びた。「この宿も、本当はもう閉めてるはずなの。そこからもう10年以上経っているんですけどね。」今も積極的にはお客をとっていないのだと、女将さんは言う。そんな場所に辿り着けたなんて、私はやっぱりラッキーだ、としみじみし、また、今こうしてここにいることが、なんだか不思議に思えた。
気づけば8時前。お二人の醸し出すアットホームな雰囲気に、初日からだいぶくつろいでしまったようだ。明日に備えてぐっすり眠ろう、と意気込む必要もなく、ベッドに入ったらすぐに眠りについていた。
朝。女将さんお手製のお弁当をもって、ゲストハウスを出発する。二日目は一番きつい行程だが、なぜかとてもわくわくしている。そんな自分に少し驚きつつ、急登から始まるコースへ足を踏み出した。
美しき霧ヶ峰を行く
大門峠~和田峠までの間は、選ぶコースにもよるが、いくつかのピークを越える必要がある。つまり、この日、私はとてもよく登った。そして、同じく、よく下った。ここでは、しっかりとした装備はもちろん、ある程度の体力も必要である。体力的には厳しい日だったが、そんなことも吹き飛んでしまうほどの、数々の絶景に出会った。
草原の丘が広がる霧ケ峰高原。樹叢(じゅそう)と呼ばれる手つかずの木々だけでなく、人の手が入ったからこそできたこの草原の景色に、心を掴まれた。近代化が進む以前、人々はこの広大な土地で、肥料として草を刈り、度々野焼きをすることで、土壌を豊かに保ったそうだ。このような地域の営みがあったからこそ、この景観は出来上がったと、小金澤さんが教えてくれた。現在は生活形態や自然条件が変わり、徐々に景色が変化しつつあり、地域の人たちが保全のために、地道に活動している。
本当に美しいものとは、そう簡単に存在し得ない。美しい景色を見た時、その背後にあるものを、思うようにしている。私がここに辿り着くまでに、ここでは何が起こったのか、そこには誰がいたのか、そしてこれから、それはどうなっていくのか。私たちは、ただその瞬間の美しさだけを掠め取ってはいけないのだと、その景色が美しいほど、思う。壊すことは簡単だが、守ることは本当に難しい。そしてこの日、それをより強く思わせたのが、八島湿原だった。
八島湿原は12000年かけて堆積した泥炭層からなる湿地で、希少性も高く、国の天然記念物に指定されている。木道からその姿を見た時、口から出た言葉が形を成す前に、風に乗って消えていった。その景色を形容するには、どんな言葉も陳腐に聞こえる。体の中心から、何かがこみ上げてきて、なぜか涙になって外に出た。それは、色々な意味を含むものだったと思う。美しさへの感動、神々しさへの畏れ、自然の営みへの称賛、そして、このような美しい自然をひたすら壊してきた自分たちへの恥。
一人で歩いていると、どんなにぐちゃぐちゃの状態でも気にしないでいい。薄っぺらい言葉で周りに協調しなくていいし、気が済むまでものごとについて考えていい。湿原を前にしながら、私は悶々としていた。でも、それは必要なことだったと思う。一人でここに来られて、よかった。そして次は、大切な人たちとここに来たい、とも思った。
その後も変わりゆく美しい景色の連続に、ぼんやり夢見心地で歩いた。この日のゴールに到着すると、小金澤さんが迎えに来てくれて、家(ゲストハウス)に帰り、シャワーを浴び、おいしいご飯を食べた。ソファでひとしきりくつろいだら、ベッドに転がり、目を閉じる。気づけば、寝る時間になっていた。廊下の電気を誰かが消してくれたようだ。勝手に、お父さんと、お母さんと、(ちょっと大きめの)娘が一つ屋根の下にいるような気持ちになって、窓の外の森を眺めた。幻想的な霧が緑を包んでいる。明日は、最終日。再び目を閉じ、眠りについた。
人と、世界をつなぐトレイル
最終日はあいにくの天気で、序盤からほとんど霧が立ち込め、昨日のような景色は拝めなかった。でも、真っ白な世界を歩いていたからこそ、より内側へ目を向けられたように思う。歩きながら、山、そして歩くことと、私たちについて、考えていた。
山の中を一人で歩いている時に感じた、私たちは、ここにいたんだ、というあの不思議な気持ち。初めてだけど、昔から知っていたような、懐かしささえ感じるもの。私はそれを、“原始の気持ち”と名付けたが、それはその時、ああ、私はホモサピエンスだ、と実感したからだった。今も昔も、私たちは同じなのだと、なぜかその時、しっくりきたのだ。
トレイルは、昔からあるんですよ、と旅の最中で出会った人は口をそろえて言った。昔の人々が歩いた道のりや、伝統的な巡礼路などもトレイルなのだ(実際に旧石器・縄文時代の人が黒曜石を運んだ道、江戸時代の人が往来した中山道も、霧ヶ峰・美ヶ原中央分水嶺トレイルには含まれる)。そんな営みが、形は変われど続いていくことに、なにか逆らえないものを感じすらする。
山を登ることや、自然の中を歩くこと。それは私たちにとって、ただの労働とか、移動ではない。歩くとき、人は“世界”と向き合っているのだと思う。そこにある自然環境、地図や道が続くその先、そして自分自身やそこにいた人々、つまり過去や未来を、歩き、見て、感じる。その一連は、人と“世界”をつなぐものだ。
これは、小さな画面に向き合いながらつながる世界とは、違う。ゆるぎなく、偉大で、時には冷酷で、私たちがコントロールし得ないもの。そこから私たちが学ぶことは、たくさんある。そうやって学んできたから、私たちは今の世界や様々な文化を作り上げてきたのだろう。
私たちにとって自然の中を歩くことは、生きていく上でかけがえのないもの。そして、もしかしたら。どんなに文明が発展しようとも。その根源に、誰しもが立ち返るのかもしれない。
そんなことを考えながらいくつかのピークを通ったが、それにしても霧が深く、山頂からは徹底的に何も見えない。雨も降り始めた。全てが計画通りに行くことなんてない、と、今、まさに、私は学んでいる…!ここからの眺めは、また日を改めて楽しもう。景色は早々に諦めて、足早に歩みを進めた。
踏破することで見えるもの
美ヶ原高原に差し掛かったころ、霧が途切れ遠くのまちが見えた。まちには太陽がさんさんと当たっている。天気のあまりの違いっぷりに驚きながら、あれが、娑婆の世界か。と思ったが、いや、もしかしたら、逆なのかもしれない、とすぐに思い直した。
霧の向こうにぽつぽつと、放牧されている牛がいる。私が横を通ろうと我関せず、一心に草を食んでいる。近づくとその咀嚼音が聞こえるほど、静かだ。しばらくすると、朧げに美しの塔が見えてきた。この霧も、ここまでくれば、悪くない。
全長38㎞を歩き切り、とんでもなく達成感を感じるかと思ったが、実をいうとこの時、私はこの先の道のことを考えていた。この分かれ道は、どこに続くのだろうか。ここはまだ、通過点だな。そんな風に思う自分が、おもしろかった。
駐車場で小金澤夫妻と合流すると、「お疲れ様!よく歩いたね!」とねぎらってくれた。その時になって、やっとうれしさと実感がこみ上げる。トレイルを辿り、ここに来られたのは、紛れもなく二人のお陰だ。そして同時に、寂しさもこみ上げてきた。もうすぐこの旅が、終わってしまう。あの家からも、旅立たなければならない。でも、ふと、それが“旅”なのだ、とも思った。
「人生の波止場」。二人のゲストハウス『ダーチャ ベリオスカ』が、掲げている言葉だ。とても素敵だし、あの家に本当にぴったりの言葉だと、この時すとんと胸に落ちた。帰り道、再びいろいろなことをおしゃべりしながら、最後には、笑顔で、手を振ってお別れをした。船は波止場に流れ着いたら、また違う場所へと出港する。でも、またどこかのトレイルを歩くときには、きっと私は、あの家と、二人のことを思い出すのだろう。
帰り道、ビーナスラインを走りながら見た霧ヶ峰は、今までの霧が嘘のようによく晴れていて、その丘陵はゆるやかな波のようだった。その合間を抜けながら、それにしても、やっぱり、よく歩いたなあ、と、結局は自分で自分をほめるのだった。
【参考】
〈中央分水領トレイル〉
☞https://www.c-trail.com/
〈ダーチャ ベリオスカ〉
☞http://www.beriosk.com/
取材・撮影・文:櫻井 麻美
<著者プロフィール>
櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ごす。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/
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