スピードにのる爽快感、羽根が生えたような感覚、広がる世界
幼少の頃から、自転車を乗り回すことが大好きだったという。ママチャリに乗って近所を走り回っていた鈴木少年が、初めてロードバイクに乗ったのは中学生の時。
「ちょうどブラックバスの釣りが流行っていた頃で。行ったことのない湖に行ってみたいという一心で自転車をこいでいました。一日がかりで往復200㎞の道のりを走破したこともあります」
全身で風を感じる爽快感や、世界がどんどん広がっていくようなワクワク感。まさに、翼を手に入れたような感覚だった。同じ頃にテレビで「ツール・ド・フランス」を観たことがきっかけとなり、一気にスポーツバイシクルの世界に魅せられていく。
その後、見事、プロになるという夢を叶えた鈴木さんが移住先として選んだのが長野県松本市。子育てや生活に便利な土地でありながら、少し自転車で走れば豊かな自然が広がる――。そんな恵まれた環境に心を惹かれた。
どこを走りたいか、誰と走りたいか
ひと言でスポーツバイシクルといっても、さまざまなタイプがあり、車種によりそれぞれ楽しみ方が異なっている。山道やダート(舗装されていない荒地)を走るマウンテンバイク、長距離走行向けのロードバイク、もう一つが、マウンテンバイクとロードバイクの中間に当たる、街乗りにも適したクロスバイクだ。
「まわりにスポーツバイシクルに乗っている先輩や先生になるような方がいない環境だったら、汎用性のあるクロスバイクをおすすめしますが、大切なのはどこを走りたいか、誰と走りたいかということ。自然豊かな長野県であれば、どの自転車の本領も発揮できますが、一緒に走りたい仲間がいる場合は同じタイプの自転車を買いそろえるのがいいでしょう」
一台数十万円と値段が張るものの、操作性の難しさやサドルの座り心地といった壁にぶつかり、心が折れてしまう人もいるというスポーツバイシクル。途中で挫折をしないために大切なことは「一緒に走れるコミュニティに属すること」だと鈴木さんは話す。
「一人で孤独に乗っているとトラブルに対処できずに嫌になってやめてしまう確率が高いんです。ちょっとお尻が痛いと『私には合わない、もうやめる』と。その点、一緒に走れる仲間がいればいろいろ教えてくれるし、連れ出されているうちにだんだん快適に走れるようになる。仲間がいない場合は専門店に相談すると、コミュニティを紹介してくれることも」
峠から見渡すアルプスの稜線が最大のご褒美
自然豊かな長野県には、全国のサイクリストが憧れるたくさんの場所がある。たとえば、日本で一番高い山岳観光道路「乗鞍スカイライン」はヒルクライムの聖地。一般車両は入ることができないほか、E-bikeのレンタルも行っているので、初心者でも安心して絶景サイクリングを楽しむことができる。
「スポーツ自転車の醍醐味のひとつは峠の走破。苦労すればするほどその達成感は大きく、百名山に挑むように、次はあの峠を攻めてみたいという思いに駆られるんです。山の多い長野県はこうした峠がたくさんあるので楽しみは尽きません。南アルプスや中央アルプス、北アルプスといったダイナミックな稜線を望む峠もあり、苦労して上った分、感動が際立ちます」
四季折々の美しさにあふれている長野県。自然や季節を肌で直接感じれば、一層深く、旅の思い出が刻まれる。
3つのアルプス山岳をめぐる長野県一周サイクリング
2023年4月に公表された「Japan Alps Cycling Road」とは、3つのアルプスを巡りながら長野県を一周するダイナミックなサイクリングロード。官民連携のプロジェクトで、代表の鈴木雷太さん、副代表の小口良平さんが総延長878㎞のルート設定に尽力した。獲得標高はなんと15,000m。個性の異なる5つのエリアから成り、自然豊かな長野県の魅力を体いっぱいに感じることができる。
1つ目は、千曲川流域に広がる街並みや信越県境に横たわる山並み、牧歌的な景色が広がる北信濃エリア。勾配が少なく初心者でも走りやすいサイクリングルートながら、遅い春を彩る千曲川沿いの桜や菜の花は圧巻で、春の絶景が楽しめる。
2つ目は、千曲川流域をたどる東信州エリア。北には浅間山、南に蓼科山や八ヶ岳の山景色を望む爽やかなコースで、古城や宿場町など歴史が息づく街とのコントラストもおもしろい。
3つ目は、諏訪湖の周辺を起点に八ヶ岳山麓や中南信の各地域へとアクセスを楽しむ諏訪・松本エリア。今後、諏訪湖の周辺はサイクリングロードが整備されるのでファミリーでも気軽にサイクリングデビューが叶うほか、サイクリストに人気のヴィーナスラインなど、絶景を望む中上級者向けのルートまで網羅している。
4つ目は、世界のサイクリストも憧れる山岳を有する雄大な北アルプスエリア。山岳ツーリングの魅力と喜びを体感できるチャレンジングルートながら、北アルプスエリアは比較的走りやすく、どこを走っても魅力的な景色が広がっている。
5つ目は、木曽川の山あい、谷あいを走る木曽路、南アルプスと天竜川が形作る伊那路から成る中央アルプスエリア。信州の大自然が感じられるコースで、木曽から飯田に抜けるコースはサイクリストからの人気も高い。
信州のサイクリングに最もおすすめの時期は5月ながら、「一度に全部走るのではなく、今回は松本~白馬、次は長野~野沢温泉~飯山といった具合に、何度かに分けて訪ねると、花や新緑、紅葉と季節ごとの魅力を楽しむことができますよ」と鈴木さん。今後は、ルートの完成に伴い、順次、自転車が安全に走行できることを目的とした自転車専用の青い矢羽根や専用の案内看板等の整備が行われる。県内全域を安全で快適に楽しめる日が待ち遠しい。
<プロフィール>
鈴木 雷太(すずき・らいた)
2000年シドニー五輪MTBクロスカントリー日本代表。1972年生まれ、愛知県岡崎市出身。1995年からブリヂストンサイクル株式会社とプロ契約を結び、2007年まで13年間プロマウンテンバイク選手として活躍した。引退後はナショナルチーム監督として後進の育成に尽力する一方、松本市でスポーツバイシクルの専門店「BIKE RANCH」を経営し、その魅力を発信。ジャパンアルプスサイクリングプロジェクトの代表も務めている。
取材・文:松井 さおり 撮影:窪田 真一
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