休業中だった老舗温泉宿との運命的出会い。
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました」
帳場(フロント)に張ったスクリーン・パーテーションの向こう側に『叶屋旅館』主人今井さんの顔が見えた。カウンターに近づくとボーダー柄のハーフパンツを着ている。左手廊下奥で「いらっしゃいませ」と声がした。「嫁なんです。今掃除をしていまして」とほほ笑んだ。
今井さんが沓掛温泉に『叶屋旅館』を開業したのは40歳になった2019年の春。当初は5kmほど離れた田沢温泉エリアにゲストハウスを建設する計画だった。数件の物件を案内される途中、不動産会社担当者が思い出したように「すぐ近くの沓掛温泉に休業中の老舗温泉旅館があるんですが」と。“シニセリョカン”“オンセン”という響きに今井さんはたじろぐ。「あなたの体のためにもいいかも」。奥さんは今井さんの目を見つめた……。
今井さんには頸椎後縦靭帯骨化症という持病がある。靭帯が通常の何倍もの厚さになり、かつ骨のように硬化し、徐々に脊髄を圧迫するという病気。原因は解明されておらず指定難病とされている。
32~33歳ごろ、今まで経験したことがない首や肩の痛みを感じた。当初は仕事(電気機器メーカーのエンジニア職)の疲れが蓄積したのだろうと思った。しかし時間が経過しても改善はせず、むしろ少しずつ悪化している自覚が。やがて手足に強い痺れ・脱力や、巧緻(こうち)運動障害をも自覚する。痛みによる睡眠不足も続きとてもつらい毎日を送ったと打ち明けた。この頃はまだ自分が難病を発症しているとは知らなかった(医師の診断も異なっていた)。
症状がさらに重くなった2010年。今井さんは治療に専念する決意を新たにする。それから約5年間、病気の進行に恐怖を抱きながら各地の温泉へ湯治に出かける日々が続く。通院する病院も変えた。理由は大きな改善が認められなかったから。2015年春、今井さんは小県郡長和町にある『国民健康保険 依田窪病院』の診察を受けた。「すぐに手術をしたほうがいい」と伝える専門医の真剣な眼差しを今も忘れないと今井さんは振り返る。
「やっと信頼できるお医者さんと出会うことができました。手術後の経過もよく、私の未来も開けた気がしました。病院からあまり離れずに、術後のリハビリも兼ねて温泉地で暮らす計画が浮かんだんです。湯治に出かけ温泉に浸かると体の不調が緩和される実感がありました。それに以前から好きな土地でゲストハウス経営も考えていましたから。さっそく不動産屋さんへ連絡したんです」
沓掛温泉の中央、無音のお湯を湛える共同炊事場に今井さん夫婦は立った。その目の前には斜面に沿うように建つ『叶屋旅館』が二人を待っていた。
暮らすように宿を営む。自宅のようにくつろいでもらう。そして温泉がある。地域と老舗旅館が教えてくれた“コンテンツの引き算”
「もちろんリフォームが必要な箇所はありましたよ。でも時間をかければ自分たちで修繕できそうでした。全体的に状態がよく、休業中も女将さんがお掃除をされていたようで。とりわけトイレの奇麗さには驚きました。湯治の旅に出るようになって、私の宿評価基準で最重要ポイントなんです」
今井さんは『叶屋旅館』を購入した。「譲っていただいた」という感謝の気持ちが強いと教えてくれた。はじめは賃貸希望だった。当時の女将さんに病気の経緯、沓掛温泉との出会い、自分の体に“ぬる湯”が合っていること、そして経営ビジョンを伝えた。もちろん、トイレのことも。数日後、女将さんは破格の価格を提示した。
2019年4月。『叶屋旅館』の看板に明かりがともる。
夫神岳(おかみだけ)の西麓、標高670mの斜面に細長く奥行きを持つ形で建つ『叶屋旅館』。営業形態は“初志貫徹”の素泊まり。食事提供はなく共同キッチンが設置されている。完璧にプレスされた純白のリネン類もゲスト自らが扱うセルフサービスの宿だ。宿泊して気がついたことがある。それは静寂さ。時々開けた窓から集落の人の立ち話と野鳥の鳴き声が聞こえるだけ。共有の居間や浴室、そしてトイレへと続く木造廊下が軋む音も感じ取れない(部屋にトイレはない。各部屋専用のトイレが同階に設置されている)。素泊まりの宿ゆえの静けさなのだろうか。そう、この宿では予約をすれば隣接する居酒屋『千楽』で朝夕のお膳を堪能できるサービスを設けている。実は、休業中だった『千楽』に宿泊者への食事提供という協業をお願いしたのも今井さんだった。地産の食材を駆使した手作りメニューはどれも滋味あふれ、そのもてなしの愛情と安堵に心身共に癒される。癒しといえば……『叶屋旅館』のお湯は36度前後の“ぬる湯”。今井さんと沓掛温泉を結び、自らその効能を体感するアルカリ性単純硫黄泉だ。体への負担が少ない温度のため、じっくりと、まさに沈殿するように30分~1時間ほどの入浴が可能。温泉通からは「療養泉」と呼ばれている。二つの共同浴室は貸し切り制で、換気及び消毒・清掃が徹底されていた。
「『依田窪病院』の三澤先生、『叶屋旅館』『千楽』、そして大勢のお客さまとの出会い。それが運命だったのか、私にはわかりません。けれど幸運だったことは確かです。コロナ禍でもお客さまからのお問い合わせが続きました。宿泊できますでしょうか?と。私たちは6部屋しかなく食事の提供もしていないとても小さな素泊まりの宿です。夫婦だけで切り盛りできる範囲でのおもてなしかもしれません。お掃除やお布団の乾燥、除菌の徹底もコロナ禍以前から行ってきたことです。営業形態に大きな変化はありません。お客さまにはその部分に安心感を持っていただいたようです」
今井さんのように長野で自分たちの宿を営んでみたい……夢を抱く同世代にアドバイスをください、と尋ねてみた。
「今は先行きの予測がとても難しい時代です。私は無理のない緻密な事業計画を携え、青木村役場や商工会へ伺いました。応援していただきたい一心でした。沓掛地域の人たちへもお話しさせていただきました。施業も生活も自分たちが実現・継続できる範囲で、体も心も痛みをともなわないことが大切だと思います。足し算や掛け算ではなく、引き算が大切だったと。これがコロナ禍でも大きなダメージを受けなかった要因かもしれません。そして何より心から愛せる場所を見つけることですね」
チェックアウトのとき、玄関先まで見送りにきた今井さんが頭上の看板を振り返った。
「叶、って夢が叶う意味ですよね。先代さんたちは本当に素晴らしい屋号を命名しましたね。心から感謝しています」
閲覧に基づくおすすめ記事