TOP PHOTO:©︎伊藤圭
父の意思を継ぎ、かつて多くの登山者が歩いていた古道を復活させたい
伊藤新道は1956年(昭和31年)に開通し、北アルプス最奥の地である黒部源流域への最短ルートとして重宝され、1970年代頃まで多くの登山者が歩いていた登山道だ。伊藤新道ができる前、黒部源流域へは上高地から入り槍ヶ岳を経由して向かうルートしかなく、片道でも丸2日以上かかったという。1945年に黒部源流域に建つ三俣山荘(旧三俣蓮華小屋)の権利を買った伊藤圭さんの父、伊藤正一さんは、山小屋の再建における資材の運搬経路として利用するために7年という年月をかけてこの登山道を開通させた。正一さんがこの登山道を見つけた経緯には、こんな興味深いエピソードがある。
「購入した翌年に父が山小屋へ行ったら、マタギの人々に占拠されていた。怖いから泊まらせてもらい、料金を支払って帰ってきたらしいのですが…‥。そのときマタギの人に『上高地は遠いからこの谷に行ってみろ』とおすすめされたのが、後の伊藤新道だったんです。危ない道だったけどすぐに帰ることができたので、『いつか道にしよう』と思ったのが、最初の着想だったみたいですね」
圭さんいわく、伊藤新道の最盛期は、1956年に開通してからわずか15年ほどで終わってしまったという。
「伊藤新道の地質は、花崗岩が熱水変成を起こしてできたボロボロの赤茶けた岩肌なんです。だから道を作ってもすぐ崩れてしまう。それに加えて噴気帯がいくつもあり、そこから流れてきた毒ガスの影響でたくさんの吊り橋が腐食して落ちてしまった。それでも好きな人たちは、3本ほど残った橋を利用して歩き続けてきたんです」
伊藤新道はいつしか「行ってみたいけど、あの道って行けるの?」と、一部の登山者の間で不思議な存在として語り継がれてきた。圭さん自身が伊藤新道を初めて歩いたのは、山小屋スタッフにまじって草刈りを手伝いに行った高校生のころ。荒涼とした、ほかの登山道では味わえない雰囲気を子どもながらに感じ取り、それ以来虜になった。
「父からも『いつか復活させてくれ』というのを刷り込まれていました(笑)。父の存命中は具体的な動きがなかったんでんですけど、ずっと考えてはいましたね。いよいよ動き出したのは、コロナ禍に入って、山小屋自体の存続の危機を感じてから。宿泊業だけやっていても続かないし、地元の観光業者と組んで別のビジネスモデルを作り上げないと、文化として廃れてしまうと思いました」
そこで圭さんは、北アルプス大町エリアにおける様々なプロジェクトを推進するために「一般社団法人 ネオアルプス」(以下、ネオアルプス)を立ち上げた。また、クラウドファンディングを行って資金を調達したり、登山道整備等を手伝ってくれるボランティアを募ったりしながら、3年がかりで道の整備を実施。そして今年の夏、ついに伊藤新道の復活を実現させたのだ。
山と街を一帯化し盛り上げるさまざまな取り組み
圭さんは、伊藤新道を復活させるにあたって、大町市の活性化も重要だと感じていた。かつて大町市は、槍ヶ岳へ北側からアプローチする「裏銀座」の玄関口として賑わっていたが、「表銀座」の玄関口である上高地と比べて街から登山口へのアクセスが充実していないこともあり、近年では寂れてしまっているのが実情だという。
「いきなり『大町を復活させよう』と大騒ぎしてもそうはならないだろうから「三俣山荘図書室」を作りました。登山者が立ち寄ってくれてもいいし、全然興味のない人がここへ来て、山やアウトドアに興味をもってくれたらいいなと思って」
そしてもうひとつ圭さんが行ったことが「三俣山荘図書室」に大町市の行政関係者を呼んで勉強会を開いたことだ。
「かつては大町市街地から登山口の七倉までバスが走っていたのですが、近年はタクシーしか走らなくなっていたんですよね。そうすると、駅から登山口まで1万円近くもかかってしまう。そこで行政の人々と勉強会をして、その成果が『裏銀座登山バス』の運行に繋がりました。勉強会では、街歩きと組み合わせた登山とか、そういった楽しみ方の発信についても話し合いましたね。三俣山荘図書室もできたし、新しいお店も増えつつありますから」
こうした取り組みに加えて、圭さんは伊藤新道の起点となる湯俣に建つ「湯俣山荘」の復活にも着手している。この「湯俣山荘」は1956年(昭和31年)に正一さんが建てた山小屋で、伊藤新道と同じ運命をたどり40年間休業していた。現在急ピッチで改装を進めていて、今年の9月中旬にはオープンを予定しているそうだ。
大切なのは頂上を目指すことではなく、山でどんな体験ができるかということ
「これからは、たとえば頂上に着いて記念撮影したら『はい、これで登山終わり』という時代ではなくて、歩いている最中にどんな体験をするかのほうが大事だと思います。キャンプ泊をするにしたって体験のひとつですしね」
そう語る圭さんに、改めて伊藤新道と湯俣周辺の魅力について伺った。
「伊藤新道の魅力は、冒険ができること。ここはルートファインディングしなきゃいけないし、川も渡らなきゃいけない。整備しながらも、冒険的な要素をあえて残している箇所があります。賛否両論あると思うけど、それがやっぱり山登りだと思うし、僕も楽しいと思っているのはそういう部分だから。今まで見たことのないディープな世界を体験できます」 沢を登っていく高度な登山になるので、プロガイドやバリエーションルート(一般登山道ではない道)を歩くことに慣れている人と一緒に歩くのが安心だ。「湯俣山荘」をゴールとするのであれば、もっと気楽に楽しめると圭さんはいう。
「登山口の七倉から湯俣までの道には、原生林があります。また湯俣山荘から少し足を伸ばせば、川のなかに温泉が湧いているスポットも。噴湯丘という、不思議な石灰質の突起物があります。がんばれば自分で露天風呂を作ることもできますよ。登山道の標高差はほとんどないので、ファミリーでのハイキングにもおすすめです」
ビギナーも玄人も楽しめる環境が、伊藤新道や湯俣周辺にはある。自分の体力・経験に見合ったスタイルで、この地を歩いてみてほしい。多くの人が歩くことで、確かな道になっていくはずだ。
山と町をつなぐ拠点『三俣山荘図書室』
「北アルプスの玄関口」として知られ、かつては多くの登山者でにぎわっていた大町市。その当時のにぎわいを取り戻すべく、“山と町をつなぐ拠点となれば”という想いで圭さんが作ったブックカフェが「三俣山荘図書室」だ。
登山好きはもちろんだが、そうでない人も訪れる場所にしたい。
「人と大町市をカルチャーでつなげたい。何かテーマを持たせるなら何がいいかなとみんなで考えていたときに、『本がいいんじゃない?』って仲間の誰かが言って。それで図書室にしたんです」
山や自然関係の本をただ集めるだけでなく、興味がない人にも手に取ってもらえるよう、本棚のプロデュースをブックディレクターBACHの幅さんにお願いした。
そしてもう一つ。
「この店はブックカフェでありながらオフグリッドカフェでもあるのが特徴です。ここで使っている電気は全部、再生可能エネルギーなんですよ」。
オフグリッドとは、電力会社の電気を使わず、自然エネルギーを使い電気を自給自足すること。まさに山小屋と同じ。街中にある「三俣山荘」なのである。
「オフグリッドは二酸化炭素を排出しないんです。自然を守りたい、山を守りたいのはもちろんですが、子どもたちの未来を考えたら、このままでいいはずがない。オフグリッドのことをたくさんの方に知ってもらいたい。この場所を作ったのはそういう想いもありました」
山を守ること、ひいては人々の生活を守ること。
「山へ登って疲れたなぁって消費して帰ってくるのではなく、山は得るもの、教えてくれるものがたくさんあることを多くの人に知ってほしい」と圭さん。
自然エネルギーにはじまり、雨水を飲料水に利用する方法など、自然から学ぶことは無限にあるという。
「なんだか思想じみた話になっちゃったけど(笑)」
この場所で、何かを感じて帰ってもらえればいい。何も感じなくても、おいしいコーヒーとジビエ肉のホットドッグを食べてゆっくり過ごす。それだけでもいい。街中にある山小屋は、どんなゲストも歓迎してくれるはずだ。
取材・文:松元 麻希 撮影:平松 マキ
詳しくは〈北アルプス黒部源流 三俣山荘・水晶小屋・伊藤新道〉
☞https://kumonodaira.net/index.html
<著者プロフィール>
松元 麻希(Maki Matsumoto)
鹿児島県生まれ。転勤族のため、物心ついたときから高校生になるまで、全国を転々とする生活を送る。都内の雑誌出版社で9年間修業した後、フリーランスライターとして独立。2017年にスキー好きが高じて長野県松本市へ移住し、現在は南アルプスと中央アルプスの麓・伊那谷で暮らしながら、アウトドアやグルメを中心としたライター業に励んでいる。
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