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韮崎→佐久78㎞を踏破する「佐久市強歩大会」 己の限界に挑戦し、新しい自分と出会う旅

山梨県韮崎市から長野県佐久市まで78㎞を歩く「佐久市強歩大会」が、4月20日~21日に開催されました。今年で55回目を迎え、老若男女だれでも参加できる人気大会に、Go NAGANOライターが挑戦!
*出場者のゼッケンに画像処理を施しています。ご了承ください。

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TOP PHOTO:山梨県から長野県へ。夜を徹して歩き続ける
 

未知の挑戦に向けて

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「佐久市強歩大会」コースマップ

78㎞。長野駅からだとだいたい塩尻くらいまで。東京からだと小田原くらいまでだ。
佐久市強歩大会にほとんど勢いだけでエントリーしてしまったが、そんな距離を本当に歩けるだろうか。

東京から長野県佐久市に移住して4年目。この大会を知ったのは、移住して比較的すぐのこと。近所の登山好きのご夫婦から、大会の体験談を聞いたことがきっかけだった。歩いているときのつらさや、ゴールした瞬間の達成感。その話からは特別な経験をした興奮や楽しさが伝わってきた。

それ以来、「いつかは出てみたい」と憧れを抱きつつも、コロナ禍で大会が中止になるなどして、すっかり忘却の彼方へ。2023年の大会実施のニュースを機に思い出し、2024年は募集案内のホームページを見ながらさんざん悩み、締め切りが迫るころにようやくエントリーした。

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78㎞のコース上にはエイドステーションも設けられる

佐久市強歩大会が「競歩」でなく「強歩」なのは、目的が他者との競争でなく、『自己の体力と気力の限界に挑戦する』からだという。まさに、私にとっても未知への挑戦、限界への挑戦となることは間違いない。

スタート地点は、山梨県韮崎市の韮崎小学校。韮崎駅から徒歩10分ほどの場所だ。そこから清里(山梨県北杜市)、野辺山(長野県南牧村)を経て、小海町、佐久穂町を歩き、佐久市の総合体育館でゴールする。距離78㎞、標高差1036m。制限時間は18時間。途中にはチェックポイントが8カ所あり、関門時間が設けられている。飲み物や食べ物が提供されるエイドステーションもあり、沿道にあるコンビニや自動販売機の利用もOK。前回大会の踏破率は73%だったようだ。

冬場はスキーに明け暮れている私。3月下旬になって、ようやく付け焼刃でジョギングを始めたが、足底腱膜炎になりかけて中断してしまった。トレーニング不足は明らかだが仕方ない。今回は初参加だし、とりあえず行けるところまで行ってみよう。

いちばん悩んだのは装備だった。78㎞を歩く装備など、まったくイメージがわかない。そんな私の救世主となってくれたのが、強歩大会に出場したことがあるという行きつけの鍼灸院の先生だった。
「荷物はとにかく軽く。食べ物は持たなくても大丈夫」という先生のアドバイスだったが、心配症の私は、スポーツ用のジェルと、塩分補給のタブレット、チョコレートや羊羹をいくつか持った(結果的にジェル以外はほとんど不要だった…)。
先生からのもうひとつのアドバイスは寒暖差だった。「野辺山では氷点下、佐久に下りてくると20度を超えることもあって、体がついていかないんですよ」
今年の大会当日の天気予報を調べると、野辺山の最低気温はなんと7度。天気が崩れる前だからか、南風が入り暖かくなる予想だった。日曜日は曇りで、気温があまり上がらず、佐久の最高気温は18度ほどの予想だ。これはかなり良い条件なのではないだろうか?
とは言え、私はかなりの寒がり。特に下半身を冷やすと調子が崩れるので、下は冬季のランニング用ロングパンツにした。上は、半袖Tシャツ+アームカバーで、ウィンドブレーカーを1枚追加した。

10代から80代まで。当日参加者は873名!

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開会式は韮崎小学校の体育館で
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参加記念のキャップと反射タスキ。目印として着用する

大会当日、19時半ごろにスタート地点の韮崎小学校に到着した。体育館にはすでに大勢の参加者が集まっていた。グループや親子、夫婦で参加している人も多いようだ。

受付の後、開会式が始まった。当日の参加者は総勢873名。最年少は12歳、最年長は84歳だそうだ。連続踏破の最多記録は39回で、今回で40回目の踏破に挑むという。
グラウンドに移動し、午後9時、ついにスタートの笛が鳴った。なんとも言えない緊張感と高揚感だが、不思議と心地よく感じる。今から1000人近い参加者全員が、同じ目的地をめざして歩くのだ。

夜を徹しての野辺山越え

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いよいよスタート。緊張感と高揚感が心地よい
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清里が近づくと登りの勾配がきつくなる
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野辺山のエイドに到着。夜明けが近くさすがに肌寒い

第1チェックポイントまでは先頭を抜くことは禁止されており、集団で歩く。ペースに若干の差はあるので抜いたり抜かれたりもするが、全体としてわりと早めのペースだ。
土曜日の夜9時とあって、韮崎の街には人が多い。いい感じにお酒が入ったご機嫌な方たちが賑やかに声援を送ってくれた。参加者も笑顔で返している。

1~2時間ほど経つと列がばらけてきた。コンビニに立ち寄る参加者も増えてくる。沿道にいくつもあるコンビニは、参加者のオアシスだ。
道も登り基調になり、少し汗ばんできた。やはり気温が高いのだろう。第1チェックポイントにはちょうど日付が変わる頃に到着した。ここからは走ることも可能となる。しかし初出場ということもありペース配分が分からない。最後に潰れるのは避けたい。少し考えた結果、走らずに早歩きをキープすることにした。

野辺山までは長い長い登りが続く。急坂のある大門ダムは難関のひとつ。登りが苦手な私は、筋力を使い過ぎないようにペースを落とした。

午前3時半ごろ、野辺山のエイドに到着した。JR鉄道最高地点のすぐ脇だ。さすがに肌寒くなり、ジャケットを羽織る。野辺山ではカップラーメンの提供があり、補給を兼ねて休憩することにした。普段は味が濃いと感じるカップラーメンがとても美味しく、スープまで平らげてしまう。トイレにも行き、なんだかんだで30分も休憩してしまった。

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夜明けで9度。暖かい朝を迎えた

野辺山から先は長い下り坂だ。走れる人にとっては、絶好の飛ばし区間だろう。だが、ゴールまではまだ44㎞もある。鍼灸師さんの「野辺山からの下りは抑えて」というアドバイスが蘇り、小走りを交えながらも早歩きを続けることにした。

夜明けを迎え、辺りが明るくなってきたころには、さすがに脚に疲労が出始めていた。また、このころ私を苦しめていたのは、一人で延々と歩き続けるという孤独さだった。誰か仲間を誘って出場すればよかった……。もう誰でもいいから話をしたい!
そんな私を救ってくれたのは、沿道の誘導スタッフさんたちだった。「頑張ってください」「気を付けて」と声をかけてくれて、落ち込んだ気分を何度となく持ち上げてくれた。偶然、スタッフをしていた知り合いに出会った。「もう先が思いやられますよー」と弱音を吐いた私に、知り合いは笑顔で「もう半分過ぎてるよ!大丈夫、大丈夫!」と励ましてくれた。夜を徹して参加者を導き、支えてくれるスタッフさんたちは、まさに陰の立役者だ。

情緒ある佐久甲州街道。歴史に想いを馳せる余裕はなし

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百花繚乱の山里の風景に少しだけ癒される
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佐久甲州街道沿いの桜が満開
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佐久までの20㎞が長いのなんの……

大会コースである国道141号は、概ね「佐久甲州街道」に沿っている。かつては甲州往還とも呼ばれ、善光寺参りや、食料・材木などの物資輸送に利用されたらしい。改めてゆっくりと宿場町巡りをしたら面白そうである。

海ノ口宿では、風情ある町並みのなかをゆく。さらに海尻宿を過ぎ、佐久甲州街道の最難関だったという海尻洞門を通過。断崖絶壁の景観に目を引かれる。
脚の痛みはさらに強まってきたが、蛇行する千曲川の流れや、春爛漫の山里の風景を眺めていると、少し癒される。
精神的には、この辺りが一番つらかった場所だろう。頭がボーッとして、調子が上がらない。眠いのかもしれないと思って5分ほど休んで目を閉じたが、頭の芯が冴えて眠れない。「佐久まで21㎞」の道路標識を見て気が遠くなった。

限界を超えたラスト10㎞

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普段見慣れた浅間山が見えたときはホッとした
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佐久市に入ったが、もう心身ともに限界
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佐久市総合体育館でのゴールの瞬間

あと10㎞。この辺りはもう生活圏内だ。走ればものの1時間ほどだが、脚が痛すぎてとても走れない。このペースだと何時間かかるのだろうか……。
北部消防署のエイドでは30分くらい休憩したかったが、長く休んだら歩き出せなくなる気がして、滞在5分で歩き出す。
すでに脚の痛みは極限まで達し、足裏はジンジンと痺れている。「もうリタイアしたい」と湧き上がる気持ちを押し殺して、ノロノロと歩く。沿道からも声援が送られるが、なんとか笑顔を返すのが精いっぱい。道路脇の看板に書かれた「ここまで歩いてきた自分を褒めてあげて」というメッセージを見た瞬間は、思わず涙が出そうになった。いかん、いかん。まだゴールしていないのに。

佐久大橋で本当に限界が来た。橋を渡った先で、私は路肩に座り込んだ。あとたった3キロなのに。もう動けないかもしれない……。悔しくて、少し泣きそうになった。
「大丈夫?」「もう少しだよ、頑張ろう」と、参加者たちが声をかけてくれる。私とほぼ同じペースで歩き、常に近くにいた人たちだ。もう、抜いた、抜かれたという順位は関係なかった。みんな、ここまで歩いてきた「仲間」だった。それは声をかけた側も、かけられた私も、無言のうちに理解していた。

10分ほど休んだが、脚は回復しなかった。私は諦めて立ち上がった。ゆっくり行けば、絶対に辿りつけるはず。とにかく焦らないで行こう。
「マイペース、マイペース」と唱えながら、一歩一歩足を出していった。気付くと、佐久の体育館はすぐそばだった。私は一目散にゴールへ向かった。限界を超えた脚が突然動くようになり、小走りになってゴールを切った。

ゴールした瞬間は、達成感や嬉しさよりも、とにかく安堵感でいっぱいだった。長い闘いが終わったのだ。もう歩かなくて良いと思うと、なぜか涙が出てきた。ホッとすると涙が出るって本当なんだな、と私は思った。

78㎞を通して気付いた「挑戦」の大切さ

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さまざまな景色、さまざまな自分と出会った78mの旅

ゴール後、踏破証の賞状をいただいた。タイムは14時間47分59秒。我ながら長い時間、頑張ったものだ。受け取った賞状を眺めていたら、これまで歩いてきた78㎞、約15時間が蘇ってきた。

78㎞を歩き通した達成感はとてつもなく大きかったけれど、得られたものはそれだけではなかった。歩いている間、さまざまな気持ちの浮き沈みがあった。すぐに甘えたがる自分や、意外と頑張れる自分。もうダメだと諦めそうになった自分、限界を乗り越えてゴールにたどり着いた自分。そんな新しい自分との出会いが、私にとってはいちばんの収穫だった。
「挑戦」は自分の新しい可能性を引き出し、人間としての幅を広げてくれる。そして「挑戦」は78㎞歩かなくても、日常のなかでできることがいっぱいある。これからは少し勇気を出して、いつもと違うことをしてみよう。その大切さに、78㎞を歩いて気付くことができた。


取材・文・写真:横尾 絢子


「佐久市強歩大会2024」開催内容:http://sakutaikyo.pasmail.jp/?p=2629
「佐久市強歩大会2024」結果:http://sakutaikyo.pasmail.jp/?p=2807

<著者プロフィール>
横尾 絢子(Ayako Yokoo)
編集者・ライター。気象予報士。高校時代より登山に親しむ。気象会社、新聞社の子会社を経て、出版社の山と溪谷社で月刊誌『山と溪谷』の編集に携わる。2020年、東京都から長野県佐久市に移住したのを機に独立。六花編集室代表。現在はフリーランスとして、主にアウトドア系の雑誌や書籍の編集・執筆活動を行なう。プライベートではテレマークスキーやSKIMO(山岳スキー競技)を中心に、季節を問わず山を楽しんでいる。日本山岳・スポーツクライミング協会SKIMO委員。

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