特集『長野の大自然に魅せられ愛し続けるプロフェッショナルたち』 信州の山歩き地図を描き続けて30年超。描いた地図は1000枚以上! 元県警山岳遭難救助隊長が描く、山のイラストマップ
長野県の山の登山口で、素敵な手書きイラストマップの看板を見たことはありませんか?県内あちこちで見ることができる、このイラストマップの制作者は、『信州山歩き地図』シリーズや『長野県の名峰百選』の著者、中嶋豊さん。元長野県警山岳遭難救助隊長であり、山の遭難救助に長年携わりながら、山の地図を描くことを続けてきました。現在は退職されて長野市にお住まいの中嶋さんに、作品づくりに対する想いや、山との関わりについてお伺いしました。
TOP PHOTO:山のイラストマップの制作を手がける中嶋豊さん
登山の記録として描き始めたイラストマップ
これまで、多くのイラストマップを描かれてきた中嶋さん。著書には、『信州山歩き地図』の「Ⅰ東信・北信編」、「Ⅱ中信・南信編」、「Ⅲ東信・北信の里山編」、「Ⅳ中信・南信の里山編」、長野県内の著名な山を選んだ『長野県の名峰百選』(上・下巻)、県内の128の山城を紹介した『いざ!登る信濃の山城』があります。このほか、観光用の登山パンフレットや、山小屋で販売されているバンダナやクリアファイルといったグッズにも、中嶋さんのイラストが採用されています。
中嶋さんが、山のイラストを描き始めたきっかけは、「登った山を忘れないため」だといいます。たくさんの山に登っても、時間が経つとどんな山だったか忘れてしまうため、備忘録のような目的で描き始めました。
最初は、自分のためにイラストを描いていた中嶋さんですが、そのうち、作品を利用させてほしいという話が出てきたそうです。
長野オリンピックの前に、県警がホームページを立ち上げたんです。交通規制などの情報発信をすることが目的だったのですが、アクセス数を増やすためにオリンピックまでの間、地図を掲載させてほしいと言われて、イラストマップと解説文を載せました。そうしたら、私の山のページが総アクセスの30%とか40%を占めるようになってしまったんです(笑)。また、救助隊長をしているときに、講演会でイラストマップを紹介したら思いがけず好評でした。そういうのが楽しみで、当時は描いていましたね」
印象的な題字、鮮やかな色味。独自の作風の作品づくり
もともと絵を描くことは得意ではなかったという中嶋さん。長年の制作を経て、作品をバージョンアップしてきたそうです。
「最初のころの作品は、今よりずっと下手で、お見せできないようなものです(笑)。この佐久穂町の茂来山は、最初に描いた地図は黒一色で、ただの線図ですよね。後に描いた地図では、植生を細かく書き込んだり、色を増やしたりしています」
イラストマップの制作は、山に登り、取材をするところから始まります。小さな手帳とペンを持ち、何度も立ち止まりながら道の特徴を記録していきます。カメラも必携装備で、特徴のある場所を中心に写真を撮影します。
複数のコースがある山などは、何度か足を運ぶこともあるとか。また、新しく出版されるたびに歩き直してコースをチェックするため、ひとつの山で何枚も描くことがあるそうです。
下山後は、手帳のメモをもとに、ご自宅でイラストマップ制作に取りかかります。
「最初は、えんぴつで下書きをします。下書きがいちばん時間がかかる工程ですね。山の立体感を出すのが難しいです。下書きができたら清書をして、消しゴムで下書きを消します。その後に色付けにかかります」
色付けの際は、きれいな色使いを心がけているそうで、カラーボールペンやポスターカラー、色鉛筆、絵具など、さまざまな文具を駆使して仕上げていきます。
特徴的な山名の題字は、筆ペンで下書きをし、文字の縁取りを本番の用紙に鉛筆で写し取って、仕上げているそうです。
「題字を描くのがいちばん楽しみなんですよ。旗で文字を囲ったり、字体を工夫したりしています。題字をいちばん最初に描くことも多いです」
中嶋さんの地図に表現されている、鮮やかな色彩、筆文字の題字といった“作風”は、長年の制作を経て、少しずつ築き上げられてきたものでした。
とくに筆者が気になっていたのは、方位を示す鳥のイラスト。なぜか「ホーイ」と叫ぶ鳥が描かれていることが多く、中嶋さんに理由を尋ねてみました。
「特に理由はないんですよ(笑)。初期のころは鳥ではなくて、ただの方位記号だったり、ロケットの絵だったりもしました。鳥の絵を使い出したのは、そのほうがかわいいかなって。鳥がいちばんしっくりきて、子どもたちが見て『かわいい』って言ってくれたので、それが多くなってきました。今では、もうほとんどが鳥になっています」
登山に必要な情報を1枚にぎゅっと凝縮
中嶋さんのイラストマップは、コースタイムや豆知識など、さまざまな情報が1枚の絵に詰め込まれています。パッと見ただけで、その山の概要を理解することができるのは、適度にデフォルメされたイラストマップならではの利点と言えます。
とはいえ、登山という目的で利用される以上、実用的なものでないといけない、とも中嶋さんは言います。
「間違いがあると遭難に結びついてしまうので、誤ったことだけは書かないように気を付けています。適当に描いていると、間違ったほうに誘導してしまいますから。細かいつづら折りの曲がり角を忠実に表現したり、階段を数えながら歩いたりもしていますよ。ただ、イラストマップだけに、距離感のようなものを出すのは大変ですね。大きな山でも、この1枚に収めなくてはいけないので。空いたスペースには、山についての説明やコースタイム、花のイラストなどを描いています。初めてその山に行く方が、山の概念を意識付けするには良いものではないかと思います」
迷いやすい場所、危険な場所などには、元山岳遭難救助隊長だった中嶋さんの経験が生かされています。
「黄色や赤色で描き込んでいるのは、注意してほしいところです。経験上、だいたい事故が起きそうな所は分かりますし、過去にあった遭難事例なども分かります。そういうところは、赤字で注意を書き込みます。転倒に注意とか、ここでルートを確認とか、濃霧時は道迷いに注意とか……。これまでの山岳救助の経験が役に立っています」
山の魅力にはまって、刑事志望から山岳救助隊へ
中嶋さんがこれまで登った山の数は相当なものですが、意外にも中嶋さんが山に登り始めたのは、山岳救助隊に入ってからでした。
「最初は刑事を目指していましたが、23歳のとき、職場のレクリエーションで、救助隊のOBに連れられて涸沢や北穂高岳、奥穂高岳に登ったんです。そうしたら、登山が自分にピッタリ合ったんです。秋の涸沢の景色も本当に素晴らしくて……。いや、これはすげぇな、って感動して。OBからも救助隊員になることを勧められたので、山岳救助隊の希望を出したら、運良くそれが通りました」
山岳救助隊員となった中嶋さんは、遭難救助に多数出動し、経験を積んでいきました。涸沢常駐の際には、登山家の長谷川恒夫氏とともに、北穂高岳の滝谷を登攀したこともあったそうです。
「長谷川恒夫さんは、涸沢でテントに泊られていたときに、よく救助隊の基地に遊びにきていました。それで親しくなって、「ちょっと滝谷入ろうか」って一緒に登らせてもらったんです。山だと有名な方ともなぜか気楽に話せて、色んな人と知り合いになれるのがいいですよね」
県内外の山に登り、描き続ける、多忙な毎日
さまざまな山に登れるようになったのは、救助隊長を引退した後でした。県警の地域課に勤め、救助隊の指導などで山に関わる仕事をしながら、県内各地の山に登り始めたといいます。
「異動でさまざまな警察署に行くので、時間が空いたときに半日で登れる里山などにも行くようになりました。自分の担当エリアを離れることはなかなか難しいので、必然的に長野県内の山ばかりを登ることになったんです。ただ、そうやって長野県の山を登り始めると、登っていない山があるのが面白くないんですよね。他の人が『ここの山に行った』という話をしていて、自分が登っていないと、次の日に行ってしまうこともありました」
今では、長野県内で登山道がある山の8割方は登っているそうです。登山道のない山に足を運ぶこともあり、登った山の数という点では、最も長野県の山を登っている県民では?と思ってしまいますが、中嶋さんは首を横に振ります。
「いえいえ、マニアックな方はいっぱいいらっしゃるので、私よりも多くの山を登っている方は大勢いると思いますよ。ただ、形に残している人は少ないと思います。私の場合、山に登って地図を描いて1座とカウントします。富士山や剱岳にも登っていますが、地図はまだ描いてないのでカウントしていません。地元の人しか知らない小さな山も、登頂数から抜いているものがあります」
現在は、山城の書籍の続編と、日本百名山の作品制作を進めているとのこと。お勤めを退職されて、活動の場を自由に拡げられるようになった中嶋さんは、現役時代に勝るとも劣らない、忙しい日々を送っているようです。
「山城は一日で4つくらいずつ登っていて、それと並行して地図も描いているんですよ。地図だけでなく、文章も書かなくてはいけないので、図書館で町村史を閲覧するなどして、山城の歴史を調べています。文章を書くことや歴史があまり得意ではないので、そこがいちばん大変ですね(笑)。日本百名山は72座まで登りましたが、まだ北海道や西のほうの山が残っているので、そこも登りにいく予定です」
これからもたくさんの山に登り続けたい、と話す中嶋さん。登山の魅力について、こう話してくださいました。
「良い山はいっぱいあり、同じ山でも季節ごとに魅力が異なります。都会の方々が何度も長野県に登山に来る理由が分かりますよ。また、高い山も、里山や山城も、行ってみて初めて発見や感動を味わえます。“すごいなぁ”とか、“いいなぁ”とか、“こんな感じだったのか”とか……。やっぱり山は実際に行かないと魅力は分かりませんね。深田久弥さんの日本百名山も、なんでこんな山が入っているんだろうと思うこともあるのですが、行ってみると魅力が分かります」
山を愛する中嶋さんは、多くの人に登山の楽しさを広めたいという想いを抱くいっぽうで、登山者の安全についても強い想いをお持ちでした。
「山というのは、最初からリスクを負って行くものですから、知識や経験に合った山を選び、よく下調べをして準備を整えていただきたいですね。遭難事故は、全国的には道迷いが3分の1くらいを占めていて、とくに里山は迷いやすいです。長野県は転滑落の事故が多いですが、山慣れしていない方が稜線から違う方向へ降りてしまうなどの事故も起きています。少しでも迷いそうな場所は、知っている人と一緒に行くべきです。私も一人で登ることが多いですが、入念に下調べをして、分からないことがあるときは事前に知っている人に聞くなどしています。登山は常に危険が伴いますが、安全に十分配意して楽しんでいただきたいと思います。“無事に帰って初めて登山”ですから」
中嶋 豊(なかじま・ゆたか)
1952年生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町出身。
1976年、長野県警察山岳遭難救助隊員に指名、遭難救助に多数出動。
1980年、オーストリアなどで山岳救助技術研修。
1981~82年、87~90年の2度、県警航空隊でレスキューを担当。
1996~98年、長野県警察山岳遭難救助隊第9代隊長。2013年退職。
1980年、長谷川恒夫氏と北穂高岳滝谷ドーム中央稜、P2フランケ等を登攀。
安全登山等についての講演多数。
・長野県山岳遭難防止対策協会山岳遭難防止アドバイザー
・信州山の達人
・長野県自然保護レンジャー
・長野県希少野生動植物保護監視員
・中条山岳会員
・太郎山系を楽しくつくる会会員
・信州大学山岳友の会
・風越山を愛する会協力会員
●著書と作品
『信州山歩き地図』Ⅰ~Ⅳ(信濃毎日新聞社)
『長野県の名峰百選』(上)(下)(信濃毎日新聞社)
『いざ!登る信濃の山城』(信濃毎日新聞社)
その他、案内地図やパンフレット、大型看板など多数。
取材・文:横尾絢子 撮影:杉村 航
<著者プロフィール>
横尾 絢子(Ayako Yokoo)
編集者・ライター。気象予報士。高校時代より登山に親しむ。気象会社、新聞社の子会社を経て、出版社の山と溪谷社で月刊誌『山と溪谷』の編集に携わる。2020年、東京都から長野県佐久市に移住したのを機に独立。六花編集室代表。現在はフリーランスとして、主にアウトドア系の雑誌や書籍の編集・執筆活動を行なう。プライベートではテレマークスキーやSKIMO(山岳スキー競技)を中心に、季節を問わず山を楽しんでいる。日本山岳・スポーツクライミング協会SKIMO委員。
閲覧に基づくおすすめ記事