憧れから使命へ
35年前に東京都八王子市から戸隠村(現:長野市戸隠地区)に移住した秦さん。きっかけは、高校の卒業旅行で訪れた戸隠スキー場での出会いだった。「かっこいいユニフォームに身を包んだピカイチの滑り」を披露するインストラクターに憧れ、大学在学の4年間、毎冬戸隠スキー場へ通い詰めたという。大学卒業を控え「戸隠フランススキー学校」の校長に「ここでインストラクターの一員として働きたい」と申し出たところ「だったら戸隠に住め。覚悟を決めて来い」。その言葉を受け、大学時代の居候先だった「ロッジアルム」に間借りし、宿や系列の土産店で働き、冬はスキーの講師を務める生活が始まった。
言わずと知れたそば処・戸隠の地域内には30軒のそば店が軒を連ねる。一方で、そば以外の食事を提供する店は少なかった。スキーガイドでフランスを訪れた秦さんは、雪遊びの合間にコーヒーを嗜む現地のスタイルに触れ「海外ツーリストの増加も含め、食の選択肢を広げることがこれからの戸隠に必要なのでは」と考え、1999年(平成11年)に「小鳥の森」を開業。戸隠に移住して10年が経った頃のことだ。
地元の方と結婚し子どもも生まれ育った。店はもうすぐ26年目を迎える。住まいの天窓から満天の星空を見ながら眠りにつき、戸隠連峰が赤く染まるモルゲンロートを眺める朝を過ごし重ねてきた。「ね、いい暮らしでしょ」と秦さんは微笑む。
「小鳥の森」開業以前から、公益社団法人日本山岳ガイド協会(JMGA)と長野県の信州登山案内人などのガイド資格を取得するとともに、戸隠エリアの風土・歴史などの勉強を続けた。知識や経験、先見の名を活かし、古くから参拝道として利用されていた善光寺から戸隠神社奥社に至るまでの「戸隠古道」を地図化や、各所のいわれをSNSで発信も。眠っていた魅力を“開拓”してきた。そして、昨今注目を集める電動アシスト付き自転車・イーバイクの推進をも早々に唱え、ルートを整備するなど“アクティビティの聖地・戸隠”の構築をけん引してきた。すべての活動の根底には「戸隠の魅力を俺が発信する」という気概がある。そんな秦さんがいま注力しているのが「スノーシュー」だ。
戸隠は積雪2mを超える豪雪地帯。日本海からの湿った雪雲は戸隠連峰に阻まれ、それを越えることができるとサラサラのパウダースノーをもたらす。戸隠スキー場は“魔法の粉雪”と称される雪質と、ギアの性能を堪能するのにもってこいの場所だ。スポーツとしてのスキーに加えて「フィールドそのものを楽しむ雪遊びができたら冬の戸隠の魅力がより多くの人に伝わるのではないか」との想いから、当時国内ではマイナーだったスノーシューをいち早く取り入れた。日々ガイドツアーを受け付けている。今回、秦さんが「唯一無二」と表するスノーフィールド・戸隠へ誘っていただいた。
戸隠スノーシューコース「1」
小鳥ヶ池から硯石、そしてダウンヒル
「小鳥の森」でスノーシューを借り、秦さんの愛犬・ロッソに手を振って道路を渡る。雪原でスノーシューを装着した後、歩き始めるとそこかしこに動物の足跡が見えた。「これはウサギの足跡だね。並行するようにキツネの足跡があるから、においや足跡を追ったんじゃないかな」と秦さんが言う。ウサギは無事なのか心配になりながら、5分も経たないうちに着いた「小鳥ヶ池」。戸隠山をはじめとする戸隠連峰の景色が広がり、その名のとおり数多くの野鳥が生息する。冬本番には結氷し湖上を歩くことができるが、天候によって注意が必要なため、ガイドがいると心強い。「へりは怪しいから避けよう」という秦さんに付いて横断する。
「小鳥ヶ池」から夏道を上りカラマツ林を15分ほど進むと、一つのピークを迎え「硯石」に到着。大きな石に雪解け水が溜まっている。ここは北アルプスなどの山々を望む絶景ポイントであると同時に“鬼女紅葉伝説”ゆかりの地でもある。秦さんが手前の「荒倉山」と「一夜山」を指差しながら「戸隠とそのお隣りの鬼無里で語り継がれる伝説の舞台で……」と“鬼女紅葉伝説”とは何か、から分かりやすく説明してくれた。
先に進めば「鏡池」につうじるが“お楽しみ”が待っているため今回は引き返す。帰りのルートは行きとは異なり、人の足跡がない坂を下る。上から見下ろすとなかなかの急斜面で、不安になっているのを察した秦さんが「かかとから滑るように」とお手本を見せてくれた。とはいえ、転びに転んだがそれも一興。終始和やかなムードで「小鳥の森」に戻った。
さて、“お楽しみ”のチーズフォンデュセットをいただく。腕を振るうのはもちろん秦さんだ。4種のチーズなどをブレンドした甘すぎないチーズフォンデュソースにフランスパンやジャガイモ、ウインナーなどの具材をディップ。この他、イタリア産の粉を使ったこだわりのピザとサラダが付く。通常メニューではないため別途予約が必要。ランチに限らずディナー利用も可能で、スノーシューツアーと一緒に申し込むお客さんが多いという。寒い冬をアクティブに楽しんだ後のチーズフォンデュは格別だ。ワインと一緒に味わえば、より贅沢な時間になる。
戸隠スノーシューコース「2」
原始的な森と信仰の歴史を今に伝える、奥社の杜(もり)
秦さんにもう一つ、スノーシューコースを案内してもらった。戸隠を象徴する景色の一つ、奥社参道杉並木を含む約51ヘクタールの「戸隠神社奥社社叢(しゃそう)」=通称・奥社の杜だ。スギやハルニレ、ブナ、ミズナラ、シナノキなどさまざまな樹木が森をなし、江戸時代に社叢(境内の森)として伐採が禁止されてから400年近く自然破壊から守られてきた。1973年(昭和48年)には長野県の天然記念物に指定されている。夏場は薮に覆われ立ち入ることができないが、雪の絨毯が敷かれた冬。一帯はフラットなフィールドに様変わりし、絶好のスノーハイクコースとなる。
参道入口の大鳥居をくぐり、向かって左へ参道を離れる。「戸隠森林植物園」の敷地内に入ると所々に鳥の巣箱がかけられていた。聞けば地元の子どもたちが設置したものらしい。もみの木が立ち並ぶエリアに入ると「ここは森の匂いがするね」と秦さん。さらに歩みを進めると森の景観が変わり、杉の木に囲まれ、厳かな空気が漂う。ここからほぼ一直線に歩き、奥社参道の中間に建つ朱塗りの「随神門」へ向かう。静寂の中で聞こえるのは「ギュッギュッ」と雪を踏む音だけだ。
奥社のご分霊は1月上旬から4月後半ごろまで、戸隠神社中社にお祀りされる。この間、奥社の社殿は閉所となり雪崩の危険性があることから「随神門」を出て杉並木より先は進入することができない。「随神門」の前で秦さんから戸隠神社が寺院だった時分のこと、杉並木は幾度となく人の手によって整備されてきたことを聞き、拝観する。
細かい雪が降り始めていた。今度は参道を右側に逸れる。視界が開けた場所に出て顔を上げると戸隠山が眼前に迫っていた。堆積した雪と黒い岩肌のコントラストによって霊山たるゆえんが際立ち、美しいだけでは形容し難い姿に畏敬の念を抱く。「荘厳だね」とぽつりと言った秦さんと一緒に山容を眺め、少ししてから“王様の木”に会いに歩き出す。
“王様の木”の名で親しまれる幹囲5mを超えるミズナラの巨木は、冬にしか会うことができない奥社の杜の精霊。「年取ったなあ」と秦さんが親しみを持って言葉をかけていた。この辺りからミズナラが多くなり、明るい景色へと移ろう。鳥の声が頻繁に聞こえ、居場所を探しながら進むと、あっという間に参道の入り口に戻っていた。
自然も歴史も体感できるスノーフィールド・戸隠
2つのコースを歩いただけでも、さまざまな物語との出会いがあった。湖上を歩く体験や山並みの絶景、この地に縁ある伝説、愉快な雪原のダウンヒル。400年もの間守られてきた原始的な森の豊かな植生、神域の静寂に響く雪を踏みしめる音、戸隠山の険しさ、そして信仰とともにある人の営み。秦さんは言う。「自然の絶景美に限らず、歴史的背景や伝承などに触れる“一歩踏み込んだ”スノーハイク。それが叶うのが戸隠です」。
スノーシューツアーの最中、コース解説の他にも近況から人生相談まで、いろんな話をした。普段はラジオDJのような軽快な口調の秦さんは、リスナーの声にしっかりと耳を傾けてくれ、不思議と本音がこぼれたように思う。それはきっと、戸隠の地をリスペクトしコミュニケーションと勉強を重ね、伝え続けた人となりがにじみ出ているからだろう。
最後に今後の展望を聞くと「スキーを含め戸隠エリア全体がアウトドア・アクティビティエリアとして確立されるよう情報発信を続けたい。具体的には……まあ、追々ね」と照れくさそうだ。アウトドア・アクティビティの聖地――戸隠……私はそう信じて疑わない。
*天候や積雪状況によって、スノーシュー散策の是非やコース内容の判断が必要となります。ガイドに一度ご相談ください
秦さんのガイドツアー詳細はこちら
☞https://tbg-kotorinomori.jimdofree.com/
撮影:武井智史 イラストマップ:渋沢恵美 取材・文:松尾奈々子
<著者プロフィール>
松尾 奈々子(Nanako Matsuo)
1993年生まれ。長野市出身・在住。
記者・観光地広報担当を経て、現在はフリーライターとして活動中。顔は大福に似ているといわれる。人の話を聞くことが好き。
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