不思議な縁が導いた「野辺山宇宙電波観測所」と「長野県は宇宙県」
現在は「国立天文台野辺山宇宙電波観測所」の特別客員研究員と「株式会社南牧村振興公社」の観光推進室室長をも務める衣笠さん。そもそもなぜ、星に関わることになったのでしょうか。
「出身は兵庫県です。兵庫県というと神戸を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、私が住んでいたのは岡山県との県境で、星がそれなりにキレイに見えるところでした。そこから星に興味を持ち、中学2年生くらいのときに望遠鏡を買ってもらったことを覚えています。その望遠鏡を使って星を見ると、肉眼では見えないようなものが見えまして、星について自分なりに調べ、いろいろなことを考えるようになりました」。
そして、高校を卒業するころには、天文の知識を深めたいと思うようになり、神戸大学へ進学。大阪大学の大学院ではX線天文学を学びました。就職先については、研究の道に進むことも考えたそうですが、星のすばらしさを多くの人に伝える仕事に就きたいと、群馬県にできた「ぐんま天文台」への就職が決まりました。
「『ぐんま天文台』では、研究もしながら10年間ほど勤めました。そして、少し環境を変えようと移り住んだのが長野県の下諏訪町です。その時に、「野辺山宇宙電波観測所」から声を掛けていただき、約10年、地域と観測所をつなげる役割を担わせていただいています」。
実は、働く以前にも「野辺山宇宙電波観測所」を訪れたことがあったそうです。それは大学のサークルの夏合宿で、宿泊したのはお隣の川上村でした。天文サークルに所属していましたので、夜は星空の観測をして、昼間に観測所の見学に訪れました。「その時は、まさか自分が働くことになるとは思いもよりませんでした」と、不思議な縁に驚きが隠せません。
「長野県に住むようになって感じたことは、長野県は全体にわたって、居住区と星空が非常に近いのが特徴だということです。また、平均標高が高いため、大気が澄んだところでは星がより明るく感じるのも大きな特徴ではないでしょうか?
先ほどお伝えしたとおり、職場はここ野辺山ですが、住居は下諏訪町で、下道を使って約1時間30分となかなかの距離があります。職場である野辺山も好きな観賞スポットではあるのですが。帰り道で車を止めて見上げる星空もいいですね。また、住居近くの諏訪湖での星空も、暑い季節は静かな波の音を聞きながら眺めることができます。そういった意味でも、野辺山から下諏訪までにある星空がありがたいですね」。
「長野県は宇宙県」という言葉は、この「野辺山宇宙電波観測所」で生まれたんですよ」と衣笠さん。施設を見学に訪れた方々に、「長野県は宇宙県なんですよ」と言って、案内していたのだそうです。しかし、あまり対外的には浸透せず、転機となったのは、川上村出身の油井宇宙飛行士が、川上村で「亀の恩返し」という報告会を開いたとき。
「『野辺山宇宙電波観測所』の所長もその報告会に参加し、長野県の阿部知事と言葉を交わす機会があり「長野県は宇宙県なんです」といった話をしたそうです。それを記憶していた阿部知事が、木曽を訪れた際に「長野県は宇宙県だと野辺山で聞いたんだけど」と話され、それをきっかけに、「それぞれの地域が個別に動くよりも、みんなで集まって何かをした方がいい」となり、「長野県は宇宙県」の活動がはじまったんです」。
そして2016年11月23日。ちょうどタイミングよく、すばる望遠鏡と信州大学がコラボした公開レクチャーが行われる予定があり、こんな機会はなかなかないと、ミーティングを開くことになりました。プラネタリウムに携わっている方、メディアの方など、メンバーが直接アプローチできる方々に声を掛け、結果的に100人くらいの方々が信州大学の松本キャンパスに集まることに。それが「長野県は宇宙県」の第1回目ミーティング、「松本宣言」でした。
「野辺山宇宙電波観測所」を発端として、「長野県は宇宙県」がスタートしました。
「それ以来、私も事務局長として関わってきています。長野県には、学術、趣味、観光、教育など、いろいろな立場で星空と関わっている方がいらっしゃいますが、多様な方々が同じテーブルで話し合え、多くの方が一致でき、そして協力しあえること。それが、「長野県は宇宙県」の特徴ではないかと思います。ただ、やはり県内外の一般の方々への知名度は低いので、長野県の星空のすばらしさをどうやってPRしていくかが一番の問題ですね」。
今まで、観光に訪れる方々に向けて行ったイベントは、2017、2018、2019年に実施した、長野県内にある天文や宇宙に関わる研究施設やプラネタリウム、星空に親しめる宿泊施設などを巡るスタンプラリーや、2020年に行ったキーワードラリーなど。2021年以降は「長野県は宇宙県」として一般の方々への目立ったイベントは実施されていないのが現状です。
コロナ禍も大きな要因のひとつですが、それだけではなく、長野県に星を見にきてくれた方々に、その魅力を充分に伝えられる人材が不足しているのではないか、という課題があるからだそうです。
「長野県内には星がキレイに見える場所が多いとはいっても、長野県の晴れの日は約3分の1日しかありません。残り3分の2日は満天の星空、というわけにはいかないのです。では、星が見えないときは、どのように観光客の方に楽しんでいただけばいいのか。そのためには、星のことだけではなく、長野県に生息する動物や、植物といった自然全体の話ができる人材を育成する必要があるのではないか、という声が上がっています。現在、人材育成の方法や、人材が確保できた後に、どのようなプログラムを行えば「長野県は宇宙県」の魅力を伝えることができるのかと、話し合いを進めているところです」。
宇宙からくる電波をとらえ、宇宙の謎を解き明かす!世界最先端の観測研究施設
ここ「野辺山宇宙電波観測所」は、国立天文台の電波観測の1拠点です。広さは東京ドーム2.7個分くらいあり、1982年に開所されました。観測には標高が高く、水蒸気の少ない場所が適しています。また、人工の電波が少ないことも重要です。その点野辺山は晴天率が高く、カラッとした気候に加え、周りを山に囲まれていることから、その山々が人工的な電波を遮ってくれます。これらの条件から、野辺山の環境は宇宙電波の観測に最適な場所だといえるのです。
施設の中には45m電波望遠鏡、ミリ波干渉計などがあり、日本の電波天文学の水準を一躍世界レベルに押し上げた施設といえます。40年を経た今でも45m電波望遠鏡は、世界最先端の観測研究が行われており、冬の観測シーズンには昼夜を問わず望遠鏡が稼働しています。電波観測は文字通り宇宙から来る電波をとらえて、宇宙の姿を解き明かします。また、45m電波望遠鏡は、30年ほど前に、世界で初めてブラックホールの証拠を掴みました。
「建設当時、この観測所は国内最高の研究施設であったんです。観測所を設立された先生方によって、施設内を自由に見学できるようにしたんですよね。今では当たり前になっていますが、当時は「研究施設を公開するなんてとんでもない!」という時代だったんですよ」。
1982年から始まった一般見学は、バブル期には年間で10万人以上の方々が訪れることもあり、現在までの合計数は、約340万人に上っています。
「きちんと調べたわけではないですが、地方にある研究施設としては飛び抜けた数字ではないでしょうか。そして、そのひとりが大学生時代の私というわけです」。
現在も、観測所を訪れた方々は、年末年始(12月29日~1月3日)を除いて、毎日自由に施設内を見学することができます。また、週末の昼間を中心に不定期で「星空学びの部屋」も開催。これは、立体メガネをかけ、星空の解説とともに、宇宙の仕組みについて学ぶことができるプログラムです。ほかにも、観測所のOBが天文台解説員をつとめる有料ガイドツアー(南牧村振興公社ホームページより要予約)や、夜に行っているナイトツアーや撮影イベントなども開催。今後はさらにイベントの数や回数を増やしていきたいと考えているそうです。
「野辺山宇宙電波観測所」がある南牧村の星空は、以前民放の番組で、沖縄県の石垣島、岡山県の美星町とともに、天文学者が選ぶ「日本三選星名所」のひとつとして選ばれました。
「『野辺山宇宙電波観測所』で行っている電波観測は、周囲に遮るものがないこと、周りに電波を発するものが少ないことのほかに、空気中の水蒸気が無いという条件が最も重要です。そのために必要なのが、冬の寒さです。かといって、あまり北の方に行ってしまうと今度は南の方の星空が見えなくなってしまう。そこで、電波観測に適しているということは、つまり星空観測にも適している場所ということなんですよ」。
「ここ野辺山は、山奥にある天文台などとは違って、国道やJRなどが通り、アクセスも悪くありません。また、標高が高いことから、星の明るさがより際立って見えるところだと思います。特に冬の空に広がる満天の星空は、息を呑むほどの美しさです。ただし、冬はマイナス15℃からマイナス20℃になりますので、寒さも身に染みるのですが(笑)」。
そんな南牧村の星空の美しさをより多くの方々に知ってほしいと、周辺のホテルなどでは、星空を案内するイベントなど、星空を観光資源とした取り組みを行っています。
「2019年に締結した南牧村と国立天文台の協定に基づいて、野辺山観測所を使った星空案内を今年からスタートさせました。毎週というわけではありませんが、土曜の夜を中心に実施しています。7月の土曜日はほぼ毎回定員を超えるほどの申し込みをいただきました。これまで夜間は入れなかった観測所に入る体験ができることも売りになっているのかなとも思います」。
星空撮影イベントでは、星空と45mの電波望遠鏡を一緒に撮影できるという点も他にはない魅力です。
「年に数回行っている撮影イベントも喜んでいただいています。関心のある方はぜひご参加ください」。
「「長野県は宇宙県」に携わっているメンバーの方々は、単純に「星が好き」ということだけでなく、さまざまな立場から意見を発し、星以外のことがらへの熱量も多く、多様な意見を交換し合うことができていると思います。ただ、多様な意見の中でも、「長野県」というキーワードはメンバーの認識の中で共通しているように思われ、出身地はそれぞれ違うけれど、長野県という土地、長野県で見る星、山、湖が好き。そういった長野県への想いをひしひしと感じます。だからこそ、「こんなにすばらしいものが長野県にあるのに、伝えきれていない」という想いも強いのかもしれません」。
他県でも、星が好きな人同士の集まりはありますが、県全体を通しての集まりは珍しいそうで、衣笠さんも実際に「同じ県民で集まって、星や宇宙に関する話ができるのは、とても珍しいことなんだよ」と言われた経験があるそうです。
「そんな貴重な集まりを継続的に行っていくことはもちろん、県内外の方へ向けて、長野県の星空の魅力をもっともっと発信することができるように、努力していきたいと思います」。
また、衣笠さんの想いとして、ここ「国立天文台野辺山宇宙電波観測所、そして南牧村をもっと多くの皆さんに知ってもらいたいという願いも。
「南牧村と国立天文台の協定に基づいて、観測所をもっとオープンにしていきたい。そのために、昼だけでなく、夜の利用も増やしていければいいなと思っています。 その先駆けとして、2023年の12月14日のふたご座流星群の日に、星空撮影イベントを開催しようと考えています。今まで行ってきた撮影イベントは、深夜0時までとしていましたが、今回の双子座流星群は明け方に最も動きが活発になるため、深夜0時までというわけにはいきません。明け方まで開催するとなると初の試みとなりますので、より楽しんでいただけるように、現在を検討しているところです。また将来には、隣にある「ベジタボールウィズ」か観測所常設の光学望遠鏡を設置して、定期的に観望会が開けたらいいなとも考えています」。
観測所のすぐ近くに位置する「ベジタボールウィズ」。迫力ある3D映像を見ながら、野辺山で鑑賞できる星空や星座を分かりやすく解説してくれるプラネタリウム「グローブシアター」では、まるで宇宙にいるような臨場感が楽しめます。観測所に訪れた際には、ぜひ「ベジタボールウィズ」へも足を運んでみてはいかがでしょうか。
〈国立天文台 野辺山宇宙電場観測所〉
住所:長野県南佐久郡南牧村野辺山462-2
TEL:0267-98-4300
開館時間:8:30~17:00
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)
https://www.nro.nao.ac.jp/
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取材・文:児玉 さつき 撮影:佐々木 健太
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