街からわずか1時間で、満天の星が煌めく別天地へ
国立長野工業高専で教鞭を振るう傍ら、研究者、星景写真家としても活動を行っている大西さん。高専での担当科目は物理学と地球科学で、物理学の基礎から、天文・宇宙、地球史から地震、気象にまで話が及ぶ講義を展開しています。
思い起こせば、物心がついた頃から、大西さんの人生には常に宇宙の存在が近くにありました。アポロ11号が月面着陸に成功したのが小学生になる頃。クラスの仲間と天文同好会を作り、毎日のように宇宙の話やロケット談義に花を咲かせていたといいます。中学生になってもその熱は冷めることなく、昼間は太陽黒点観測、夜には天体観測を毎日していました。チャーム粒子の発見とホーキング博士の話をテレビで見たことがきっかけに、宇宙の謎を解くのは物理学だと気づき、ブラックホールの熱力学の分野で博士号を取得。その後、系外惑星探査から流星、市民科学の研究などを行ってきました。一方、星を見ることへの想いは、小学生の頃はスケッチで、その後、写真で表現をしながら、星空と風景を同時に映し出す星景写真という分野を切り開いてきた写真家でもあります。
「小さな頃からロケットが好きだったのですが、宙(そら)に興味を持つようになったのは、4歳の時に故郷で体験した年末の出来事がきっかけでした。今でもあの日の光景が目に焼き付いていますね」。
時刻は、まだ残照が残る黄昏時。北アルプスの山の上に整然と並ぶ星の姿に気が付きました。
「紺色の空の中、山の真上に3つ星が縦に並んで昇っているのです。新星や超新星のような、なにか特別な現象が起きたのではないかと心配し、慌てて天文台に連絡しようと思ったのです」。
幼き大西さんが見つけたのは、オリオン座の三ツ星。星の名前もまだ何も知らなかった頃に、自分で発見したことがきっかけで、宙の沼に引き込まれていきました。
20代の頃から忙しい合間を縫ってはあちこちを訪ねて回り、大西さんは星景写真をカメラに収め続けています。
「西部は日本アルプスの3,000m級の山々、東部は志賀高原や浅間山、八ヶ岳といった2,000m級の山々に囲まれている長野県は、都市部の光が届かない恵まれた星空環境下にあります。さらに素晴らしいことは、どの街からも少し車を走らせるだけで満天の星空に出合えるということ。たとえば、車で1時間も走れば、標高1,000mほどの“高原”に行くことができます。標高が1,000mを超えると雲海の上に出られ、空気の透明度もぐっと上がるため、圧倒的に美しい星空が見えるのです」。
長野市を例に挙げると、飯綱高原、戸隠高原、志賀高原、菅平高原などが車で1時間圏内。大西さんによると、戸隠が曇り予報の時も、菅平に行けば満天の星を仰ぐことができるといいます。松本市からであれば、乗鞍高原や美ヶ原高原、霧ケ峰高原にアクセスしやすく、旅の行程や天気予報に合わせて臨機応変に行き先を選ぶことが可能です。
「山に登ると星を近くに感じる」という話をよく耳にしますが、これは本当の話。街明かりから離れることで空が暗くなり、3~4等級暗い星まで見えることや、標高が高くなると空気が澄んで、より暗い星まで見えるようになるため、肉眼で捉えられる星の数が一気に増えるのだとか。一等級暗い星が見えるようになるだけで、夜空に広がる星の数はなんと3倍に。都会から比べると、星の数は100倍以上になります」。
「2,000mまで上がると1,000m地点よりもさらに暗い星が見えるようになるので、下界に比べて星の数が2~3倍に激増します。街なかの明かりも入らないため、同じ星でも高地で見ると一層明るく感じられるのも、星を近くに感じる所以です」。
星空を愛してやまない大西さんですが、その楽しみは「夜の地上風景があってこそ」と続けます。
「風光明媚な場所から見上げるからこそ、長野県の星空は一層格別なものなのです。たとえば、目の前に森や湖が広がり、遠くに山並みが連なる墨絵のような世界。ここに星空が加わることで、奥行きのある素晴らしい世界が展開されるのです。視覚情報が多すぎて昼間は気づくことがなかった落ち葉を踏む音や森のにおい、風の冷たさ――。五感が研ぎ澄まされる夜だからこそ、自然や地球、宇宙との結びつきを強く感じられることでしょう。その瞬間、遥か138億年の彼方から届く星の光と足元の葉っぱ一枚までが、すべて自分の世界の一部となるのです」。
もちろん、天候に恵まれて美しい星空と出合えれば申し分ありませんが、残念ながら星降る夜が毎日続くわけではありません。季節や場所にもよりますが、1週間のうち、晴れるのはせいぜい2日程度。しかし、こうした楽しみ方を知っていれば、例え曇ったり雨が降ったりしても、忘れがたい旅の思い出に変わります。
「星空観光と聞くと、晴れの日しか楽しめないと思っている方が多いのですが、夜の風景を五感で楽しむというスタンスがベースにあると、運よく星空が広がった時の感動もひとしおだと思います。星が輝く夜も、車でパーッと来て1カ所で立ち止まり、『わあ、きれい!』と言ってすぐに立ち去ってしまったのではもったいないですよ。風やにおいを感じたり、森に響くカサカサカサという音を楽しんだり、ふかふかの土の上を歩いてみたり。こういうことを体感することで、記憶の奥に思い出が刻み込まれていくのです。都会では絶対に味わえない世界ですよ」。
月夜もまた然り。大西さん曰く「星空観光するなら新月がいい」というのは間違いだといいます。
「タイミングによっては、時間差で満天の星と強烈な月明りの両方を楽しむこともできますよ。それに、電気がたくさんついている都会にいたら、月が明るすぎて困るなんて経験は絶対に得られないでしょう? でも、真っ暗な森の中にいたら、月という強烈なライティングに包まれている世界もわくわくするようなシチュエーションに変わるわけです。空が明るくなる分、見える星はその分少なくなるけれど、そういう夜は美しい月を愛でればいい。闇夜に浮かび上がる森のシルエットを眺めながら、月明りを頼りに散歩をするのも楽しいものです」。
こう並べると、わざわざ高原まで車を走らせなければ星空が楽しめないようにも聞こえますが、実は長野県内全77市町村で、天の川を観測できることが証明されています。
「街の活動が盛んな夕方の時間帯でも、77市町村のうちの1/4ぐらいはそれぞれの役場からでも天の川を見ることができることがわかっています。人が寝静まる深夜であれば、多くの市町村の街の中でも天の川が見えることでしょう」。
日本で宇宙に近いこの場所から、美しい星空の魅力を発信していく
3,000m級の峰々がそびえ立ち、平均標高も高い長野県では、美しい星空が各地に存在しています。この恵まれた星空環境の下、日本を代表する天文学の研究機関や関連施設、宇宙航空産業施設、天文同好会が集結。プラネタリウムや公開天文台も各地に点在していて、県内全域で星空観光を楽しむことができます。
そもそも、国立天文台の「野辺山宇宙電波観測所」やJAXAの「臼田宇宙空間観測所」、東京大学の「木曽観測所」といった日本の天文学界をけん引する天文施設が長野県に集中しているのはなぜなのでしょうか。
「たとえば、3,000mの八ヶ岳と2,500m級の秩父山脈に囲まれた野辺山高原は、こうした山々が東京や都市部の電波ノイズを遮断してくれるため、宇宙からの微弱な電波を捉えるのに適しています。電波が目で見えるとしたら、野辺山高原はすごく暗い場所。ここまで真っ暗なエリアというのは、日本ではすごく少ないんですよ。また、標高は1,300mとそこまで高くないのですが、まわりを高い山に囲まれている特殊な地形により、放射冷却が起きやすく、頻繁に全国1位の寒さを記録するほど冬場は冷え込みます。星の誕生の様子などを観測するのに使う“ミリ波”と呼ばれる波長の短い電波は水蒸気に吸収されやすいので、乾燥していて気温も低い野辺山はまさにミリ波観測に最適な場所なのです」。
県内には12カ所ものプラネタリウムが点在することについては、このように言及しています。
「長野県は、人口比率で見ると最もプラネタリウムが多い県。教育県という理由もありますが、天文学者や天文教育者を多く輩出している日本で一番古い市民天文同好会『諏訪天文同好会』の影響により、天文教育に関して長い歴史を持っているということも大きな理由のひとつといえるでしょう」。
こうした「宇宙に近い」という素晴らしい資産を多くの人たちと共有し、魅力を伝えていくために2016年から始まったのが「長野県は宇宙県」の活動。大西さんはこの活動の提唱者の一人で、取りまとめである「長野県は宇宙県」連絡協議会の代表を務めています。
「長野県は宇宙県」は、天文研究者や科学館職員、アマチュア天文家による任意団体。『長野県は宇宙県』を合言葉に、『宇宙に近い』長野県の特徴や魅力を広く伝える活動に取り組んでいます」。
活動の軸は、主に「観光」「地域振興」「観測環境維持」「人材育成」の4つ。まずは、一般の人に星空の魅力を伝えるべく、長野県内の天文施設やイベントを巡るスタンプラリーを2017~2019年に実施しました。
「観光業界を巻き込んで活動を展開しているのは、巡り巡って観測環境の維持につながると考えているから。星空観光で集客が叶えば地域振興にもつながり、必然的に『美しい星空環境を守ろう』という意識や行動に結びついていくと考えています。たとえば世界遺産にするためには地域が振興していなければいけないですし、星空環境の保護にも地域の協力なくして成り立ちません。地域が活気づき、星空環境も守れる未来を作っていけたら最高ですよね」。
新型コロナウイルスの影響でなかなか実現できずにいましたが「今後は市民向けの大星空第観望会を開催したい」と大西さんは話します。
「街の中できれいな星空を見るのはなかなか難しいので、ライトダウンキャンペーンと組み合わせて実施できたらいいなと思っています。たとえば流星群のピークの日など、天文イベントがある日にカウントダウンをして一斉に灯りを消してもらえば、普段見えているはずの星空が光害でいかに見えていないかを体感してもらう機会にもなると思うのです。長野県内であれば明るい流れ星はみな同時に見ることができるので、ラジオ局と一緒に星空中継をするというのも楽しそう。『あ、流れましたね。この流星は……』と解説をしたり、みんなが同時刻に同じ空を見上げたりするようなイベントを開催したいなと思っています」。
星空の存在が身近になることで、何気ない普段の会話に天体の話が出てきたり、星空や宇宙に興味を持ったりする人が増えることを、大西さんは願っています。
「星空や宇宙との関わりが日常的にある世界を作っていけたら、こんなにうれしいことはありません」。
取材・文:松井 さおり 撮影:平松 マキ
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