撮影:松沢伸一 春の白馬三山。本文を読んで「代掻き馬」の雪形をさがしてみましょう。
安曇野に春を告げる雪形
松本平から安曇野にかけて、この地域を象徴し地元で最も愛されている山が「常念岳」です。そしてこの常念岳から左手に目を移していったところにあるなだらかな山塊が「蝶ヶ岳」で、この山も多くの人々に親しまれています。
さて、この2つの山の名前は山肌の残雪が形作る「雪形」に由来を持つ点で共通しています。
真冬には真っ白だった山が、春の雪解けで露出した山肌の黒色と、残雪の白色によってさまざまな模様を浮かび上がらせます。この模様こそが、「雪形」です。毎年同じ形で現れる雪形を、地元の人たちは常念坊というお坊さんや、羽を広げた蝶に見立て、それを山の名前にしたわけです。
5月初旬~6月の初旬に現れる蝶ヶ岳の「蝶」
写真・スケッチ:田淵行男
雪形は、ただ眺めるだけのものではなく、地元では古くから農作業をはじめるサインとしても伝承されてきました。「常念坊が現れたら農作業をはじめよう」といった具合です。
農事暦と結びついた最も象徴的な雪形は白馬岳(しろうまだけ)の「代掻き(しろかき)馬」です。山腹に現れた馬を田を起こす代掻き馬に見立てたもので、古くからこの馬が現れたら代掻き(=田起こし)をはじめるサインとして白馬村一帯で知られていました。そもそも白馬岳という山名は、代馬岳(しろうまだけ)の誤用であったとも言われています。
現在は雪形と結びつけて農作業スケジュールを決めることはほぼありませんが、蝶ヶ岳に蝶が現れたら春の訪れをしみじみと感じる、という長野県民は多いのです。
南北に屏風のように連なる北アルプスには、はっきりとしたものだけでも実に25態の雪形があるといわれています。
5月初旬~6月の中旬に現れる白馬岳の「代掻き馬」。この記事の最初の写真からも代掻き馬を探してみましょう。
写真・スケッチ:田淵行男
鹿島槍ヶ岳の「鶴」は3月下旬~5月中旬に、「獅子」は4月下旬~5月中旬に現れます。
写真:丸山祥司、スケッチ:田淵行男
春の北アルプス山麓を歩こう
雪形はかなり標高の高い場所に現れるので、見える範囲が広く、散策の途中で時々立ち止まって探してみるとよいでしょう。
白馬岳の代掻き馬は白馬駅を中心とした一帯から見ることができます。このあたりは近年アウトドアの専門ショップが立ち並ぶので、お気に入りのアウトドア用品を探すのも楽しいものです。
大町市の大町山岳博物館からは、鹿島槍ヶ岳の鶴と獅子が見えます。この博物館は安曇野アートラインと総称される、このエリアに点在する約20のミュージアムのひとつです。雪形を眺めながらアートラインの美術館をたどるのも印象深い思い出になることでしょう。
あずみ野はわさびの産地としても知られ、わさび田はぜひ行ってみたいスポットのひとつです。清冽な水の流れのなかに広がるわさび田の散策は、ほかでは得られない体験です。わさび田周辺からは常念岳の常念坊をはっきり見ることができます。
雪形について深く知るなら田淵行男記念館へ
わさび田から少し南に移動すると、そこに「田淵行男記念館」があります。
この地に移り住み、山や蝶の写真を取り続けてきた日本を代表する山岳写真家で高山蝶の研究でも知られる田淵行男さんは、雪形をこよなく愛し、地域の古老を訪ね歩いて雪形に関わる伝承を集めました。本記事でご紹介している雪形の写真とイラストも、田淵氏によるものです。
田淵行男記念館では、氏の撮りためた山や蝶の写真や絵を鑑賞できるほか、雪形についての情報を得ることができます。とてもわかりやすい「雪形マップ」を販売しているほか、年により雪形の写真展が開かれることもあります。そしてなによりこの記念館からは蝶ヶ岳の蝶をはっきりと見ることができます。蝶の写真を生涯取り続けた田淵さんは、春の蝶ヶ岳に蝶が現れるのを毎年心待ちにしていたといわれます。
雪形は日本全国の山々に存在し、それぞれの地域で言い伝えられてきています。そんななか、ここ北アルプス東側はとびぬけて雪形が集まっているエリアです。散策やサイクリングや美術館めぐりなど、旅のさまざまなスタイルにあわせて探し当ててみましょう。
記事で取り上げた以外の北アルプスの主な雪形
白馬乗鞍岳:鶏(尾長鶏)[5月初旬~下旬]
小蓮華岳:嫁岩[5月下旬~6月初旬]
小蓮華岳:仔馬[5月中旬~6月上旬]
白馬鑓ヶ岳:双鶏[5月下旬~6月初旬]
白馬鑓ヶ岳:鶴首[5月下旬~6月初旬]
八方尾根:そばまき爺さん[7月初旬~中旬]
八方尾根:手斧打ち[5月中旬]
五竜岳:武田菱 4月初旬~下旬]
爺ヶ岳:小さい種まき爺さん[5月中旬~6月中旬]
爺ヶ岳:大きい種まき爺さん[5月初旬~6月初旬]
東天井岳:仔犬[6月中旬~7月初旬]
前常念岳:万能鍬[5月中旬~下旬]
閲覧に基づくおすすめ記事