名物スイカで喉を潤し、天空の山小屋へ
ようやく合戦小屋に到着した。ふーっと大きな息を吐き、ザックを下ろす。燕山荘まではまだ1時間ほど登るが、残りの行程に目途もついたし、休憩していこう。
合戦小屋には名物がある。松本市の波田産のスイカだ。冷たくて甘く、水分たっぷり。火照った体に、隅々まで染み渡る。本当に、ここで食すスイカは甘露の味だ。何度も食べたことがあるのに、その美味しさには毎回、感動してしまう。
合戦小屋から1時間で燕山荘に着いた。
「いらっしゃいませ!」
入口にはスタッフが立っていて、笑顔で出迎えてくれる。受付を済ますと、客室へと案内してくれた。人気の山小屋とあって、次から次へと登山者が到着するが、スタッフはてきぱきと笑顔で対応し、まったく煩わしさを感じさせない。
部屋に荷物を置いたあと、食堂で昼食をとることにした。喫茶サンルームでビーフシチューを味わう。窓の外は濃いガスに覆われ、燕岳どころか小屋の周囲も見えない。残念だが、午後はのんびりと小屋で過ごすことにした。
3代目オーナー、赤沼健至社長の奮闘
今や山岳雑誌の読者アンケートで「泊ってよかった山小屋」「泊まりたい山小屋」の1位を獲得するほどの人気だが、健至さんが小屋を引き継いだころは、状況はかなり違っていたという。
「7月~8月にお客様が集中し、この2か月間は大混雑。喫茶室にまで布団を敷いて寝てもらうほどでした。お客様のクレームもすごく多かったんです」
いっぽうで5月や6月、9月以降は、パッタリとお客様が来なくなる。健至さんは、他の季節にもお客様に来ていただけるようにしたいと思ったという。
「どうしたら他の季節にも来ていただけるんだろうと、必死で考えました。それで、季節ごとの魅力をお客様に伝えることにしたんです」
夕食時間になると、お客様に季節ごとの燕岳の写真を見せながら、その素晴らしさを話した。写真がなければ自分で撮影し、それを使ってパンフレットも制作した。それを10年、15年と続けていくうちに、春や秋にもお客様が来てくれるようになったという。
「燕岳の魅力はなにか、燕山荘の魅力はなにか。それを徹底的に考え抜きました。山の美しさはもちろんですが、コマクサやライチョウ、アクセスの良さ、比較的安全に登れること。そういった魅力をひとつひとつ掘り起こし、伝え続けた結果が今の燕山荘です」
このお客様への語りかけは、今でも続いている。夕食時には食堂のモニターに燕岳の季節ごとの写真が投影され、健至さんのユーモアあふれるトークと共に楽しめる。
山で過ごす時間をもっと楽しく
と、健至さんは言う。
お客様に来ていただけるようになった燕山荘の次の課題は「どうしたら楽しんでいただけるか」だった。
1984(昭和59)年に、初めてのイベントであるクラシックコンサートを開催。すると大勢のお客様が集まった。効果を感じた健至さんは、次の年には登山教室を実施した。その後は、登山ツアーやケーキフェアなど次々にイベントを立ち上げていく。
努力と工夫を重ねてきたのは、食事や喫茶メニューも同じ。今でこそ、本格的なケーキを提供する山小屋は多いけれど、燕山荘が提供を始めたのは1981(昭和56)年。山小屋のなかでは、かなり早いと言えるだろう。
生ビールはもっと早く1977(昭和52)年から。ちょうど健至さんが小屋に入った年だ。
「そのころ、ちょうどアサヒビールから生ビールが発売されたんです。変なサーバーでね。試しに小屋に上げて使ってみたら、気圧の影響で泡がブワーッと噴き出して。周囲が泡まみれになっちゃいました(笑)」
その後、アサヒビールとやり取りして泡が噴き出ないようなサーバーに改善してもらい、ようやく生ビールの提供に至ったそうだ。
「スイスで飲んだとき、めちゃくちゃ美味しかったんです。私のおすすめ商品ですよ」
健至さんがそう絶賛する「ドメーヌ・デュ・ダレー」。1392年創業の、スイスで最も古いワイナリーだ。レマン湖の近く、ユネスコ世界文化遺産に指定されているラヴォー地区にあるという。
スイスワインはほぼ100%自国消費されるため、海外、ましてや日本にはほとんど出回らない。健至さんがスイスに行った際にワイナリーの社長と親しくなり、特別に仕入れて販売しているそうだ。
おすすめに従って、ワインをいただいてみる。グラスを手に取ると、ふわっと立ち昇る爽やかな香り。口に含んだ瞬間、「美味しい!」と声が出てしまった。何とも言えない、芳醇な果実のような味わい。飲んだ後も香りが鼻に抜け、余韻を楽しめる。特に白ワインの美味しさは格別。味に深みがあり、それでいて軽やかさがあって、とても飲みやすかった。
未来へ引き継がれる燕山荘スピリッツ
それは、初代から引き継がれる燕山荘のスピリットだという。
ただ、口で言うのは簡単だが、実現は大変だ。燕山荘はスタッフも大勢いるのでなおさらだろう。燕山荘のすごさは、社長のその想いが、一人一人のスタッフに行き届いていることだと思う。
「社員やスタッフにも、私が考える理想の山小屋について、日々、伝え続けていますよ」と健至さんは言う。“伝える努力”は、お客様だけでなく、身内にも向けられていた。
「山小屋の仕事はとてもハードなので、疲れることも多い。でも、お客様に喜ばれたり感謝されたりすると、また元気になれる。燕山荘のスタッフには、いい子が多いですよ。それはなぜかというと、お客様にたくさん褒められ、感謝されるからなんです。だから私は、お客様に褒められるためにはどうしたらいいか、いつも考え続けています」
大学卒業後、東京都内でシステムや広告関係の営業をしていたという大輝さん。2022年6月に東京から戻り、小屋で働き始めた。
「以前からときどき山小屋には来ていたので、仕事内容はある程度想定内です。子どもの頃は父がずっと山小屋にいたので、会話の機会は少なかった気がしますが、ここ2年でたくさん話をするようになりました。でも、親子の会話というよりは、社長とスタッフのような会話が多いですけど」と、大輝さんは笑う。
健至さんが世代交代を考えたのは、デジタル化による急速な社会の変化を感じたからだという。
「最近はSNSや電子マネーなどが出てきて、社会が大きく変わってきた。燕山荘をもっと良い小屋にしていくためには、新しい世代の感性を生かしてもらう必要がある」と健至さん。
「ただ、基本は変わらないよね。お客様は、大自然の中に身を置くために来るのだから」
と続ける健至さん。
それに対して、大輝さんも次のように言う。
「SNSにしても『季節ごとの燕岳の良さを伝える』という、今までやってきた取り組みと同じ。日常では見られない景色を投稿して、『行ってみたい』と思っていただけるきっかけがどれだけ作れるかだと思います。一つでも登っていただける理由になればいいなと思っています」
美しい山にふさわしい山小屋づくり
山頂で、たくさんの笑顔と歓声に包まれながら、ふと健至さんの言葉を思い出す。
「きれいな山には、きれいな山小屋でなくてはいけない」
美しい山を楽しめるのは、気持ちよく過ごせる山小屋があるからだ。そういう場所を守るために、燕山荘の取り組みは、これからも続いていく。
赤沼健至/Kenji Akanuma
長野県安曇野市出身
北アルプス・燕岳の稜線にある「燕山荘」オーナー。1951年生まれ。1977年、「株式会社燕山荘」入社、1992年に代表取締役社長に就任。燕山荘のほか、グループの大天荘やヒュッテ大槍、有明荘の経営に携わる。アルプホルンの演奏や山の話などで自ら登山者をもてなすほか、登山教室・音楽コンサートなどのイベントを実施し、燕山荘を人気の山小屋へと育てた。北アルプス南部地区遭難防止対策協会理事。日本高山植物保護協会理事。安曇野市観光協会会長。
赤沼大輝/Hiroki Akanuma
長野県安曇野市出身
赤沼健至長男。北アルプス・燕岳「燕山荘」4代目になれるよう修行中。10年ほど東京で営業職を経験し、2022年、「株式会社燕山荘」入社。山小屋業務全般に携わりながら、日々山の世界に魅了される毎日。100年の歴史を受け継ぐ経験ができる喜びと責任を感じつつ、携わる方々とコミュニケーションをとるのが楽しみ。
北アルプス・常念山脈の北部に位置する。花崗岩と花崗岩砂礫で構成される白っぽい山容が特徴で、その美しさから「北アルプスの女王」の異名をもつ。北アルプス・表銀座コースの始発点で、ここから大天井岳を経て槍ヶ岳や常念岳へ縦走する人も多い。燕山荘から山頂へ向かう稜線上はコマクサの群落で、花期には辺り一面にピンク色の可憐な花が咲く。
Information
燕山荘
・営業期間:2024年4月20日(土)~11月23日(土)宿泊分まで
・年末年始営業:2024年12月24日〜2025年1月4日まで(予定)
・標高:2712m
・アクセス:中房温泉から約5時間半
撮影・文:横尾絢子
<著者プロフィール>
横尾 絢子(Ayako Yokoo)
編集者・ライター。気象予報士。高校時代より登山に親しむ。気象会社、新聞社の子会社を経て、出版社の山と溪谷社で月刊誌『山と溪谷』の編集に携わる。2020年、東京都から長野県佐久市に移住したのを機に独立。六花編集室代表。現在はフリーランスとして、主にアウトドア系の雑誌や書籍の編集・執筆活動を行なう。プライベートではテレマークスキーやSKIMO(山岳スキー競技)を中心に、季節を問わず山を楽しんでいる。日本山岳・スポーツクライミング協会SKIMO委員。