私だって、ワイナリーを楽しみたい
ワイン。特別な日の飲み物。そんなイメージを持つ人も多いのではないだろうか。かくいう私も、ワインを飲むのはクリスマスの時期くらい。背伸びしていいワインを買おうと思っても、種類がありすぎて、素人には選択が難しい。毎年、陳列棚の前を右往左往してしまう。
ソムリエにワインを注いでもらうようなシチュエーションでは、飲んだ後に、どんな感想を言えばいいのかを考えすぎて、手が震えそうになる。もはや、味を楽しむ以前の問題だ(もちろん誰も、私に感想なぞ求めていない)。
私にとってワインは、手の届かない高嶺の花。例えるなら、コルセットを締め、ドレスをまとった「貴婦人」のような。でも、逆に言えば、憧れてもいる。聖書にも出てくるような、由緒正しき飲み物に。
憧れの気持ちをもってワイナリーに行っても、とはいえ、つい挙動不審になってしまう。緊張するので、ハンドルキーパーと称して、試飲は避けている。どんな会話をしていいかわからないので、できるだけソムリエとは目を合わせないようにしているし、我ながら非常にやりにくい客だと思う。
そもそも、なぜ私のような人間がワイナリーに行くのか。実は、好きなのだ。ブドウ畑が広がって、樽が並んで、ワインが作られている、あの景色が。だってそれは、はるか昔から人々と共にあった営みなのだから。
つまり、本当はもっと知りたい。はるか昔から人々と共にあったワインや、それが作られるワイナリーのことを。私のように、人前でワインを嗜むことに恐怖心を抱いた人間でも、ワイナリーを心置きなく楽しめる方法はないものか…
そんな問いに一つの答えを出してくれたのが、上田の『椀子ヴィンヤード』に広がるぶどう畑を舞台にした、スケッチ大会だ。
ワイナリーのぶどう畑をのんびり楽しめるなんて、私にとっては夢のようだ。この日のために、画板も購入した。いつもワイナリーへ行く際に感じる謎のプレッシャーもない。ごく気軽な気持ちで、現地へと向かおう。
山々を望む雄大な景色 上田『シャトー・メルシャン 椀子ヴィンヤード』
上田市丸子地区陣場台地にある『椀子(まりこ)ヴィンヤード』。“椀子”は遠い昔、6世紀後半に欽明天皇の皇子「椀子皇子」がこの地を治めたことが由来となっている。北アルプスや浅間山をはじめ、遠くの地形も見晴らせるこの地は、陣場台地という名の通り、戦国武将が陣を張った土地でもあるそうだ。
平成に入ってから遊休荒廃地だったこの地に、地元の方々の協力のもと、2003年に『椀子ヴィンヤード』が開場、そして2019年には、その美しいぶどう畑の丘に『シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー』がオープンした。
私でさえ知っている名だたるブランド、“シャトー・メルシャン”。もちろん世界的な評価も高い。世界最高のワイナリーを選ぶ「ワールド・ベスト・ヴィンヤード2023」では、『シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー』が日本のワイナリーでは唯一4年連続で選ばれ、さらにアジア1位を獲得した。
実際に、その景色にはやはり圧倒される。30ha、東京ドーム6個分の広大な土地に、ぶどう畑が広がり、それを山々が囲んでいる。かつての荒れていた土地を想像できないほどの豊かな緑には、控えめでかわいらしい植物が風に揺れる。里山の自然を保全し、多様な生態系を取り戻したことも評価されており、ひらひらと蝶が舞うその景色は、まるで桃源郷(いや、ぶどうだから“葡萄源郷”か)だ。
スケッチ大会は、子どもから大人まで、ファミリーでの参加も多い。朝に受付を済ませ、画用紙を受け取る。〆切は、夕方。それまで、ワイナリーで自由に過ごしていい。ぶどう畑の中なら、どこで絵を描いてもいい。こんなに広大な敷地を前に、わくわくしてくる。時間はたっぷりあるので、とりあえず散策しよう。
ずらりと並ぶ、ぶどうの木。果てしない。垣根の間を通れば迷路のようで、走り出したくなる。ぶどうの葉っぱと、山を覆う緑が一体化し、私の視界の中で、地平が全て緑になった。この緑すべてに、ぶどうが実ると思うと、足元がふわふわする。甘酸っぱいぶどうの海に、浮かんでいるような気分だ。
散策の途中、子どもたちが芝生に転がりながら、一生懸命絵を描いていた。なんて、牧歌的。その光景を、絵にしたいくらいだ。きっと、彼らの瞳を通して見えた景色は、とてつもなく澄んでいるのだろう。のびのびと絵を描く彼らを横目に、さて、私は私の場所を探しに行こう。
ぶどう畑から始まる、芸術文化
たわわになったぶどうに足を止めながらも歩くと、小高い丘が見えてきた。あそこからは、周りの景色が見渡せそうだ。大きな画板を肩にぶら下げながら、柔らかな草原を歩く。
“一本木公園”と名付けられたその丘に、荷物を置いて腰を下ろせば、遠くのまちに住んでいる人が見えそうなくらい、細部までくっきりと景色が浮かび上がっている。その美しさに、思わず息をのむ。ここからの眺めを描こう。秋、少しずつ落葉しはじめた木の下で、画材を広げた。誰にも邪魔されない、最高のひとときだ。
絵を描くのが、好きだし、楽しい。そう言うと、なぜか、絵が“うまい”前提で話が進んでいく。でもそれは、何かが違う気がするのだ。評価は、必ずしも重要でない。絵を描くという行為そのものに、意味があると、私は思っている。
対象を見て、そこに何かを感じて、その仔細を見つめていく。噛み砕き、また新たに構築していくこの一連が、とても人間的で、好きなだけだ。
ここではっとした。今まで私がワインに対して“怖れて”いたものは、評価だったのではないか。ワインそのものにでなく、その評価を前に、怖気付いていたのではないか。恥ずかしながらどうやら私は、「貴婦人」のうわべしか見ていなかったようだ。
この地の歴史、豊かな環境、伝統的な営み。そこに美しさを見出し、丁寧にそれらを扱えば、高貴さは自然とあふれ出す。評価はその結果でしかない。もっと以前の、本来の姿が、ここにあるではないか。この足元に広がる土からすでに、「彼女」は始まっている。
その大地の上は、それにしても、気持ちがいい。時間も忘れて画用紙の世界に入り込んでいると、聞きなれない鳥の声がした。その声は、鳴き声というより、文字通り、歌のようだった。繰り返し聞こえるそのリズムに、しばし聞き入れば、改めてこの地の豊かさに気づかされる。太古から変わらずに季節は巡って、私は今日、ここで生きている。そんな当たり前のことを、しみじみと思う。
そう、このぶどう畑にいれば、誰もが自然と心が動かされてしまう。そして、愛おしく思うことができる。そして、何を隠そう、ここにある美しい全てのものを凝縮するのが、ワイナリーだ。
イベントを企画した、陣場台地研究委員会事務局の小林さんは言う。
「子どもから大人まで、お酒が好きな方からそうでない方まで、ワイナリーを楽しんでほしい。そして、それぞれのカルチャーをつなぐきっかけにしたいんです。」
ワインは、誰のものでもある。何より、この地に根付く、芸術文化、なのだ。
ワイナリーは、自由だ
絵を描いている最中に、気分転換にワイナリーの2階にあるショップへ立ち寄った。階段を登り、フロアに足を踏み入れた瞬間、視界にあるものがすべてキラキラと輝くような、なんともフルーティなぶどうの香りが漂ってきた。思わず深呼吸して、体の内側をその香りでいっぱいにする。
大きな窓からは山々と、永遠に続きそうなぶどう畑が見える。老若男女、みんなが思い思いにワインを前に、それについて話している。
そんな中で、ひとりソファに座り、グラスを片手に景色を眺めワインを嗜む、高齢の男性が目に入った。そこだけなぜか、別世界のようだった。
とっさに、その佇まいに引き込まれた。彼が心から、ワインと、ワイナリーを楽しんでいるのが、傍から見て分かったからだ。
その時、ふわりと呪いから解かれたような気持ちがした。ワイナリーは、自由に楽しめばいいのだ。ぶどう畑の景色を眺めたり、歴史や自然の営みに思いを馳せたり、自分が美しいと思ったものを楽しんだりすれば、いい。なんてことはない、シンプルなことだった。
そんな風に肩の力が抜けると、不思議とあのぶどう畑から作られたワインの味が気になって仕方がなくなった。あんなに手の届かない存在だと思っていたのに、まことに、人間とは、不思議なものだ。
今度は自分から、ソムリエに話しかけて、聞いてみよう。味だけじゃなく、どんな風に、このワインが作られたのかを。
ぶどう畑で絵を描いていたら、あっという間に1日が過ぎた。夕方に差し掛かりつつある頃に、やっと絵は完成した。今日もいい一日だった、と空を眺める。急に深まった秋の風が身に染みたが、心は、朝来た時よりも、うきうきとしている。
きっとまた、ぶどう畑に、来よう。
振り返れば、その美しい大地には、裸足の少女が走っているのが見えるような気がした。
取材・撮影・文:櫻井 麻美
〈シャトー・メルシャン 椀子ヴィンヤード〉
☞https://www.chateaumercian.com/winery/mariko/
<著者プロフィール>
櫻井 麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ごす。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/
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