
馬刺しを松本でひろめた立役者「馬肉バル 新三よし」
さかのぼること明治時代。信濃(長野県)と三河(愛知県)を結ぶ三州街道(別名・伊那街道)において、馬による荷物の運搬が盛んにおこなわれていた。農家にとっても馬は大きな労働力であったため、人々の生活に馬は欠かせない存在となっていた。明治後期あたりから年老いた農耕馬を食べるようになったのが長野県の馬肉文化のはじまり。中南信エリアを中心に徐々に馬肉を食べる文化が根付いていった。

馬肉が有名な県といえば、まず熊本県。そして福島県、その次に長野県と、3県が挙がる。しかし実は長野県での生産量は全体シェアの4%と、県内産の馬肉はあまり多くは作ってはいないのが実情だ。それなのに、なぜここまで馬肉が好まれ、普及したのだろうか。
一説によると「ばくろう」と呼ばれる存在が大きいのだという。長野県で馬肉が好んで食されるようになったことと比例して、年老いた農耕馬の供給が足りなくなり、「ばくろう」と呼ばれる行商人が全国から馬を買い付けてきたのだという。馬肉をすき焼きのようにして食す「さくら鍋」も、「ばくろう」が東京で食べた味を長野県に伝えたという説も。そんな「ばくろう」の存在から、松本市にも馬肉文化が伝わり、牛や豚と同じように市民へ浸透していった。
そんな松本の馬肉文化を牽引してきたといっても過言ではなのが、明治32年に創業した「新三よし」だ。
創業当時は「料亭 三吉」という名前で松本城近く、裏町と呼ばれる場所に建っていた。宿や茶屋が多く立ち並ぶ賑やかな場所だったため、「料亭 三吉」も芸者たちを抱える料理店だったのだろう。松本市の馬肉文化の走りとして、そのころから馬肉料理を提供するようになったという。
そして今の場所に移転した1999年に「馬肉居酒屋」と、馬肉料理専門店となり、現在は新しさのなかに伝統を感じる「馬肉バル 新三よし」となり、馬刺しをはじめ、桜鍋や馬肉の燻製などを、信州の地酒と一緒に楽しめる店として営業している。

この店に来たら頼まずにはいられないのが、馬刺しの盛り合わせ「さくら刺 五種盛り」だ。赤身(もも)、霜降り(お腹あたりの部位)、レバー、ハツ、手前中央にある白い部位が「たてがみ」で、小皿にのっているのが心根という大動脈を刻んだもの。たてがみと心根は淡白な味とコリコリした食感で、日本酒との相性もいい。レバーはオリジナルのタレを絡ませてあるのでそのままで。ほかの部位はお好みで味噌や生姜醤油につけていただく。

こちらで提供する馬刺しは産地や銘柄にこだわらず、そのときに手に入る“一番良いもの”を仕入れている。県内産や熊本産などを使う場合もあれば、カナダやイタリアなど海外から輸入するものも使う。
「馬肉は産地によって味が違うということはありません。良い品質の馬肉を仕入れ、新鮮なうちに提供すること。これがうちの店のこだわりです」と料理長の加藤さん。
「今日はちょっとおもしろい部位が手に入ったんですよ、試食してみます?」と声をかけてくれた。

出していただいたのは、馬のヒレ。シャトーブリアンと呼ばれる稀少な部位だ。グランドメニューにはなかったのだが、ちょうどSNS限定で提供していた時期だったので、特別に試食させてもらうことができた。

はじめて食べる馬のシャトーブリアン。脂がほぼない赤身なのに、噛まずに溶けるような柔らかさに驚いた。
「春に向けてメニューを改定するので、もしかしたらシャトーブリアンもメニューに入るかもしれないですね。この店でしか食べられない、珍しい部位も提供していきたいと思っています」と加藤さん。今後は、さらに馬肉料理を増やし、信州の郷土料理と一緒に提供していく予定だ。

歴史を感じさせる趣ある店内

テーブル席、小上がり席、2階には座敷がある

2階へ行く階段には芸子さんの三味線が飾られている
明治時代から食べられていた馬肉料理。当時の情景に思いを馳せ、老舗の味を堪能したい。
希少な道産子馬の馬肉料理を味わえる「そば居酒屋 蔵のむこう」
松本には馬刺しを食べられる店は複数あるが、馬一頭を仕入れている店はそうそうない。
ここ「蔵のむこう」は、多店舗を経営する企業が母体なので、馬一頭を仕入れることが可能なのだという。しかもこの店で味わえるのは北海道で育った「道産子(どさんこ)」という稀少な品種。日本固有在来馬、純国産の北海道和種だ。

馬刺しで有名な熊本県では馬肉の生産量も多いが、そのほとんどがいろいろな品種をかけあわせた重種馬品種。サシのおいしさを追求してつくられた品種なのだという。日本固有在来馬「道産子」は外来種とかけあわせることなく育った非常に稀少な純国産馬。生産農家が少ないので、入手するのも困難といわれる「道産子」を、ここではまるまる一頭仕入れ、馬刺しをはじめさまざまな料理で提供している。
馬一頭を仕入れているので珍しい部位が味わえるのもこの店の魅力。この日、出していただいたのは「馬肉ハラミステーキ」というメニュー。ハラミはヒレの次に柔らかいという部位なので生でも食べられるが「焼いて食べるのがおすすめです」と料理長の江崎さん。たっぷりのバターで表面を焼き、松本の老舗醸造所「丸正醸造」のしょうゆをさっとひとふり。その瞬間、バターじょうゆの良い香りに包まれ、食欲が一気に刺激される。つけあわせは松本一本ねぎのローストとワサビのしょうゆ漬け。味が付いているのでそのままで食べてもいいし、安曇野産の生ワサビをすっていただいてもいい。

数量限定「馬肉ハラミステーキ」(2,000円)。やわらかくジューシー。「馬」と聞いていなければ牛肉と間違えてしまう味わい

ハラミは横隔膜にある希少な部位

バターと馬から出る脂がマッチし、口のなかいっぱいに旨味が広がる、ミディアムレアで焼き上げているので肉を味わっている食感もほどよい
本日料理を作ってくれたのは、「蔵のむこう」をはじめ、グループ全体のメニューをプロデュースする総括料理長の江崎さん。大阪で6年修行したのち、アムステルダムにある「ホテルオークラ」の和食料理店で3番手をつとめ、5年ほど経験を積んだのち、帰国し同グループに入社した。
「酒楽」という小さな居酒屋から、複数の飲食店を経営する現社長・礒尾さんの右腕ともいえる存在だ。

「どさんこ馬刺し豪華特選盛り」が運ばれてきた。華やかに盛りつけられた馬刺しに思わず目が輝いてしまう。
江崎さんがいちばんこだわっている鮮度。一口、食べてみると、その新鮮さがよくわかる。ハツやレバーは口に入れた瞬間とろけてなくなった。
そして珍しいのが薬味と一緒に出てくる「馬油」。たてがみや尾の部分にある脂肪油を精製し、上澄みのみを抽出。固形にしたものを削り提供しているのだという。
「時間がたつと溶けてくるので、ぜひ固形のまま、馬刺しを巻いていただいてください」と、店長の高尾さんが食べ方を教えてくれた。
はじめて食べる馬油。馬肉はあっさりしているので、少しこってり感が欲しいという人がコクをプラスするのにちょうどいい役割。こんな食べ方があったのかと、馬肉の奥深さに感動した。

店長の松尾さんは松本市出身。「地元だからなのか、小さいころから当たり前のように家庭で馬刺しが出る家で育ったんです。馬刺しは大好きなのですが、レバーだけはどうも苦手で…。でも当店のレバーはクセがないので、レバーが苦手な人でもきっとおいしいと思っていただけると思います」
季節によってかわるが、馬肉を使ったメニューは15~25品ほど。馬刺しをはじめて食べるという人や馬肉が苦手な人向けの創作メニューなどもそろうので、まだおいしい馬肉料理に出合ったことがないという人は、ぜひこの店で再チャレンジしてみてほしい。おそらく概念がかわるであろう。

「赤身と山形村長芋の山かけ」(900円)。長野県山形村の山芋がたっぷりかかっているのでツルリと食べられる

おひとり様でも安心のカウンター席もある

1階のテーブル席。2階フロアもあるが、3月初旬をメドにテーブル席フロアにリニューアル中
また、同店は手打ちそばのおいしさにも定評がある。そば職人でもあった社長が開いた店なので、そばにも強いこだわりをもっている。
安曇野の契約農家が育てる有明産のそば粉と、松本市で100年続く老舗酒造所「笹井酒造」の仕込み水を使用した手打ちそば。地元の日本酒も多数そろうので、飲んだ後の締めにもぴったりなサイズ「〆そば」(600円)や21時からの限定メニュー、熱燗1合と温かいそばがセットになった「夜鳴き蕎麦セット」(1,000円、そばの単品は650円)もそろう。

松本駅周辺にある2軒の馬肉料理を出す飲食店。個性は違えど、どちらも松本を代表する馬刺しの名店であることは間違いない。松本を訪れる際はぜひ足を運んでみてほしい。
〈馬肉バル 新三よし 松本本店〉
住所:長野県松本市中央1-7-17 毛利ビル1・2F
http://sinmiyoshi.com/
https://www.instagram.com/shin.miyoshi/
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〈そば居酒屋 蔵のむこう〉
住所:長野県松本市中央1-2-21
https://r.goope.jp/syuraku/free/kuranomukou
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取材・文:大塚真貴子 撮影:円山なみ、宮崎純一
<著者プロフィール>
大塚真貴子(Ohtsuka Makiko)
長野市出身。東京で情報誌を中心とした雑誌、書籍などの編集・ライターを経て、2008年に地元である長野市にUターン。地域に根差した出版社において情報誌の編集に17年間携わり、フリーランスのローカルエディター・ライターとして独立。観光、グルメ、住まい、ライフスタイルなど幅広いコンテンツを手がけるほか、イベント、間借りスナックなどを思いつきで開催している。
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