渋温泉で出合えるテロワール。「渋温泉食堂 gonki」
長野県下高井郡山ノ内町に位置する渋温泉。はじまりは奈良時代といわれる歴史ある温泉地だ。長野市から車で40分ほどで来ることができるのだが、近いからこそなのだろうか。久しくゆっくり歩いていないことに気が付いた。
そういうわけで、今日は久しぶりに温泉街を歩いてみる。新しくできたバーやカフェ。ところどころに描かれた壁画アート。昔ながらの石畳が続く温泉街の風景に、新しい景色が加わっていた。
陽が落ちてきた黄昏時。明かりが灯る一軒のレストランが気になり足を止めた。
「渋温泉食堂 gonki」。
名前だけ聞くと“渋い食堂”を連想するが、ここはフレンチレストラン。岸田陽一さん、里佳子さん夫妻が2020年1月にオープンした店だ。
岡山県出身の陽一さん。大阪の辻調理師専門学校フランス校を卒業後、大阪にあるビストロで5年程働いたのち、単身でフランスのアルザス地方へと渡った。
「アルザスを選んだのはたまたまだったんです。なるべく日本人がいないところがいいなと探し、辿り着いたのがアルザスだった。仕事を探しているって言ったら知り合いが何カ所か紹介してくれ、一番忙しいところで働きたいという希望で入った店でした。土曜の昼に着いて、すぐじゃあやってみてよとなり、その日から働きはじめました」。
即戦力ですぐ料理人として働きはじめた店は地元の有名店。ほかにも当時の三ツ星レストランに研修に行ったり、Winstub(アルザス料理を専門で出すビストロのようなお店)などで経験を積み、4年半ほど働いたのち帰国。
帰国後は「星野リゾート 軽井沢ホテルブレストンコート」に入社。「ブレストンコート ユカワタン」で3年半、婚礼部門でも3年半つとめた。「婚礼部門でメニューの開発やマネジメントに強くかかわることができたので、すごくいい経験をさせていただいたと思っています」。
「星野リゾート 軽井沢ホテルブレストンコート」に7年ほど勤務し独立。いよいよ自分たちのお店を持とうと、物件を探してまわった。軽井沢をはじめ、松本など長野県全域を見てまわるなか、ふたりのなかで“しっくり”きたのが渋温泉だった。
「それまで渋温泉のことはよく知らなくて、一度も来たことがなかったんです。はじめて訪れたときに、なんだかアルザスに似ているなと、どこか懐かしく思ったんです」。
渋温泉に今なお残る古き良き風情ある町並み。
「にぎやかな場所ではなく、落ち着いた日本の情景が残っているところが気に入りました。あと、すぐそばに食材があり、豊富にそろうところ。これも大きな条件でした」。
アルザス地方に似た風景。豊富な食材。仕込みをするために必要な広い場所を確保できるうえ、温泉までもある。そんな渋温泉は理想通りの場所だった。
フランスの北東部。ドイツとスイスの国境に位置するアルザス地方。山と川に囲まれた自然豊かな地で、山の恵み、川魚を使った料理が多いのが特徴だ。
「冬には野菜がなくなってしまうので、保存食をたくさん作り置きし、それを冬に食べるんです」。
海がなく、山に囲まれているアルザスの自然環境。冬は寒さが厳しくなるため、保存食や発酵食文化が根付いているところも長野県と共通している。
アルザスの伝統的な料理のなかに「シュークルート」という郷土料理がある。塩漬けしたキャベツを乳酸発酵させたもので、ドイツでは「ザワークラフト」として親しまれているものだ。
そのまま食べたり、煮込み料理に使ったり、さまざまな料理に使う保存食。取材に伺った日はシュークルート、ソーセージ、豚ロースの燻製、レバーと燻製バラ肉のクネルなどを煮込んだ「choucroute cochonnaille」をコースのメインに提供していた。
「シュークルート用のキャベツは白い部分を使うので、大きくて白い部分がたくさんあるものがいい。だから大きいキャベツを使うんです」。普通のキャベツの5倍以上はある特大キャベツを里佳子さんの実家で作ってもらっている。
また、アルザス地方の保存食といえば「ナヴェ・サレ」の存在も欠かせない。ナヴェはカブ、サレは塩漬けという意味で、シュークルート同様、冬によく食べられる発酵食品だ。この日はナヴェ・サレの仕込みの真っ最中だった。「この時期は、毎日、処理して保存してという作業を繰り返し行っています」。
料理は食材を見てから考える。
「根曲がり竹の時期は山へ入って30kgくらいとってきました。とってきた根曲がり竹を見て、さてどう料理しようかと、そこから考えるんです」。フレッシュなものを焼いて食べ、残りはピクルスに。「新鮮なうちに食べるおいしさと、保存し熟成した時のおいしさ、それぞれの良さがある」と岸田さん。時期や素材に合わせたベストな方法でお客さんへ提供する。
近所の方が山で採ってきたという「栗茸(くりたけ)」がカウンターに置いてあった。これはどうやって食べるのだろうか?
「どうしようかな。まだ考えてないです(笑)。食材に追われるというくらい、食材が豊富なので…」と岸田さん。困っているようで、なんだか少しうれしそうだ。
“身土不二”という言葉がある。人と土地は一体で、切っても切れない関係にあるという意味だ。その土地でとれる恵み、季節感を重んじる岸田さんの考えはまさに“身土不二”。フランスのテロワールにも通じている。
この店で味わえるのは「おまかせコース」のみ。フランス料理をベースに、食材やその時々の客層に合わせ、岸田さん流にアレンジしたコース料理をふるまってくれる。
アルザス地方では、川魚もよく食べられている。この日、作ってくれたのはニジマスとアーモンドをバターで焼き上げる「Truite aux amandes」という料理。
しかしここで、ひと工夫もふた工夫も加えるのが岸田さん流。一見、フランスではよく食べられている魚料理と思いきや、ニジマスのお腹の中には信州サーモンの身が詰まっている。しかもニジマスの形はきれいなまま、骨だけがきれいに取り出されている。
「骨付きの魚を食べなれていない方もいらっしゃるので、腹を割かず、骨だけを取り出しています」。 え? 腹を割かず、骨だけを取り出す!? 一体どうやって?? 「それは企業秘密です(笑)。同業者もみんなびっくりするんですよ」。
店内はアルザスの田舎のおばあちゃんちを思わせる雰囲気。フレンチだからと敷居の高さは皆無。赤ちゃん連れも大歓迎だ。
季節によって客層が変わるので、それに合わせて提供する内容も変えている。普段は完全予約制だが、8月の夏祭り期間は、おつまみ形式でふらっと立ち寄れる形式にしたこともあれば、外国人観光客が増える時期には予約なしでも入れる形にすることも。
「先のことはまだ決めていないですが、自分たちがやりたいようにやれる店でありたいと思っています」。
温泉には回復、静養を目的に来る人が多い。
「非日常感を求めに来る方が多いので、そんな方たちの癒しの場所でありたい」と岸田さん。
食堂であり、フランス料理店であり、何にもカテゴライズされない料理店。
「働いてきた経験、見てきたことなどがたくさんあるので、フレンチにこだわらず、ここ渋温泉で、新しい食材の表現方法ができ、誰かの記憶に残ればいいなと思っています」。
岸田さん夫妻の集大成を楽しめる「渋温泉食堂 gonki」。渋温泉に来たら必ず訪れたい店である。
代々続く土産店をカフェに一新、渋温泉の新たなハブに
「渋温泉食堂 gonki」を出て、ゆるやかな石畳の坂道をのぼっていくと、左手にレトロな射的場が見えてくる。昭和の頃は何軒もあった射的場だが、今では渋温泉唯一の場所に。そしてその対面にあるのが、次なる目的地「若葉屋」だ。
「若葉屋」は昭和から続く昔ながらの土産店。10年程前からジェラートも販売するようになり、2024年夏には新たにカフェスペースを設け、スイーツやビールなどをゆっくり楽しめる空間に生まれ変わった。
「もともとは陶芸で使うろくろを扱う店だったらしいです。それで母の父母が、屋号を『若葉屋商店』にし、おまんじゅうとか土産品を売る店にしたと聞いています」。そう話してくれたのは、代を引き継ぎ現店主となった関亮太さん。店の経営やジェラートを作るかたわら、ビデオグラファー、スケートボード教室の先生などをマルチにこなしている。
高校を卒業し、新潟にあるスノーボードの専門学校を卒業、再び山ノ内に戻ってきた関さん。4年間ほど工場で働いたのち、実家の土産店でジェラートを作りはじめた。
「母の弟、私の叔父にあたる人がジェラートをはじめようと準備していたんですが、叔父が亡くなってしまいそのままになっていたんです」。設備はすでに揃っていたので、少し悩みつつも「じゃあ、ちょっとやってみようか」とはじめたジェラートの販売。4種類からスタートしたフレーバーは徐々に増え、多い時は8種類ほど提供していたときもあったそう。
ジェラートを販売していたときにふと思った。「カメラを撮る技術があれば、もっと上手に発信できるのでは」と。とにかく技術を身に付けたいという想いで、長野市にあった映像クリエイターが集まるシェアオフィスに転がりこんだ。
「そこで紹介してもらい出会ったのが『フィールドデザイン』の宮下社長だったんです。何をやっている会社なのかよく知らずに入ったんですが(笑)、すごくいい経験をさせてもらいました」。
WEB制作や映像制作など、観光プロモーションに強い会社でさまざまな実務を経験。当初の目的であった「PR撮影の技術」を習得できたと感じてきたころに退職の意志を伝えたのだという。
「本来はもう少し早く辞める予定だったのですが、とても居心地のいい会社だったのでずるずると3年ほどお世話になってしまいました(笑)」。
スノーボード、スケートボードのプロを目指していた時期もあったが、実家を継ぐ意志はずっと関さんのなかにあった。
「山ノ内を離れなかったというのはそういうことですね」
自身が生まれ育った渋温泉を「もっとにぎやかにしたい」。育ってきた地域を大切に思う気持ちとこの素晴らしい観光資源を誇りに思う気持ち。もっと多くの人に知ってもらい、渋温泉に訪れてほしい--。そんな思いで2024年7月に新生「若葉屋」をオープンした。
カフェを切り盛りするのは奥さまである祥予(さちよ)さん。亮太さんとの結婚を機に長野市から山ノ内へ移住した。
「実はそれまで来たことがなくて。主人と付き合って、はじめて渋温泉に来たんです。長野市から近いのに小旅行感があって、すてきなところだなと思いました」
レトロな街並みや、ゆったり流れる空気感。「友だちに『渋温泉ってチルな時間が長いよね』と言われて、すごくしっくりきましたね」
時間の流れがここだけ遅く感じるところも魅力と祥予さん。それこそ温泉地の醍醐味。休息を求めて訪れる人々の心身を癒やす効果も絶大だ。
湯上りに食べたいジェラートは定番フレーバーに地元産の果物などを使った季節メニューを加え全6種類。祥予さんが作る「月替わりのスイーツ」や焼菓子のほか、生ビールやクラフトビールなどアルコールが楽しめるのもうれしい。
今後は「ファンになってくれる人をどうやって増やすかがテーマ」だと関さんはいう。
「渋温泉は草津温泉のように一見さんがたくさん訪れるというよりは、この場所を気に入った方が繰り返し来てくれる場所だと思うんです。各旅館さんも、慰安旅行などで毎年来てくださるリピーターをすごく大事にしているんですよね」
身体の芯まで温まり、湯冷めしにくい源泉かけ流しの湯。風情ある石畳。そして穏やかで“チル”な時間が流れる温泉街。一度訪れるとファンになってしまう要素はたくさんある。
渋温泉に一泊すると、住民と一緒に外湯に入ることができる。これを「一泊住民」と呼んでいる。
「外湯はあくまで、住民たちのもの。それを開放してくれているという意識で入ってもらうことで、昔から大切にされてきた温泉文化を守り、温泉街の価値を高めることができる。それがサステナブルツーリズムに通じると思うんです」
関さんが培ってきた経験や人脈を生かし、今後も渋温泉の魅力を発信していく。そしてこの場所が地域と観光客をつなぐハブとなり、渋温泉を好きになってくれるコアなファンを増やす役割を担えればと、関さんは願っている。
何の気なしに歩いた温泉街で出合った2軒の飲食店。ジャンルは違えど目的は同じ。「来たとき以上に帰るときにはもっとファンになってもらいたい」、そんな気持ちで日々営業をしている。
ひとっ風呂浴びた後は若葉屋で湯上りビールを一杯。そしてgonkiのディナーを満喫し、宿に帰る前にもう一度若葉屋を訪れ、ジェラートとカフェでひと息つく。そんな過ごし方はいかがだろうか。帰るころには渋温泉をっもっと好きになっているに違いない。
〈渋温泉食堂 gonki〉
住所:長野県下高井郡山ノ内町平穏2267-3
https://www.instagram.com/gonki.manger.et.boire/
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〈若葉屋〉
住所:長野県下高井郡山ノ内町平穏2184
https://www.instagram.com/wakabaya_shouten/
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取材・文:大塚真貴子 撮影:平松マキ
<著者プロフィール>
大塚真貴子(Ohtsuka Makiko)
長野市出身。東京で情報誌を中心とした雑誌、書籍などの編集・ライターを経て、2008年に地元である長野市にUターン。地域に根差した出版社において情報誌の編集に17年間携わり、フリーランスのローカルエディター・ライターとして独立。観光、グルメ、住まい、ライフスタイルなど幅広いコンテンツを手がけるほか、イベント、間借りスナックなどを思いつきで開催している。
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