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特集【発見!ナガノ・ガストロノミー】Vol.9 育てた小麦でパンを焼く。パン職人たちの12か月

長野県佐久市西部。蓼科山北麓に広がるのどかな丘陵地帯で、小麦栽培を始めたパン職人たちがいます。国産、県産の小麦が注目され始めて久しいとはいえ、彼らはなぜ、“パンのための小麦栽培”を自ら始めたのでしょうか。種まきから製粉に至る一連の作業をお届けしながら、0.5反の小さな小麦畑で生まれつつある新しいガストロノミーの実態に迫ります。

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舞台は佐久市の小さな小麦畑『R&B record 農場』

佐久市望月で〝パン&ピザ家〟〈the OK bread & pizza〉を営む岡田信一さん、松本市でベーカリー〈kopin.〉を営む木下輝さん、佐久市で米農家を営む〈がんも農場〉の黒田祐樹さん。音楽や人の縁を通して出会ったこの3人が、佐久市浅科にある0.5反の畑『R&B record 農場』で小麦栽培を始めたのは、2021年のこと。秋に種をまき、翌年夏に収獲・製粉を行い、収穫した新麦でパンを焼く。こうした約1年のサイクルを3シーズン、小さくもコツコツと続けてきました。

私が『R&B record 農場』の取り組みを知り、強く惹かれたのは、かねてより「長野県内には数多くのベーカリーがあり、これだけ広大な農地が広がっているのに、なぜ地域産の小麦を使ったパンはそれほど多くないのだろう」という疑問を漠然と抱いていたから。お米や野菜と同じように、小麦だって地域で採れたもののほうが新鮮でおいしく、その小麦を使ったパンはより味わい深いものになるのではと考えるのは、私だけではないはずです。

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『R&B record 農場』のR&Bは、“rhythm and blues”ではなく“rice and bread”という意味。音楽でつながった3人ならではのユニークなネーミングだ。(撮影:Seth McAllister)
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5月下旬の、青々とした小麦の穂。梅雨の前後に収穫期を迎える。(撮影:Seth McAllister)

しかし岡田さんに聞くところによると、価格や品質の面において、まだまだ輸入小麦のほうが使い勝手が良いのだそう。アメリカやカナダ、オーストラリアなどの小麦は、広大な農地で大規模に栽培されるため、輸入コストが上乗せされたとしても、国産・県産の小麦より手頃な価格で手に入れることができ、品質も安定しているというのが実情なのです。平地が少なく温暖湿潤であるという地形的・気候的な条件から仕方ないことではありますが、実際、国内で消費されている小麦の9割は輸入であり、令和5年度に長野県で生産された小麦の量は6,150t。国内全体で生産されている生産量の1%もカバーできていません。このような小麦を取りまく現状を知れば知るほど、さらなる疑問が生まれてきます。

「ではなぜ3人は、小麦栽培を続けているんだろう」と。

その理由を探るべく、私も『R&B record 農場』の小麦栽培に参加することを決めました。

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佐久市望月のパン&ピザ家〈the OK bread & pizza〉店主の岡田信一さん。アパレル関係の仕事からパン職人へ転向し、13年間、中国の天津北京でパン専門のチェーン店を経営したという経歴をもつ。2019年に故郷へUターンし、〈the OK bread & pizza〉を開業した。(撮影:Seth McAllister)
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松本市石芝のベーカリー〈kopin.〉の木下輝さん。松本市内に本店を構える老舗のベーカリー〈スイート〉で3年間修行を積み、2022年に〈kopin.〉を開業。2024年5月から1年間、ワーキングホリデーでイギリスに滞在し、英会話力とパン作りの腕を磨いている。(撮影:Seth McAllister)
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佐久市浅科の米農家〈がんも農場〉の黒田祐樹さん。埼玉県出身。農家になることを志し2010年に佐久市へ移住した。3年間の研修を経て2013年に〈がんも農場〉として独立。米作りが主だが、『R&B record 農場』での取り組みを通じて小麦栽培も研究中。(撮影:Seth McAllister)

小麦栽培の年間スケジュール

秋まきの小麦の大まかな流れは、10~11月頃に種まきをし、冬を越えて翌年の春に麦踏みや追肥、草取りを適宜行い、梅雨明け前後の6~8月頃に収穫する、というもの。『R&B record 農場』にはパン職人の岡田さんと木下さん、米農家の黒田さんを中心に様々な地域、様々な職業のメンバーが集い、季節ごとに農作業が行われています。ちなみにこの農場でおもに栽培している小麦の品種は、『ゆめかおり』。パンに最適な硬質小麦です。

10月 種まき

秋まき小麦の種まきのタイミングは、10月中旬から下旬にかけて。耕した土の上に何列もの溝を掘り、溝に小麦の種を蒔きます。小麦は1か月もしないうちに発芽しますが、間もなく冬がやってくるため、作業は一時中断。年明けを待ちます。

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溝に種を蒔いたら、土をその上にかぶせて軽く踏みつけていく。(写真提供:the OK bread & pizza)

3月 麦踏み

春頃になると、小麦は長さ15~20㎝ほどのサイズに成長します。この段階で行うのが“麦踏み”の作業です。小麦を踏むことで長野の冬の凍み上がりで浮いた根を戻し、根の張りを強くして倒伏を防ぐことができるため、より多くの実が取れるようになります。このタイミングで追肥も行います。

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一歩一歩、小麦を踏みしめながら歩く一同。(撮影:松元麻希)

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『R&B record 農場』の小麦には有機の魚粉肥料を使用。(撮影:松元麻希)

5月 草取り

ゴールデンウィーク後は気温が一気に上昇し、小麦も雑草も畑一面を覆い尽くすほど急成長します。そこでビーバーや鍬などの道具を使い、誤って小麦を刈り取らないよう注意しながら雑草を除去します。草取りが完了したら、再び追肥をします。

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小麦畑の周辺にはびこる雑草の除去も重要な作業。(撮影:Seth McAllister)

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小麦に埋もれながら、鍬を使って慎重に雑草を刈り取っていく。(撮影:Seth McAllister)

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草取り後、手分けして小麦畑全体に有機肥料を蒔いているところ。(撮影:Seth McAllister)

7月 麦刈り、脱穀

5月から2か月も経てば、青々としていた小麦は黄金色へとすっかり様変わり。梅雨の前後の晴れの日が、収穫のタイミングです。稲刈りにも使われているバインダーや脱穀機を使いながら、畑の小麦を一機に刈り取り、脱穀していきます。

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じつは今回、収穫のタイミングが少し遅れてしまった。小麦がここまで乾燥する前に収穫するのがベター。(撮影:松元麻希)

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バインダーで刈り取れなかった小麦は、鎌などを使い手作業で刈っていく。(撮影:松元麻希)

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刈り取った小麦を脱穀機に投入し、穂先から籾を取り出す作業。(撮影:松元麻希)

8月 唐箕、磨き、製粉

小麦が適切な水分量になったら、唐箕機を使って玄麦とゴミや未熟麦を分けます。さらに玄麦を精麦機に入れて適度に磨きをかけ、ミルで細かく挽いたら、パンの材料として使える状態、つまり“小麦粉”になります。

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唐箕によって取り出した玄麦を、精麦機に投入し磨きをかける。(撮影:Seth McAllister)

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磨きをかけた後の玄麦。ふすま(表皮)が付いた状態で、このまま挽くと“全粒粉”と呼ばれる小麦粉になる。(撮影:Seth McAllister)

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小型の電動ミルで製粉した小麦粉。全粒粉なので全体的に茶色がかった色合いに。(撮影:Seth McAllister)

9月 新麦パンの提供

0.5反の小麦畑から収穫できた小麦の量は、約140kg。大方の小麦が、佐久市〈the OK bread & pizza〉、松本市〈kopin.〉、松本市〈SWEET〉の3店舗に振り分けられ、各店舗で一部のパンの材料として使われます。

『R&B record 農場』のユニークなところは、小麦の収穫を記念して、毎年9月下旬にイベント『新麦音楽祭』を開催していることです。1年目は佐久市、2年目は松本市、3年目となる今年は能登半島地震の復興支援の一環として富山県氷見市で開催。イベント参加者に『R&B record 農場』産の小麦を使ったパンや惣菜をワンプレートに盛り込んで販売するなど、新鮮な自家製小麦を使ったパンをより多くの人に味わってもらえる機会も作っています。

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自家製の小麦で焼いた〈the OK bread & pizza〉のパン。左から、「望パン」「山パン」「長パン」。どのパンも、新麦ならではの豊かな香りと風味が楽しめる。(撮影:Seth McAllister)

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2024年9月29日、富山県氷見市で行われた『新麦音楽祭』のプレート。新麦を使ったパン2種とパスタ、地域の食材をふんだんに使った総菜が一皿に。(撮影:松元麻希)

小麦栽培が生み出すコミュニティとガストロノミー

『R&B record 農場』の活動に参加してわかったことは、小麦栽培は手間がかかるということ。いわゆる化学肥料や大型の機械を導入した栽培方法ではないため、その手間はより大きくなっているわけですが、1年かけて作業をして最終的に手に入った小麦粉の量が140㎏と考えると……。1店舗が1年間使える量をすべて賄うだけでも、途方もない労力が必要なのだと実感しました。

ただ一方で、「パンが好き」「小麦が好き」という仲間とともに小麦作りをするという行為自体が非常に楽しく心地よいと感じたことは、私にとって大きな収穫でした。毎回少しずつメンバーは異なりましたが、発起人の3人以外にも、パン屋のオーナー、パン屋開業を目指し修行中の人、中華料理専門店の開業の準備をしている人、山梨県で酒店を営む人など、飲食に関わるさまざまな人が『R&B record 農場』の小麦栽培に参加していて、ゆるやかなコミュニティが生まれつつあることを実感。

「せっかく小麦を作れる場所があり、作れる人がいるなら、おもしろそうだしやってみようか、という感じでした。単純に考えたら割に合わないですよね(笑)。僕たちは合理性よりも、意味のためにやっているというか……。お客さんが喜んでくれるし、自分たちも楽しいし、そこが価値なんじゃないですかね」(〈the OK bread & pizza〉岡田信一)

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2023-24シーズンの小麦栽培に参加したメンバー。畑も人も徐々に拡大中!(撮影:Seth McAllister)

「farm to table(農場から食卓へ)」を提唱した、ニューヨークの三つ星レストラン『ブルーヒル』のシェフ、ダン・バーバー氏は、著書『THE THIRD PLATE』のなかでこう語ります。

“クラースによれば、小麦は社会的要素を備えた穀物であり、コミュニティの建設を促し、僕たちの人間性を映し出す鏡だった。” (※)

※Dan Barber(2014). THE THIRD PLATE, Penguin Press. (ダン バーバー, 小坂絵里(訳)(2015). 食と未来のためのフィールドノート―第三の皿を目指して(上)土と大地, NTT出版)

小麦は単一栽培で大規模に生産するもの。このような固定概念が定着したのは近代以降の話であって、それ以前はきっと小麦畑を中心とするコミュニティが世界各地に存在し、それぞれにガストロノミーが育まれていたのでしょう。

2024年10月某日、来シーズン収穫用の種まきに参加してきました。佐久市の小麦畑に育まれているコミュニティが新たなガストロノミーを生み出す未来を想像しながら、私もパンを愛する一人として、これからも小麦作りに携わっていきたいと思います。

『R&B record農場』の活動に参加しているベーカリー

最後に、『R&B record農場』の活動に参加しているベーカリーを紹介します。数に限りはありますが、〈the OK bread & pizza〉、〈CAFE SWEET 縄手本店〉では『R&B record農場』産の小麦を使ったパンも販売中なので、新麦の味を確かめたいという方は、早めに店舗へ足を運んでくださいね。

〈the OK bread & pizza〉(佐久市)

Website:https://theokbread.amebaownd.com/
Instagram:https://www.instagram.com/theokbread/
MAP:https://maps.app.goo.gl/AZFFm2eRhmCqX6f17


撮影:Seth McAllister、松元麻希 取材・文:松元麻希

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