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新しいジブン発見旅-櫻井麻美さんのニチコレ(日日是好日)第18話 レトロな建物でクリームソーダを愛でる休日を。

レトロな佇まいの建物で、クリームソーダを片手に休日を過ごす。日常の喧騒を忘れ、心満たされる時間を過ごしに出かけよう。

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誰もが自由にクリームソーダを楽しめる時代

 

クリームソーダが市民権を得て久しい。私はこの時代を密かに待っていた。周りの目を気にせずに、堂々とクリームソーダを堪能することができるからだ。

昭和も終わりに近づきつつある時代に生まれた私。クリームソーダに関する最初の記憶は、母に連れられて行った百貨店の上階に位置するレストランだ。 何かのご褒美に連れて行ってもらったその日、丸いテーブルに座る私の前に出てきたクリームソーダは、キラキラと輝いていた。鮮やかな、透き通る緑色の中に浮かぶ気泡は、それぞれが上に向かって段々と浮かび上がっていく。その様子を見て、このままの状態で持ち帰って、自分の机の上に置いて眺めていたいと、とっさに思った。

飲んでいるうちに、アイスクリームの白い色が、緑色にだんだんと溶け込んでマーブル模様ができあがる。それは、一度たりとも同じ模様にはならず、その刹那にしか楽しめない。一口目のシュワッとした爽快感から、どんどんクリーミーに変化していく味も、おもしろい。途中で口にする真っ赤なさくらんぼは、ふにゃりとして、味もフレッシュなさくらんぼとは一線を画すものだが、幼い私にはまるで、指輪にでもできそうな宝石に思えた。初めて出会った時から、クリームソーダは私にとって、全てが特別だったのだ。

その鮮烈な印象から、大人になってもクリームソーダに対する憧憬は尽きなかった。つまり私は、皆がコーヒーを頼むような場面でも、クリームソーダを頼むことが度々あった。まだクリームソーダが市民権を得る前は、その態度に対する視線は少し冷たかったように思う。今でこそ、好きなようにしたらいい、とか、気にし過ぎだ、とか、堂々と注文すればいいと思えるのだが、うら若き乙女だった当時は、そこまで開き直れずに、なにか少し申し訳なさや恥ずかしさと共にクリームソーダを飲んでいたものだ(結局は頼むのだ)。

でも、その時代は終わった。もはや誰もが、心置きなく、誰に罪悪感を抱くこともなく、クリームソーダを注文できるのだ。私はこの日を、待ち望んでいた。今までのちょっとしたルサンチマンは、ついに、解き放たれたのだ。こうやって、クリームソーダに対する愛を語ることさえも。全てにおいて、自由なのだ。

かくして私は、胸を張ってクリームソーダを愛でる旅に出ることにした。とはいえ、流行最先端のきらびやかな場所よりも、どちらかと言えば、幼少期を思い起こさせるような、歴史ある建物でそれを愛でたい。レトロな建物と、クリームソーダ。休日を過ごすのにもってこいなこの二つを求めて、出かけるのだった。

のんびり過ごす昼下がり 『ヒラオカフェ』

誰もが思い描くクリームソーダ

こだわりのレモンスライスがチャームポイントだ

大きな掃き出し窓からふんわりと風が吹く

解放的な店内はあたたかい春の光に包まれていた

窓際の席でのんびりしよう

古民家に見事に調和した調度品の数々

春らしい古道具がたくさん並ぶ

住宅街にひっそりとあるのが良い

『ヒラオカフェ』は、そこに家がなければ通らないであろう道に突如現れる、古民家をリノベーションした店だ。空き家になっていたところを、一年半もかけて手を入れ生き返らせたそうで、周りの静かな住宅街の雰囲気も相まって、生活の匂いがするのが魅力だ。

靴を脱いで玄関を上がる(店の入り口なのだが、玄関と呼ぶのがしっくりくる)と、一面の掃き出し窓から春の日差しが店内を照らしているのが、目に飛び込んでくる。開いた窓からふんわりと柔らかい風が吹き、やさしくすだれを揺らした。その瞬間、一気に心が緩み、久しぶりに実家に帰ってきたかのような安心感に包まれた。つい、ただいま、と口走りそうになったが、もう少しの所でなんとかこらえた。

広々とした店内には、古道具もたくさん売られている。季節によって品ぞろえが変わるらしく、今は春らしいカラフルでレトロな品々が並んでいた。空き家に残されていた昔ながらの家具と見事に調和しているそれらを、ただ眺めているだけで時間が経ってしまいそうだ。今日の目的がクリームソーダであることを思い出し、席へと向かう。窓際の席に座れば、ぽかぽかと暖かな太陽が体へ降り注ぐ。まだ冬の気分が捨てきれずに、薄手のダウンジャケットを着てきたことを後悔し、早々に脱ぎ捨てた。じんわりと汗をかいている。ゆったりと流れる時に身を任せながら、熱を冷ますように庭をぼんやり眺めていると、クリームソーダが運ばれてきた。

『ヒラオカフェ』のクリームソーダは、きっと誰もが心の中に思い描く正統派クリームソーダだ。メロンソーダの緑、アイスクリームの白、さくらんぼの赤。そこに、レモンスライスの黄が加わり、何とも鮮やかでかわいらしい。店主が子どもの頃に喫茶店で飲んだものをイメージして作っているそうで、こだわりのレモンがチャームポイントだ。確かに飲んでみれば、レモンの酸味がすっきりとしたのど越しを演出している。でも、それ以上に、クリームソーダのもつ潜在的なかわいらしさを、より引き立てているように思う。レモンの仕事ぶりに畏敬の念を感じつつ、まじまじと見つめる。アイスクリームとメロンソーダの境目が、しゅわしゅわと音を立てながら溶け合っている。クリームソーダが他の飲み物と違うのは、それが鑑賞の対象になるという点だと、個人的には思っている。とにかく見ているだけで、飽きない。全ての瞬間において、幸福をもたらしてくれる存在なのだ。

そんな至福の昼下がりを堪能していると、店先に訪れた近所の方が、店主に蝋梅を渡す様子が見えた。後で聞けば、この春一番に花を咲かせた枝を、わざわざ持ってきてくれたのだという。丁寧に花器に生けられた枝を見ながら、うれしそうに話すその様子に、いたく心を動かされた。あるいはそれは、懐かしいクリームソーダを目の前にして、母のことを思い出していたからかもしれない。私もそろそろ、“自分の”実家に帰ろうか。店を後にする時、そんな考えが頭をよぎるのであった。


『ヒラオカフェ』
https://www.instagram.com/hirao_cafe/

存在感あるレトロな外観 『C.H.P COFFEE』

遠くからでも目立つレトロな外観

ずっと眺めていたい青と白

上にはホイップクリームとアイスクリーム

壁一面の大きな本棚にある本は自由に読める

本棚前の席でクリームソーダを撮るのが定番らしい

夕方の日の光が美しく店内を照らす

床を踏むときの音がたまらなく好きだ

小上がりで店内を眺めながらクリームソーダを頂こう

善光寺の参道にほど近い裏道にある、『C.H.P COFFEE』。こちらは、築100年以上のビニール工場をリノベーションした建物の一階にあるカフェだ。その佇まいは、遠くからでも分かるほど、周りとは違う雰囲気を醸し出している。そこだけ、何か時の流れが違うようで、近づけば近づくほど、その存在感に目が釘付けになる。

できたら店に入る前にぜひ、少し離れたところからその全貌を見てほしい。エイジングした看板に浮かぶ「ビニール松金松」の文字が、きっと一番最初に目に入るはずだ。ここでは当時、どんな人たちが働いていたのだろう。想像力を掻き立てる。上に目を移せば三つ並んだ窓と、そこにはめられた格子が、控えめながらもこの建物の雰囲気の印象を力強いものにしている。シンプルなのに、どこか魅かれる建物。ひとしきり外観を眺めたら、ガラスがはめられた引き戸をゆっくりと開け、中に入ろう。

店に一歩踏み入れると、外観の印象とはまた違う温かみを感じる。年月を経た建物にしか出せない、懐かしくも、優しい感覚。夕刻に訪れたその時は、ちょうど西日が斜めにガラスを通り越し、木が組み合わさった床を美しく照らしていた。その上を歩くと、床がきしみ、音がする。自ずと歩くのもゆっくりと、丁寧に床を踏みしめるようになる。歩く度に、この空間に柔らかく包み込まれていくような、そんな気持ちになった。

床から視線を上げると、以前の工場を思わせる店内の壁と、左手にある大きな本棚が目に入った。そこにある本の一部は隣接する古書店のもので、買うこともできる。カフェのものも含め、自由に手に取って読んでいいのだと、オーナーの菅さんは教えてくれた。一見クールだが、言葉を選びながら優しく丁寧に話してくれる彼は、この建物の醸し出す雰囲気に少し似ている。仰々しくアピールはしない。けれど、よかったら。どうぞ、ごゆっくり。そんなメッセージが本棚からもにじみ出ているようだ。人気の席は、やはりこの本棚の前の席だという。だが今日は、本棚とは反対側の、小上がりになった席へ。店内を照らす西日が美しく見えるここで、クリームソーダを頂くことにしよう。

赤、青、緑、黄の4色から、この日は青を選んだ。対面の瞬間は、いつだって胸が躍る。運ばれてきたクリームソーダは、深海のような深い青と、晴れた日の空のような明るい青。二層の上には、アイスクリームとホイップクリームがのっている。光に照らされると、見る角度によって表情が変わり、きらきらと泡が輝く。透明から透けて見える向こう側は、逆さまの世界だ。

ストローを挿すと、その弾みで泡が弾け、溢れそうになる。注意深く、でも急いでその青を吸い込む。早春の夕方。乾いた空気で少しかさかさした喉に、その刺激が染み渡る。青と白のグラデーションは、なぜこんなにも私たちの心を惹きつけるのだろう。地球上にある美しい景色を思い出させるその二つの色を、自分の中に吸い込んでいくのは、なんだか不思議な気分だ。クリーム部分を口に運ぶ。ついでにスプーンでくるくる回せば、二つの色が混ざり合い、もこもこした泡が盛り上がってくる。変化していく味を楽しみながら顔を上げると、先ほどよりも、店内にできた影が伸びている。幸せな瞬間というのは、あっという間に過ぎ去っていくものだ。名残惜しみながら、ほんの少しだけグラスの底に残ったクリームソーダを吸い込む。静かな店内に、「ずずず」という音が響き渡った。


『C.H.P COFFEE』
https://www.instagram.com/c.h.p_coffee/?hl=ja

クリームソーダを“飲む”ということ

大人になってしばらく経つが、クリームソーダの前にいる私はいつだって子どもの頃の私と同じだ。あの時よりもいくらかお金を持っているし、一人で店に入り食事をすることだってできる。でもなぜか、クリームソーダを前にした時の、これをこのまま持ち帰りたいとか、ずっと眺めていたいとか、そういう衝動は変わらない。コーヒーや紅茶の前では、もう少し落ち着いた大人でいられる。私を子どもの頃に引き戻すのは、クリームソーダだけなのだ。懐かしさを感じさせる店で飲む方がしっくりくるのは、そのせいかもしれない。

きっと、飲むという行為だけが重要なのではない。それを目の前にして、童心に戻り、目や舌で変化していく味を楽しみ、あの頃と同じ幸福感で心を満たす、そういう過程が大切なのだ。子どもの私でいる時には、次の日の仕事とか、そういうことは考えずに、純粋にその瞬間を楽しむことができる。もしかしたらそれを求めて、クリームソーダを頼むのかもしれない。でも、現実逃避とは少し違う。なぜなのか、2杯目を飲みたいなどとは、つゆも思わないからだ。クリームソーダは、あっけらかんと私たちを送り出す。そして、大人の私へと送り出されたその瞬間、さっきよりも心が満ちていることに、自ずと気が付くのだ。

やっぱり、クリームソーダは特別だ。ふわふわした幸福感で満たされながら、夕暮れの街へ歩き出す。青信号から聞こえる、あの少しひび割れた独特なメロディが、暖かい西日と共に、優しく私を包み込むのだった。


取材・撮影・文:櫻井麻美

<著者プロフィール>
櫻井麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ご す。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/

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