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特別な果物、いちご
いちご。その響きを聞くだけで、幸せな気持ちになれる。そんな果物がこの地球上に,他に存在するだろうか。りんご、でもない。れもん、でもない。やっぱり、いちご、だけなのだ。キャラクターにしても、テキスタイルにしても、どんなデザインにしてもやっぱりかわいらしい。果物の中でも、その存在はひときわ目立っている。
長野では色々な果物狩りが楽しめるが、その楽しみ方の中でもやっぱり重要なのは、その場で採った果物を口に放り込むことではないだろうか。やっぱり、どうしても食べたいのだ。もぎ取ったものを、今、この場所で。果物を口に放り込めば込むほど、狩ったことへの充実感が満たされる。もしかしたらこれは、太古の時代から私たちに備わる、本能らしきものなのかもしれない。ぽいっと一口で食べられるいちごは、とにかくたくさん口に放り込むことができるから、果物狩りには最適だ。その成果が、残ったヘタで可視化できるのもまた、良い。今日も、よくやった。そんな気持ちになる。
いちごに囲まれながらいちごを食べられるなんて、考えただけで多幸感があふれ出す。待ちに待ったいちごの季節、満を持して、いちご狩りへ出かけよう。
いちごの迷路に迷い込む 『こもろ布引いちご園』
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広大なビニールハウスはいちごの迷路のようだ
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色々ないちごとたくさん出会える
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その美しさにほれぼれする
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景色も雄大な立地
浅間山をはじめとした山々を望む『こもろ布引いちご園』では、広大な敷地のビニールハウスの中で、いちご狩り体験をすることができる。いちごと一口に言っても、実はその種類は様々で、大きさや形、味などもそれぞれ違う。色々な種類を食べ比べできるのも、いちご狩りの魅力のひとつだろう。
ここでは日によって収穫場所が変わるため、その日にどの品種に会えるかはお楽しみ。運が良ければレア品種に出会えることもあるそう。遠くまで続く数々のいちごを見定めながら歩くのは、まるで宝探しのようだ。奥行きが90mもあるビニールハウス内はおよそ25度。久しぶりの暖かな気温に、身も心もわくわくする。
社長の倉本さんは、私をいちごの迷路に案内しながら、次々においしそうないちごを見つけては教えてくれる。聞きなじみのあるものから、初めて聞くものまで、倉本さんおすすめの順番に食べてみる(甘さや酸味などのバランスの関係で、よりそれを感じられるベストな食べ順があるそうだ)と、なるほど、特徴がそれぞれ違っておもしろい。粒の大きさなどでも、味は変わると言う。
「大きいと糖度が高くて、小さいと酸味とのバランス重視型なんですよ。お子さんには大きい方がいいかな、大人はぜひ小さめも食べてみてください。」
“いちごの声が聞こえる”という、倉本さんのようなプロフェッショナルと違い、私のようないちご初心者としては、どうしても目に付くのは大きいものばかり。だが、そのように教わってみると、均整の取れた小粒のいちごも確かに、赤くキラキラとその存在をアピールしていることに気づく。甘さだけでなく、より複雑に構成されたその味わいが、奥ゆかしさを感じさせる。なるほど確かに、いちごの味は単純ではない。
先へ進む。連なるビニールハウスはまだまだ続く。コートを脱いでも汗ばむほどの暖かさに、もう寒い外には出たくない、という気持ちになってくる。このままいちごと共に暮らしたい。ぼんやりとそんなことを考えていると、倉本さんが、まだ実がなっていないエリアを紹介してくれた。
「これが“御牧いちご”ですよ。」
小諸といちごの深い関係を象徴する、知る人ぞ知る貴重ないちごである。
いちごのふるさと “いちご平”
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“いちご平”という名前がかわいらしい
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続く道の途中にぽつんと現れる
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この土地にかつてはいちごがたくさんあったのだ
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“御牧いちご”は他の品種よりも少し小ぶり
実は、小諸はいちご生産発祥の地とも言われており、その歴史は明治時代にまでさかのぼる。『こもろ布引いちご園』から車で10分ほど行ったところに今も残る“いちご平”では、いちごの露地栽培が盛んに行われていた。
その当時、栽培されていたのが“御牧いちご”だ。水煮やジャムへ加工され、誰もが知る有名メーカーも販売することで、ブランド化されていったそう。現在4月20日は「ジャムの日」と制定されているのだが、その起源となるのも、小諸の地でジャム産業の礎を作ったと認められた、塩川伊一郎氏なのだ。
時代と共に産業は形を変え、“御牧いちご”の栽培も途絶えてしまった。が、野生化したいちごからそれを見つけ出し、この『こもろ布引いちご園』で保存、時間をかけて再び量産できるように取り組んでいる。他のいちごと時期がずれており、果実を見ることはかなわなかったが、“御牧いちご”は果実を触ると一日中手に残るくらい、香りが強い品種なので、ジャムには最適だという。
いちごのふるさとで、当時と同じいちごが目の前で育つのは、なんとも感慨深い。100年以上前の人々は、このいちごを手に取り、どんな風に向き合っていたのだろう。そして今、またこの地から“御牧いちご”を使った産業を復活させようとしているのだから、小諸といちごの続いていく歴史を目の当たりにしているような気持ちだ。時を超えたその営みに心揺さぶられながら、じっと目の前のいちごを見つめる。
「いちごって、古い歌にも登場するんですよ。昔から親しまれているものなんですね。いちごを食べる時って、いつも笑顔がそこにありますから。」
そんな倉本さんの言葉に、はっと気づかされた。なるほど、そういうことだったのか。いちごに対して抱いていた漠然とした気持ちが、その一言で明るく照らされたような気持になった。
人々の笑顔をつなぐ かけがえのない存在
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広々としたカフェスペースでのんびりいちごを好きなだけ食べられる
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子どもの低い目線だと大人からは見えないいちごがよく見える
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お土産コーナーでは飛ぶようにいちごが売れていく
なぜいちごが特別な果物なのか、ようやく理解できた。誕生日や結婚式等のお祝い事の際に出てくるケーキには、いちごが乗っている。いちごを怒りながら、泣きながら食べることは、あまりない。いちごとは、笑顔と共にある果物なのだ。キャラクター化するにしても、いちごのキャラは大抵かわいらしく、微笑んでいる。怒ってなどいない。
「実はね、農家って縦ジワじゃなく、横ジワが多いんですよ。いつも自然と向き合って過ごしているからね」
眉間に入る縦ジワではなく、笑った時にできる横ジワ。終始ユーモアを交えながら案内してくださった倉本さんは、最後にそういって笑った。
『こもろ布引いちご園』のテーマの1つでもある「ファミリーコミュニケーション」。いちごを中心に、様々な世代の人に楽しんでほしいという願いのもと、小さい子どもたちにも手の届く苗の配置にし、車いすや移動式ベッドでも通れるよう通路にも工夫をこらしている。 ちなみに、多くのいちご狩り園で設定されている制限時間はない。お腹いっぱいになるまで、ここにいて構わない。広い園内に配置されたカフェスペースでは、採ったいちごを前にして、人々はのんびりとおしゃべりを楽しんでいる。いちごを目の前にしながら、笑顔がたくさん溢れている。人の思いに寄り添いたい、という農園だからこその景色だ。
和やかな雰囲気の一角で、私も沢山のいちごを口に放り込み、身も心も満たされた。いちごを通じて、思いがけず歴史のロマンに触れることもできた。時代を超えて、笑顔と共に愛されてきたいちごを手に取り、ぼんやりと見つめる。すると、これをスイーツにしたらどんなにおいしいのだろう、と、新たな妄想が浮かんできた。 このまま食べるいちごも、もちろんおいしい。だが、きっとこのいちごを使ったスイーツは、さらにおいしいに違いない。いちごの魅力を最大限感じられるスイーツを、ぜひとも堪能したい。いちご。いちご。どんどん大きくなる欲望を抑えながら、ビニールハウスを後にし、いちご園のいちごを使用したスイーツを販売しているお店へと、車を走らせた。
☞『こもろ布引いちご園』
参考:小諸市HP
やっぱり食べたい 『tarte』で味わう特別なスイーツ
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いちご平のいちごを使ったこだわりのショートケーキ
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つい上から見たくなる完璧なフォルム
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ショーケースはおいしそうなケーキでキラキラと輝いている
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長野の自然との調和をめざした『tarte』
10年以上に渡り『こもろ布引いちご園』のいちごを使っているという上田のケーキ店、『tarte』。店内に入ると目に飛び込んでくるのは、きらきら輝くようなケーキ達。特にこの時期はいちごを使った商品が多く、華やかなそのショーケースにくぎ付けに。
今日の目当てはやはり、“いちごのショートケーキ”だ。色々なケーキに目移りしてしまうが、真っ白な生クリームの上に赤いいちごがのっかっている、この潔いシンプルさにはやっぱりかなわない。ケーキの前に置いてあるポップには、“いちご平のおいしいいちご”と書いてある。
オープンしてすぐに店を訪れたが、私の前に並んでいた人は、なんと、ショートケーキを10個購入していた。時刻は、朝の10時過ぎ。その後も続々とケーキを買い求める人が、絶え間なく訪れる。お話を伺った水科さんも、やっぱり一番人気は“いちごのショートケーキ”だと教えてくれた。
『tarte』のショートケーキは、スポンジの口どけにこだわっていて、食べた時にふわっと軽やか。全体のバランスにも気を配り、生クリームは少し軽めだ。いちごもやはり、酸味、甘味、食感がベストなものを使用している。ぺろりと食べられてしまう、魅惑のスイーツだ。
かわいらしいデザインも、目を引く。切ってある三角の形でなく、切れ目がない、丸い形。ホールケーキを、一人や少人数では食べられないこともある。でも、やはり特別感を味わってほしい。そんな思いから、この形になったそうだ。
「一番に、食べてホッとするようなケーキを目指して作っているんです。技術的なことは、その後です。」
一人で、または誰かと、ケーキを食べて、ホッとする。満たされた気持ちで、自然と笑顔がこみ上げてくる。思い出の中にある、ケーキがある景色を思い浮かべると、やっぱりどれも、あたたかい。ケーキとは、つくづく不思議な食べ物だ。
長野の自然との調和をめざし、地元産の果物を多く取り入れている『tarte』。その店名には、旬の瑞々しいフルーツをその一番おいしいときに食べてほしい、という思いもこもっている。いちごをはじめとした、様々な果実のフレッシュな味わいを引き出すケーキ達。ショーケースの前で商品を選ぶ人々の表情には、やっぱり笑顔がにじみ出ていた。
いちご、という体験
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家に帰ってすぐ、大切にしまいこんだお土産のケーキ(誘惑に負けて、ちゃっかりお持ち帰りしたのだった)。冷蔵庫から、その紙箱を取り出す。この、箱を開ける時が、たまらなく好きだ。左右ひとつひとつ、取っ手をずらしながら、ひっかけてある部分を取り外す。ここで少し一息置いてから、ひと思いに箱を開けるのだ。胸の高揚感は、この時、最高潮に達する。ケーキを発生源とした光が、箱の中からあふれ出てくるようだ。
皿に移す。のっているいちごをフォークで刺し、口に運ぶ。その味が口いっぱいに広がる。やっぱりいちごは、ケーキの上にあるのがよく似合う。しみじみとそう思う。 私たちにいろいろな体験をもたらしてくれる、いちご。今回は、その存在の大きさに気づく旅だった。寒い長野の冬にも負けず、心も体もあたたかくなる、いちご狩り&いちごスイーツ。いちごの魅力を再確認しに、ぜひ出かけてみてほしい。
取材・撮影・文:櫻井麻美
<著者プロフィール>
櫻井麻美(Asami Sakurai)
ライター、ヨガ講師、たまにイラストレーター
世界一周したのちに日本各地の農家を渡り歩いた経験から、旅をするように人生を生きることをめざす。2019年に東京から長野に移住。「あそび」と「しごと」をまぜ合わせながら、日々を過ご す。
https://www.instagram.com/tariru_yoga/
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