絶景鉄道と駅前食堂探訪
山や川を越え、東西南北をつなぐ長野県の沿線。まだ車が今ほどなかった頃から建つ駅舎、田畑や山を映す車窓、川や谷を渡る橋。それぞれの風景の中には、時間や歴史を重ねた記憶があります。あてもなく沿線列車に乗って旅をする。検索もしないで行った先の食堂に立ち寄ってみる。そんな旅を3篇のエッセイでお届けします。撮影は9月初旬。今頃どんな秋色を浮かべているのだろうか。もう一度、旅に出たいと思った。
小海線。日本最高所の鉄道駅「野辺山駅」をめざして
どこからか金木犀の香りが秋風に吹かれてきた9月。長野県に引っ越した娘夫婦に誘われて、東京から長野県へ向かった。今日は孫の誕生日。「JR線では日本最高所の鉄道駅、野辺山駅に行ってみようと思うの」と娘からLINEで連絡をもらったのは、9月のはじめのことだった。
新幹線で上田駅に降りると、少し冷えた夏の終わりの風が胸に染み入る。行き先は車で迎えに来てくれた娘家族に委ねて、後部座席で孫たちの小さな手を握り笑い合った。小諸駅に着き、小海線の列車に乗った。
もうすぐ秋色に染まってゆくだろう。青空と緑の風景がフィルムのネガのように巡る。少し大きくなった孫たちのシルエット、寄り添う娘の姿を見て、懐かしい気持ちになった。ふと、若い頃よく聴いたJohn Denverの『Rocky Mountain High』が頭の中を流れる。『Country Road』を経て彼が作った2曲目の楽曲。ペルセウス流星群を観に行こうと荒野をドライブした彼が、星空の美しさに心を打たれ、自然美への歓喜を歌にした曲で、彼はこの曲で一躍アメリカのヒットチャートに名を連ねるようになった。
ーーー20代後半、田舎から思い切って上京したわたし。高度経済成長の中で仕事に勤しみ、家族との時間なんてほとんどなかった。そんなわたしにも娘がいて、今では孫がいる。彼らが長野県に引越し、自然の中で健やかに成長していることが、尊いことのように感じた。
途中、小海駅で降りることにした。周辺で昼食をとろうと。川のせせらぎ、のびやかな鳥の声が聞こえる。近くを歩いて見つけた「桔梗家」という飲食店に入った。娘家族と一緒にお座敷席へつき、メニューを開く。こういうところへ来たら、一番上に書かれているメニューにすると決めている。「元祖ソースかつ丼」。
小海駅から再び列車の旅へ。孫たちはお昼ご飯のおかげで、コクリコクリと頭を列車に揺らしている。「最近、体調はどう?」と娘に聞かれて、1年前の手術を経て「今では体力もすっかり落ちたが、元気でやっている」なんて会話をした。そうこうしているうちに、今日の旅路の終着点「野辺山駅」で列車は停まった。流曲面の屋根や壁面がやわらかな印象の西洋風駅舎は、1935年の開業から現在で3代目になるらしい。遠くには八ヶ岳の主峰・赤岳が優然と立ち、高原の澄んだ風が肌にふれる。徒歩25分くらいの場所には、「国立天文台野辺山宇宙電波観測所」もあるというから、John Denver『Rocky Mountain High』の誕生ストーリーとこの旅路はいささか呼応するものがあり驚いた。展望台へ歩いて向かおうかと童心にかえるわたしをそっちのけ、孫たちのソフトクリームと公園への冒険が始まった。
復路を経て、小諸駅へ戻ってきてからは、駅周辺にある「懐古園」を回った。小麦色の秋の光に染まる庭園は東京のそれとは違って見えた。10月の秋色と「国立天文台野辺山宇宙電波観測所」への旅を求めて、次の旅の計画を手帳に書いた。
別所線。赤い橋と雨の寺社へ
「ユーミン(松任谷由美)が別所線の応援をしている」というニュースを見たのは、たしか2020年のことだった。2019年の台風19号による豪雨で、上田から別所温泉をつなぐ別所線の赤い橋が崩落した。その後、復旧に奮闘する人々の姿が、災害からの復興を願う人たちの心を勇気づけた。ニュースは、長野大学の学生有志が復興活動をしていたところに、たまたま居合わせたユーミンが応援のメッセージを寄せ、別所温泉の復興を願う言葉をSNSでも綴ったというエピソードを報じた。そして2021年3月に全線開通を再開したと聞き、わたしはいつか別所線の旅をしたいと願った。
9月初旬。お盆明けで立て込んだ仕事の忙しさを経て、ふと休みができた。この週末はどこか遠くへ行こうと考えたとき、別所温泉を思い出した。翌朝、大宮駅まで乗り継ぎ、新幹線で上田駅をめざしていた。プレイリストはもちろん、ユーミンの往年のベストソング集。列車に乗ると、さっそく赤い橋だ。見逃さぬようにと、上田駅発車のときから、運転席のすぐうしろに立った。
赤い橋をこえると、あることに気がつく。今日はあいにくの雨だ。山の上には霧雲がかかっている。まだ青い田畑も雨に濡れている。ぼんやりと車窓の景色を眺めながら、別所温泉駅をめざした。降りてみると、ミントブルーとクリーム色の駅舎と出合う。雨の光のせいか、抽象絵画のような色彩を美しいと感じた。雨の旅も悪くない。
別所温泉駅を降りると、あたりは温泉街。木枠窓のお店や石畳を眺めながら、あてもなくただ歩いた。あらゆる道が温泉街の中心へとつながっている。導かれるまま歩いた先は、「北向観音」だった。高低差のある道の途中から眺めると、ジオラマのように見える街並み。不思議な奥行き感の中、歩く人の傘も濡れた石畳も、つややかで美しい陰影を浮かべている。
「北向観音」を経て、さらに山の方へと歩いてみたくなった。束の間の休日だ。歩くほどに涼しくなってゆく森の方へと歩を進める。その先は、安楽寺へとつながっていた。「安楽寺」は鎌倉の建長寺と並ぶ日本の中で歴史の長い禅寺だ。石階段を登り、雨音に耳を澄ませてただ歩く。苔、樹木、森のせせらぎ。陰翳礼讃とも言うべき和の美に包まれた。そしてさらにその先、国宝「八角三重塔」を見る。木造の八角塔は全国で一つしかないと言われている貴重な建築を、誰もいない雨の中、ただ一人眺めた。
随分と歩いた。我にかえると、あまりの空腹に気づき復路を急ぐ。ここへ来る道すがら目にしていた「日野出食堂」へ駆け込んだ。扉を開けると目に飛び込んでくるメニュー。ゴールデン街の焼き鳥屋を思わせる雰囲気に空腹がさらに増す。長野県に来たのだからと、山菜そばで即決。と決め込んでいたが、「元祖」の2文字に誘われて「馬肉うどん」に決めた。雨で少し冷えた身体に、あたたかいつゆが染みる。そこへ一通のメッセージ。「月曜日の打ち合わせですが、ちょっと提案内容を変更したいと思いまして...」。至福の時間に終わりのチャイム。夕刻までには東京に戻って、明日の準備をしないとな...。足湯も、気になる豆腐店も横目に、再び別所温泉駅から列車に飛び乗り、東京へ向かった。
大糸線。大町、木崎湖、南小谷へ
昨日の晴れ間とはうって変わって、早朝の雨にぬれた松本。上高地への登山を終えて、今日は松本のホテルから、あてもなく大糸線に揺られることにした。いつぶりだろうか。独り電車に乗って旅をするのは。童心にかえる。妻は松本の古い街並み巡りをするということで、今日は別々に過ごすことにしたのだ。
お昼すぎ、松本から大糸線へ。終着点は新潟県・糸魚川駅。海へ行くには帰りの時刻も心配なので、長野県と新潟県の県境までを旅することにした。南小谷駅までの約2時間の旅になるだろう。
昨夜、ホテルでダウンロードしておいたプレイリスト。イヤホンは骨伝導イヤホン。耳を塞ぐことがないから、乗車客の少しのざわめきと車掌のアナウンスと共に、ひとり喫茶店でBGMを聴いているような具合に、音を聴きながら車窓の風景を見た。
もうすぐ秋がやってくる。青々とした森は雨に濡れ、深い緑を浮かべている。遠くのアルプスは雲隠れ。少し残念な気持ちにもなったが、大地に敷き詰められた田畑の絨毯がやわらかな風を知らせてくれた。プレイリストからは高木正勝の『Tamame』。タイトルは忘れたが、ある映画の挿入歌だったことを思い出す。アイルランドを旅するひとりの女性がさまざまな出会いをする映画。まぶたに映る映画のシーンと共に、常念岳もアルプスも見えない車窓の大地が、テレビで観たヨーロッパの車窓の風景にすら見えてくる。先週、美術館で観たセザンヌの抽象的な絵画と重なり、幻想的な気分に誘われる。幼少期を思い出す自分がいたりもする。
あてもなく、思ったことをノートにメモする。どこへ行こうか、なんてあまり考えない。こうしてどこにいても電波でつながっていると、たまにはつながっていない時間の中、ただ一人でいたいときがある。他界した旧友を思い出す。落ち込んだとき、彼がかけてくれた励ましの言葉が、いつも心の中にあった。それがどれだけ私を勇気づけたことか。イヤホンからは、ピアノの旋律。静かに、ただ静かに、誰もいない情景を眺めて、遠い昔の記憶が走馬灯のように巡った。
途中、深い森の中に湖があらわれる。木崎湖。車窓の風景は、鎌倉江ノ電から望む海にも似た水面のゆらぎを浮かべた。終着、南小谷駅。復路出発までの時間がわずか10分だったため、そのまま駅舎に居座った。
復路では信濃大町駅へ寄ってみようと考えていた。地元に暮らす古い友人にすすめられていた老舗の洋食レストランへ寄りたかったからだ。夕刻前、「信濃大町駅」へ着く。少し晴れ間がさしてきた。リュックを背負った若い登山家たちは、明日になればきっといい登山ができるだろう。
「信濃大町駅」から歩いて10分ほど。めざしていた「ハングリーボックスYUKI」へ着く。創業は1972(昭和47)年。恥ずかしながらわたしと同い年の老舗レストラン。ぼんやり灯るライトの下、蝋で作られたメニューがショーウインドウの中でにぎやかに並ぶ。カランと音をたてながら扉を開ける。常連らしき学生たちが、お腹を空かせた様子で「ナポリタン、大盛りで」と呼ぶ声に「はい、ありがとね」と言葉が行き来する。わたしもその声に誘われて、「ナポリタン...私は、普通で。あと、スープをひとつ」と声にした。
風光明媚な観光名所を巡るのもいい。だけど、何気ないやりとりが聞こえてくる場所、自分の記憶を照射する何でもない風景。そういうものに心を留めてみるのも旅なんだと思う。あいにくの雨だって。 「次は秋を探しにいこう」。ホテルに戻り、旅路の記憶を振り返るわたしに、妻は10月からの旅行計画を語り始めた。
構成・取材・文・写真(大糸線):小林隆史
写真:丸田平(https://www.instagram.com/maruta_taira/)
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