“自分自身として生きる”仲間と出会う場所
塩尻駅から木曽方面に車を走らせること約20分。到着する贄川(にえかわ)は、信州塩尻中山道33番目の宿場町「贄川宿」として古くから栄えていたエリアだ。たつみさんが運営する『宿場noie坂勘』も、かつては『坂本屋旅館』という旅籠として名を馳せており、“諏訪坂勘助”という名前を3代に渡って襲名していたという由緒正しい家だったという。
たつみさん「『宿場noie坂勘』は築100年余りの建物をリノベーションしてます。“坂勘”という名前の由来はもともと諏訪坂勘助(すわさかかんすけ)さんという方のお家からきています。当時は宿場町の旅館『坂本屋旅館』を運営しながら、群馬県の方へ木曽漆器を売りにいく卸売りの仕事もしていたそうです。“諏訪坂勘助”の名は、商売が繁盛した際にブランド名としてつくられたもので、3代にわたり世襲していたといわれています。そのため、地域の方の間でも、その名前を略した“坂勘”という愛称で親しまれていた建物なんです」。
空き家だったこの古民家とたつみさんが出会ったのは2019年の春先。片付けや改修などは、地域住民や友人など延べ200人近くに及ぶさまざまな方々の協力を得ながら着々と進んでいき、完成したのは2019年12月のこと。住人たちにそれぞれ与えられている個室以外にも、共有のキッチン、たつみさんの古物商事業『hito.to(ヒトト)』の商品が陳列されたショールームも併設されている。今も改修は継続中で、2022年初めにはシャワールームと、Wi-Fiと電源付きのワークスペースも新設され、暮らしやすさは年々向上しているという。
2022年3月現在、シェアハウスの入居者は約15人ほど。月に5日間まで滞在ができるという2拠点会員制度もあり、定期的に滞在する人もいるそうだ。
たつみさん「写真でもわかるように住人はみんな基本ハッピーです。共通しているのはなりたい自分の未来像があること。“自分自身として生きていきたい”という人たちが集まっているので、自分のやろうとすることを否定する人がいないんです」。
『宿場noie坂勘』の住人たちは、デザイナーや映像作家、役者、会社員などさまざまな肩書きを持っている。向き合うテーマは違えど、“自分自身として生きること”を目指し、模索しながらも人生を歩む住人たちは、互いにいつしか人生における大切な仲間となっていく。まさにこの場所が関わる人たちの居場所となっていることに気がつく。
自分のふるさとが消滅しない未来
『宿場noie坂勘』は古民家再生では8軒目になるという、たつみさんの並外れた行動力と熱量の根元に何かがあるとすれば、幼少期の小谷村(おたりむら)での思い出なのかもしれない。地元の京都府から山村留学で訪れ、小学校4年~6年生までの3年間を過ごした。
たつみさん「小谷村は景観が非常に良いですし、思い出もたくさんあるのですが、一番大きいのは自分の感受性が形成される瞬間にそこにいたという事実なんです。それがあるから、僕の中で小谷村がふるさとであるという感覚がめちゃくちゃ強いんです」。
たつみさんが高校生に入学してからしばらく経った頃、通っていた小学校が統廃合によって廃校になる知らせを受けたという。
たつみさん「僕が小谷村にいた頃は、ちょうど長野オリンピックの時で。白馬村の隣にある小谷村も活況でした。村が元気だった頃を知っているからこそ、通っていた小学校が廃校になる時は喪失感がめちゃくちゃあって。これで小谷村そのものがなくなってしまったら、自分はだめになってしまうかもしれない。自分のふるさとが消滅しない未来を描くために、何か行動を起こそうと小谷村に戻ってきたというのが長野県に移住した理由です」。
移住した当初は役場職員として働くものの、もっと直接的に地域の変化に関わりたいと、築150年余りの古民家を再生。「地域の入り口」となるゲストハウスとして運営し、持続的に回すことのできる仕組みを徐々に整えていったという。活動していく中で、小谷村単体ではなく、白馬村や大町市などの北アルプス地域を広域で結び、人を流入させていく仕組みをつくる必要性を感じ、大町市へと活動の拠点を移していった。
最終的に、地域の中でプレーヤーが活躍していくためには行政が地域変革の鍵を握る存在であることに気がついたたつみさん。行政改革としての取り組みが盛んなことで知られている塩尻市に着目したという。
たつみさん「塩尻市は『日本一おかしな公務員』という書籍を出版した山田崇(やまだたかし)さんという有名な行政職員がいることで全国的に知られていますが、僕が面白いと思ったのは、彼のような行政職員を生むことのできる仕組みや体制が塩尻市役所にあったこと。これを学びたいと、地域おこし協力隊として塩尻市に入り、活動していくことを決めました」。
シェアハウスをつくる構想は、拠点がまだ見つかる前から持っていたという。
たつみさん「ゲストハウスにした一軒目の古民家から使っている“noie(ノイエ)”というコンセプト名。これには、“~の家”といったように、地域の居場所だったり、地域との接点になる場所という意味があります。塩尻は毎年のようにたくさんの人が訪れる地域ですが、当時はなかなか地域との接点や居場所を持ちづらい現状があるように見えました。そこで“noie”という機能を持ったシェアハウスをつくることを最初から考えていたんです」。
塩尻市の中で、行政とうまく連携しつつ一つのモデルを作ることができれば、最終的には小谷村などの地域にもその経験を応用することができるかもしれない。たつみさんが現在塩尻市で実践しつつある取り組みは、ゆくゆくは小谷村にも応用できるものになるだろう。たつみさんが目指す「ふるさとがずっとあり続ける未来」をつくるための挑戦は現在も継続している。
地域との関係性を丁寧に紡いでいく
さて、塩尻市内でシェアハウスの候補地となる空き家を探していたたつみさん。他のエリアもあったなか、なぜ贄川を選んだのか、理由を伺った。
たつみさん「地域に入って何かを始める時に、最も重要なのは、地域との関係性をつくること。それが全ての土台です。どれだけアウトプットが良くても、地域の人の協力体制がなければ実現できないこともあります。贄川に関しては、地域の人が、僕らがやりたいことに対して二つ返事で『いいじゃんやろうよ、頑張って』と言ってくれて。まだ家も借りてない時から協力してくれる雰囲気があったんです」。
贄川地域の人たちのウェルカムな姿勢と、たつみさんの地域ビジネスにおける経験値が相まって、シェアハウス『宿場noie坂勘』プロジェクトはトントン拍子で進んでいくこととなった。
たつみさん「古民家を再生していく時に大切にしているのはその家の歴史です。その家が築100年だとしたら、100年間人が住んでいた歴史がある。その歴史を省みようとせずに、自分たちが新しく何か始めましたっていうのもなんか違くない?と」。
先人が残してくれた大切な財産である場所を、使わせてもらっているという感覚。新たな姿に変化していこうとするその家の転換点に、きちんと立ち会うことも意識しているという。
たつみさん「大家さんと片付けをしていると、箪笥(たんす)一つ処分するにも都度エピソードを話してくれるんです。すごく切ないじゃないですか。でもそれを処分しなければ先には進めない。なので、ちゃんとその決別の瞬間にはきちんと向き合おうと。そこと向き合った上で、どういうものを作るかなんです。大家さんに『良いじゃん、楽しそうだね』と言ってもらえるものじゃなければアウトプットできないと思ってます」。
今や『宿場noie坂勘』の恒例行事となっている年末の餅つき大会も、地域との関係性を物語る象徴的な出来事だ。
たつみさん「お向かいに住むおばあさんのお家に呼ばれた時に、餅つきの臼があって。『餅つきされてたんですね』って言ったら、『旦那がなくなってから餅つきできてないのよ』って。そんな話聞いたら、やりたくなっちゃいますよね(笑)。おばあさんも『一緒にやってくれるんだったら、孫も呼べるからやろう』となって」。
近隣の方が不安にならないように、コロナ禍でも、回覧板を回して周知を徹底しているほか、雪が多かった2022年は坂勘の住人たちが雪かき要員として地域の方に重宝された。
地域の人たちも当たり前のように、『宿場noie坂勘』を訪ねてくるという。
近所に住む天然の草木を使った石鹸を作る職人さんは、「自分がいつ引退してもいいように弟子を取りたいから誰か手伝ってくれないか」と相談してきたり、「漬物の漬け方教えるから誰かきてくれないか」と言ってくる方がいたり。地域との関係性づくりは、こうした日々の丁寧なコミュニケーションや助け合いの積み重ねによって成り立っていることを再認識する。
人生の最期まで「出会いをつくる人」でありたい
地域との関係性を丁寧につくりながら、人と人の出会いを創出していくこと。まさに言うは易し、実際のところ実行するには相当なエネルギーや時間を必要とすることだと思う。だからこそ、たつみさんが何をするかの意思決定の時に大事にしている価値観があるようだ。
たつみさん「僕の中で何をやるかを決める上で大事にしている条件は3つです。まず、楽しいこと。お金になること。そして、誰かの何かにつながること。これらの3つを満たしていることを“愉しい”状態と表現しています」。
たつみさんにとって、“愉しい”こととは、一体どんなことなのだろう。
たつみさん「僕にとっては、シェアメイトの人生の転換期を一番の特等席から見ることでしょうか。移住するってその人の人生をある意味変えてしまうことなんです。『来いよ』と誘うんだったら、移住してきた人の人生をポジティブに転換できなくちゃ、そんなこと言えません。だから、何かを言う時にも、めちゃくちゃそこに向き合うし、コミットしてます」。
自分の“愉しさ”の達成には、関わる誰かの“愉しさ”があることが大前提。たつみさんの言葉からは仲間の人生に向き合う真摯な姿勢が感じられた。
最後に、たつみさんがこれからどのような人生を歩んでいきたいか気になり、質問してみた。
たつみさん「僕が人生設計の時にいつも考えるのは、“どうやって死にたいか”からなんです。死してなお人との繋がりをつくれるような人でありたい。将来的に『私たちの出会いはたつみさんのお葬式なんです』っていうような人たちが出てきたりとかしたら面白いじゃないですか(笑)」。
人と人の交流を生み出し、誰かの人生が変わっていく瞬間に立ち会い続けているたつみさんは、人と繋がることの大切さを本能的に理解しているのだと思う。
たつみさんが進める全てのプロジェクトにおいて、人と繋がり広がっていく“愉しい”未来を、私も楽しみにしつつ、関わっていきたい。
※この記事は2021年4月に旅人がたつみかずきさんを訪ねた際のインタビュー内容を元に構成されています。
文:岩井 美咲(旅人)
PROFILE
たつみ かずき さん
1986年生まれ/大阪出身
古旅館のシェアハウス【坂勘】sakakan店主
元LODEC Japan合同会社 代表社員
山村留学制度を通して小学4年生から卒業まで過ごしたふるさと長野県小谷村-OTARI-の消滅阻止を志し、2009年(22歳)に移住。役場正規職員を経て自宅である築150年の古民家をゲストハウスとして改修し「田舎の入口」づくりを開始。2011年から2018年までに再生した6軒の空き家で1万人の流動を生み出す。2019年より塩尻市に拠点を移し、「自分という肩書きで生きていく」をテーマに肩書きを捨てる。(現在再生8軒目の古旅館をシェアハウス「宿場noie坂勘-sakakan-」として運営中)
地域の遊休資産の再生と活用/シェアハウス運営/写真と映像/買付旅と販売 など「小さな流動と小さな経済を生み出すこと」をテーマに年収150万程度のミニマムローカルビジネスを生み出している。
宿場noie坂勘
公式サイト https://noie-sakakan.jp/
Facebook https://www.facebook.com/shukuba.noie/
3D Map https://my.matterport.com/show/?m=Rk9wiCf6UGV
<著者プロフィール>
岩井 美咲
Kobu. Productions代表
1990年東京⽣まれ。Impact HUB Tokyoに新卒⼊社後、起業家のコミュニティづくりや事業伴⾛を行いながらプログラムやイベントを運営する。2018年より⻑野県塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」の⽴ち上げに参画し、2020年に塩尻市に移住&独立。屋号の由来である「⿎舞する」をテーマに、向き合う⼈のビジョンや課題を掘り下げ、必要な伴⾛を提供しつつ企画を一緒に実現していく。事業内容はインタビューやPV制作のディレクション、ブランド⽴ち上げから経営伴⾛まで多岐にわたる。
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