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神秘の湯・白骨温泉
乗鞍岳の東山麓、中部山岳国立公園区域内。雪化粧した森の谷間に、10軒の温泉宿と3軒の土産・食事処が点在する静かな温泉地が「白骨温泉」だ。船のような地形と温泉成分が付着した白い湯船を例え、元来は「シラフネ」と呼ばれていた。大正時代に小説家・中里介山が描いた「大菩薩峠」で「シラホネ」の名が登場し、その名が浸透。開湯のいわれは不明なものの、鎌倉時代にはすでに湧出し、600年以上の歴史を刻むとの伝承が残る。
「白骨温泉」といえば、乳白色の湯で知られるが、源泉は無色透明だ。温泉に含まれる硫黄分の硫化水素とカルシウム成分が空気に触れることで白濁する。乳白色の温泉の多くは強酸性だが、ここは弱酸性で肌に優しい。特に胃腸病に効能があり“3日入れば3年風邪をひかない”といわれている。旅館ごとに源泉が異なり、色や匂い、肌感に微妙な違いがあるのも魅力の一つ。各宿はその特徴を表す湯号をそれぞれ持つ。
この旅の私的テーマは“回復”。日々の疲れが湯治の場として名高い白骨温泉へと導いたのかもしれない。神秘的な湯に漬かり、滋養食で体の内からも満たしてくれる一軒宿「山水観 湯川荘」に惹かれ、12月上旬に予定を組んだ。
当日は、見事な快晴。松本インターチェンジを降り、岐阜県の飛騨・高山に続く国道158号を走ると、住宅街から徐々に山深い景観へと移り変わる。隧道(ずいどう)内の分岐を通過したところで、日常から離れ仙境に足を踏み入れる高揚感に包まれた。県道白骨温泉線を経由し、観光案内所を過ぎ右折し坂を下りると、見えてきたのは湯川に架かる私設のつり橋。ゆっくりと進み、車を停める。ドアを開けると澄んだ空気が広がっていた。
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つり橋の先に佇む一軒宿。道路から離れているのに加え客室は10室。正真正銘の静寂の中、プライベートな時間が流れる
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今回は湯川に面する部屋に宿泊した。掘りごたつで暖を取りながら雪景色を眺める至福の時間
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山の谷間に位置するため、冬の朝は光がおぼろげ。その加減が心地良かった
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囲炉裏が置かれたロビー。どこか懐かしい雰囲気に安心する
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宿のそばに流れる湯川。水墨画のような光と影の世界に包まれていた
これぞ白骨。アートな内湯
「山水観 湯川荘」の泉質は含硫黄カルシウム・マグネシウム・ナトリウム炭酸塩温泉で、湯号は“せんきの湯”。慢性消化器疾患やリウマチ性疾患といった、せんき=下腹部や腰の不調に効能があることから名が付いた。高血圧や糖尿病、月経異常も適応症として挙げられる。源泉は機械を使わず自然湧出の力で引き、加温や加水はしていない。
内湯が3ヵ所(うち貸切1ヵ所)と貸切露天風呂が3ヵ所あり、チェックインからチェックアウトまでいつでも入浴できる。貸切といっても予約は不要で、1回の利用は50分を目安に。ドア前にスリッパを置いて内鍵をかけ、入浴中を知らせる。露天風呂の一つ「ほお」は、丸い湯船の奥にほおの木が立ち、湯川のせせらぎを聞きながら、新緑や紅葉の景色、冬は雪見温泉が堪能できる。
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3ヵ所ある貸切露天風呂のうちの一つの「ほお」。晴天の夜には満天の星空のもと、温泉に漬かることができる。この他、露天風呂は屋根付きの「うりが」と5〜10月限定の「山ぶんどう」がある
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温泉成分の堆積により、大理石のような体裁を見せるへり
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「山水観 湯川荘」の温泉はすべて飲泉が可能だ
貸切露天風呂の“隠れ湯”的な魅力とともに、宿の真髄は内湯にあった。やんわりと硫黄の香りがする風呂場には、木製の真四角の浴槽が2つ並ぶ。源泉に近い方は、42℃前後(気温によって変動)で淡いブルー、もう一つはぬるめでブルーグレイ。浴槽のへりや床には温泉成分のカルシウムや石灰が沈着し固まり、幾重もの層がつくられている。「白骨温泉」ならではの紋様だ。濃淡のある湯の色とあふれ出る温泉でつやめく自然のアート。その気品に心が落ち着く。
足を入れ肩まで漬かり、小さくため息を付いた。サラサラとした湯は肌触りが良い。炭酸成分が含まれているため、皮膚の古い角質を浮かせてくれるという。ボディーソープは置いてあるが、温泉の香りを損なうため、使用はおすすめしない。温泉を浴びた後に肌を優しくこすり清めるのが流儀だ。
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客室棟からのれんをくぐり内湯へ。扉を開けると硫黄の匂いが出迎えてくれた
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内湯は特に朝風呂がおすすめ。窓から入る光が気持ち良い。湯の色や立ち込める湯煙の濃さの違いに“湯は生き物”と知った。共用の他、貸切の内湯もある
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内湯の2つの浴槽を見比べると湯の量や溜まるスピードによっても色や白濁具合が異なるのが分かる
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床に広がる温泉の芸術
温泉を食べる
夕食は品数に応じて「滋養四菜」「滋養六菜」「滋養八菜」が用意されている。いずれもメインは「乳白色鍋」。温泉水とクセのないブラウンスイス牛の牛乳をベースに信州みそで味付け、信州豚や地元野菜、キノコなどを煮込む。温泉の炭酸成分によって、具材はやわらかくなる。そして、炭酸・硫黄成分は胃や腸の巡りを良くする。
今回選んだのは、旬の魚の刺身と天ぷらが加わる「滋養六菜」。この日はイワナだった。アカシアの花の酢漬けや乗鞍高原の地大根の煮物などの小皿に「乳白色鍋」、ご飯、そしてデザートが付く。満腹感はあるが、不思議と重くはない。
朝食には、源泉で1時間ほど炊かれた「温泉粥」が並ぶ。硫黄臭さはなく、ほのかな塩味と米の甘味の素朴な味わい。自家製のたくあん漬けや焼いた深山紅鱒(ます)をつまみ、野沢菜となめこのみそ汁と合わせて、“湯の力”をいただく。BGMのない食事処で、自分の体との対話がはかどる。舌に感じる風味や体内にじんわりと広がる熱、朝の光は鮮明で、きょう一日分の活力を得た気がする。
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当館名物の「乳白色鍋」。スープのまろやかさから思わず飲み干した
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朝食の「温泉粥」。寝起きの体に染み渡る
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食事処は織物で仕切られた半個室。大きな窓から見える森の景色。夕食時、深い藍色の森、そして朝日をまとった目覚めの森に心癒される空間
心も体も回復する、温泉旅の結び
「白骨温泉」を象徴する温泉成分が積み重なった芸術。確かな効能を持つ温泉。体の外からも内からもその恩恵を受け、心身ともに平常に戻っていくようだった。渓谷という自然環境と静寂に浄化され、いかに普段、雑音にまみれ「食」をおろそかにしていたかを思い知る。
自分を見つめ、自分と語ることの大切さと温泉の持つパワーの大きさを実感した1泊2日。心身の現在地を知ることができた安心感から、気持ちは晴れやかだ。忙しさを理由に積極的に出掛けない自分が重い腰を上げた今回の旅は、大正解だった。これからも「温泉に行こう」と思い立った心に素直でありたい。
次回訪れるのは、かつて祖父母とともに過ごした“残照の宿”。定宿探しの旅に出る。
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1955年(昭和30年)創業。常連は「ただいま」と言って、くつろいでいくという
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「山水観 湯川荘」に続く私設のつり橋。2.3t未満であれば車の通行が可能
『つり橋の宿 山水観 湯川荘』
長野県松本市安曇白骨温泉4196
TEL 0263-93-2226
https://sansuikan-yu.com/
取材・文・撮影:松尾 奈々子
<著者プロフィール>
松尾 奈々子(Nanako Matsuo)
1993年生まれ。長野市出身・在住。
記者・観光地広報担当を経て、現在はフリーライターとして活動中。顔は大福に似ているといわれる。人の話を聞くことが好き。
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