長野県最北端の温泉宿で幻のぼくちそばを食す
長野県の山々を紅色に彩る秋の到来。時同じくして“新そば”の季節もやってきた。11月に入り、そばの産地ではあちこちのそば店で“新そば入荷”の文字が見られるようになり、観光地のそば店は行列を作っている。
そばを細く切って食べる「そば切り」発祥の地である長野県。古くからそばの産地で知られ、日本三大そばとされる戸隠そばをはじめ、唐沢そば、小諸そば、高遠そばなど、各地それぞれ特色あるそばを食べることができる。
まず1軒目に訪れたのは飯山市戸狩温泉にある「手打ちそばの宿 石田屋」。ここでは“幻のそば”と呼ばれる「ぼくちそば(富倉そば)」が味わえる。
長野県北信地方、飯山市富倉地区に古くから伝わるぼくちそば。つなぎにオヤマボクチというモリアザミ科の植物の葉からとれる繊維をつなぎとして使ったそばのことをいう。 小麦粉が手に入りづらかった時期に、つなぎとしてオヤマボクチを使ったことが「ぼくちそば」のはじまりだ。
オヤマボクチの繊維を取り出すまでの作業工程を見せてもらうことができた。
葉を収穫したら、鍋で5~6時間煮て繊維だけの状態に。そして乾燥。鍋いっぱいに煮てもつなぎとなるのは葉脈の繊維だけなので、つなぎとして使えるのはほんのちょっとだけ。
手間暇かかるので他の人がやりたがらないから“幻のそば”というのも納得。最初にオヤマボクチをつなぎにしようと思い立った人の根性に敬意を払いたい。
石田屋ではそば粉だけでなく、このオヤマボクチも自社の畑で栽培。宿泊客に提供するだけでなく、外来可能な「そば処 石田屋一徹」も併設。そばを目当てに訪れる人も多いという。
石田屋では毎朝開店前にそばを打つ。
「できるだけ気温が低い方がいいというのと、朝は何かと忙しいので。できるだけ早い時間に打っています」と、話してくれたのは、こちらに勤めて9年目となる木原さん。
そば打ちは社長直伝。ぼくちそばは普通のそばよりコシが強いので、生地をこねるのに力がいる。
「こねるのも大変ですが、一番気を使うのはやはり切るときですね。繊維が入っているので生地を伸ばしてすぐだと切りづらいので、40分ほど乾かしてから切るんです」。
たっぷりお湯を入れた大きな鍋で茹で、冷水で“これでもか”としめる。使う水はブナの原生林から湧く名水「日光ゆきしみず」。
「夏は氷水も使いますが、湧水なので夏場でも結構冷たいんですよ」。
そばのおいしさは“水”で決まると言っても過言ではないほど、おいしい水でしめると、ツヤツヤ美しいそばとなる。
そして、水がおいしい地域は、決まって日本酒もおいしいもの。そばと合わせるお酒は王道、日本酒とのペアリングを楽しみたい。
歴史ある酒造が2軒ある飯山市。ファンが多い田中屋酒造の「水尾」と、生産量が少ないので地元以外だとあまりお目にかかれない角口酒造の「北光正宗」。どちらもぼくちそばとの好相性。日本酒で少し火照った喉を、冷たいそばがするっと通りぬける、こののど越し。くぅー!最高だ‼
「戸狩スキー場」に徒歩3分で行けるので、冬はスキー客が多く訪れる。混雑を避けたいなら今の時期がおすすめだ。24時間入浴可能の温泉はアルカリ性単純温泉。寒さでこわばった体を芯からほぐしてくれる。
温泉、そば、日本酒、三つ巴のおもてなしに大満足。今夜は良い夢が見られそうだ。
〈手打ちそばの宿 石田屋〉
住所:長野県飯山市豊田6786
TEL:0269-65-2121
http://www.ishidaya.co.jp/
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文豪が愛した老舗の宿で小諸そばを食す
長野県には「信州そば切りの店」という認定制度がある。日本で一番そば店が多い長野県。日本一のそば文化を築いてくれた先人たちへの感謝の意と文化の継承。そして長野県を訪れた観光客に本物の信州そばを味わってもらうため、そばの生産者とそば店がはじめた取り組みだ。認定されるには、①長野県産のそば粉を使用していること ②つなぎの割合は30%以下 ③手打ちであることが条件。それ以外にも年に1回、その基準を守っているか調べる実地審査もある。
そんな厳正な認定審査に合格した店には、「信州そば切りの店」の看板が掲げられている。先ほど訪れた「石田屋」に続いて、小諸市にある「中棚荘」もそのうちのひとつ。温泉宿でありながらもそば店併設する、正真正銘、信州そばの宿だ。
宿のことは後でふれるとして、まずはそば。宿に隣接する「はりこし亭」でそばを打つ、横田さんに話を伺った。
この日は定休日だったが、取材のためにそば打ちを見せてくれた。
「そば打ちは、現・会長に習ったんです。現在、会長はそば打ち体験担当で、はりこし亭と宿泊客のそばは、ほぼほぼ私が打っています」と横田さん。
自社農園で育てたそばと、浅間山の麓で育てた霧下そばを中心に使用。こちらではそば粉10割、つなぎ2割の“外二の割合”。そば打ちに欠かせない水は温泉水だ。
「毎日打っていても、その日の気候や気温が違うので、出来上がりも違ってくるんですよ。なるべく一定になるよう、配合には気を使っています」。
温泉水で茹でたそばを冷水でキュッとしめるとちょうどよいコシが生まれる。新そばならではの香りと喉越し。さて、何の酒を合わせようか…。
そばの香りが広がる新そばによく合うお酒は?と尋ねると「地元の日本酒など、いろいろ揃っていますが、おすすめはワイン。特に白ワインがおすすめです」と横田さん。
中棚荘では2002年からワイン用のブドウを栽培。標高約800m、昼夜の寒暖差が激しい御牧ケ原の地は、ワイン用のブドウを栽培するのに適しており、豊かな酸がしっかり残るブドウに育つという。年月をかけ、根をはったブドウが実となり安定してきたところで2018年自家醸造場となる「ジオヒルズワイナリー」がオープン。中棚荘5代目荘主・富岡正樹さんが運営、三男の隼人さんが醸造を担当している。
生産量が限られているため、ワイナリーと中棚荘、はりこし亭でしか入手できないレアワイン。新そばとのマリアージュをじっくり楽しみたい。
明治31年創業、島崎藤村をはじめ、文豪たちに愛された「中棚荘」。創業当時の趣を残す「大正館」には、島崎藤村が利用した部屋が残り、現在も宿泊できるようになっている。藤村はこの部屋で過ごした時間に思いを馳せ「千曲川旅情の詩」の歌を詠んだといわれている。歌の一節に出てくる「いざよう波の岸近き宿にのぼりて」の宿は、中棚荘を詠ったものだ。当時の情景が目に浮かぶような「藤村の間」で、文豪気分に酔いしれるのも悪くない。
そして温泉。
内湯、露天、ともに情緒ある造りで、美肌の湯と評判の湯はアルカリ性単純泉。特に冬の風物詩となっている「初恋りんご風呂」は、凝り固まった心と体を癒やす効果抜群。リピーターが多いのも納得だ。
〈はりこし亭〉
住所:長野県小諸市乙1210
TEL:0267-26-6311
営業:11:30~14:00LO、夜は完全予約制(前日までに要予約)
定休日:水曜、不定休
〈信州小諸・島崎藤村の宿 中棚荘〉
住所:長野県小諸市乙1210
TEL:0267-22-1511
https://nakadanasou.com/
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自然に囲まれた杜の宿でそば×フレンチガストロノミーを食す
高遠そばで知られる伊那市は信州そば発祥の地。奈良時代に修行のため信州を訪れた修験道の祖といわれる役小角(えんのおづの)が、そばの実を村人へ渡したことによりそばの栽培がはじまり、信州のそば文化が発展したといわれている。
今回は伊那市のお隣、駒ヶ根市にある「季澄香(ときすみか)」へ。個人的にも一度は訪れたいと思っていた憧れの宿だ。
ここで味わえるのはそば×フレンチガストロノミー。中路啓太シェフが提案するのは、
地元食材とそばを使ったフレンチのフルコース「蕎麦フレンチ会席」。
長崎、京都などで腕を磨いた中路啓太シェフ、14年前に長野県駒ケ根市へ移住。「駒ヶ根高原リゾートリンクス」で料理長を経て「季澄香(ときすみか)」オープンを機に、こちらの料理長も兼任。
「リブランドオープンするにあたり、特徴的な料理でお客様をおもてなししたいと考え、 信州を代表する美食である“そば”を取り入れた独自のコンセプトを考案しました」。
地元で採れる新鮮なそばの風味、伝統を活かしつつフランス料理のエッセンスを加え、 贅沢で洗練された「蕎麦フレンチ会席」を作り上げた。
「シンプルかつ繊細なフランス料理のテクニックを取り入れ、地元の食材と融合さ せた独創的な味わいをお届けします。ぜひ、当館で信州の風土と洗練された味覚が交わる、新しい食の体験をお楽しみください」と中路シェフ。
そばがきやそばの実のリゾット、そばのマカロンなど、そばを使った独創的なメニューが楽しめるほか、コースの終盤にはシェフが手打ちする「十割そば」も提供される。
「今は八ヶ岳産のそば粉を使っています。最近新そばになりました」。
新蕎麦は、少し青みがかった香りとみずみずしさが魅力で、この時期ならではの味わいが楽しめる。
「寝かせることにより香ばしさや深みが出てくるため、蕎麦は季節によってそれぞれの楽しみ方があります」。と中路シェフ。
ちなみにシェフは、冬を越し、旨味が熟成した“春のそば”が好きなのだそう。
宿の魅力はもちろんだが、リピートしたくなる一番の魅力は、地元の野菜や魚、 ジビエなどの素材を活かした中路シェフの料理によるところが大きいだろう。
「自然豊かで、空気もきれいで、水もおいしい。料理人としてはこれ以上ない環境だと思っています」と中路シェフ。
宮田村産のヤマメや地元の天龍鮎、丁寧にした処理されたジビエ、野菜や果物など、南信州はおいしい食材の宝庫である。地元の魅力を伝えるべく、その時々で入る食材を巧みにアレンジした中路シェフのコース料理にはどんなお酒を合わせようか。
ワイン、日本酒ともに充実の品揃え。「季澄香」オリジナルワインや、そばと相性がいいとされる「信州亀鈴」の日本酒にも魅かれるが、ここならではといえば駒ヶ根産「マルスウイスキー」。老舗がつくる地元のウイスキーと「蕎麦フレンチ会席」のペアリングは「季澄香(ときすみか)」でしか体験できない、宿泊客の特権だ。
「雄大な自然と料理に癒やされる杜の宿」というように、自然豊かな場所に建つ離れのような宿。8室ある部屋、それぞれ趣が異なるのも魅力のひとつだ。
すべての部屋には半個室露天風呂が備わり、天然温泉「早太郎温泉」の湯を心行くまで堪能できる。
温泉と、中央アルプスの伏流水からなるおいしい水と大自然。いろいろなものがデトックスでき、翌朝は心身ともにリフレッシュできそうだ。
<季澄香 ときすみか>
住所:長野県駒ヶ根市赤穂4-172
https://www.tokisumika.com/
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取材・文:大塚 真貴子 撮影:内山 温那
<著者プロフィール>
大塚 真貴子(Ohtsuka Makiko)
長野県出身。東京で情報誌を中心とした雑誌、書籍などの編集・ライターを経て、2008年に地元である長野市にUターン。地域に根差した出版社において情報誌の編集に17年間携わり、フリーランスのローカルエディター・ライターとして独立。趣味は飼い猫(ねこみやくん)を愛でること。
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