「あわい」の空間
長野市街地から戸隠までは車で40分ほどの距離。新緑の合間から木漏れ日がさし込む「戸隠バードライン」を通って集落に入り、戸隠神社宝光社・中社の参道沿いに広がる宿坊群を通る。一帯は江戸時代から続くまち並みが現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区(=重伝建)に選定されている。車の窓を開け、清廉潔白な空気を胸に吸い込んだ。
五つのお社から成る戸隠神社は、明治時代に神仏分離令が敷かれるまで、戸隠山顕光寺(けんこうじ)という寺院だった。宝光院(現在の宝光社)・中院(現在の中社)の参道入り口には仁王門があったという。今回泊まる施設は、中社の仁王門跡地付近=参道入り口に建っている。専用駐車場に車を停め、100mほど歩いて建物の中に入った。
地元の公民館「旧中社公会堂」が改修を経て、地域内外から人が集う施設に生まれ変わった。木造2階建ての1階がフレンチレストラン『awai』、2階がホテル『RITA 戸隠』。ホテル名の「RITA」は遺産・継承・伝統という意味の「HE“RITA”GE」に由来する。2階の窓ガラスや天井の梁・柱・腰壁は当時のまま、フローリングとして使われていた無垢材はレストランのテーブルに活用。華美な装飾のない洗練された空間は心地よく、どこかほっとする。
ホテルの客室は2室(各定員2名)で、ベッドやソファ、テーブル、デスク、バス・トイレ、冷蔵庫が付く。エアコンの他、床暖房も完備。デスク上には電源が配され、照明もある。少しパソコン仕事をした後、建物が並ぶ中社大門通りの景色を窓から眺め、歩いてみたいと思った。まだ日が高い。
スタッフの方におすすめの散歩コースを尋ね出掛けた。地元の伝統工芸品・竹細工のお店をのぞいてから大門通りを横切る。15分ほど古道を歩くと小鳥ヶ池にたどり着いた。太陽の光が反射してキラキラ光る水面。対峙する険峻な戸隠山。夕暮れ前、誰もいない静けさが広がっている。何も考えず、池の畔にしばらく佇んだ。
部屋に戻ってからはソファに腰掛けて本を読む。西日が入る室内で、ブラインドは下ろさずにいた。だんだんと日が陰っていき、無意識に一枚ガラスの窓に顔を近づける。薄暮のまち並みは美しく、温かい。
「あわい」の食
ディナーの頃合いになった。「フランス料理」に緊張しながら階段を下り、1階のレストランへ向かう。明るい色の木材で縁取られた店内。小さな照明が柔らかな空間を演出し、テーブルにはカトラリーが並んでいた。洒落ていて気取らない雰囲気に安心して、料理の到着が待ち遠しくなる。
フレンチレストラン『awai』は、国内外で修行したシェフが腕を振るい、地元の旬の食材を使った「戸隠フレンチ」を提供する。ランチ・カフェ・ディナーの営業で、宿泊客以外も利用することができる。
食前酒に長野県産のスパークリングワインをいただいていると、真っ黒な料理が運ばれてきた。メニュー表には「竹炭 フキノトウ」と書いてある。「食べてみてください」と言われるまま、黒いボールを口に運ぶと、見た目とギャップのある旬の味に思わず笑みがこぼれた。
目にも楽しい料理のおかげで、和やかな空気が漂う中、食事は進んでいく。地鶏とパイタンのフランは、旬の山菜が載り「パイタン」からは想像しないさらりとした味わい。地鶏のバロンティーヌは、鶏モモ肉に牛・鹿肉のミンチやゴボウとレンコンのキンピラが詰まっていて、生ハムを煮詰めたスープがかかっている。付け合わせのヤングコーンやオクラ、戸隠の直売所で入手した赤カブやズッキーニ、その名前のとおり滑らかな舌触りで芳醇な甘さのあるサツマイモ「シルクスイート」はニンニクのソースで。ワインを中心としたアルコールの他に、ノンアルコールのドリンクも用意されている。戸隠の水で作られた炭酸水は柔らかな口当たりだった。
「究極にまで削ぎ落としたシンプルなスープ」とシェフが話す逸品・新タマネギのスープは、あまりにも透き通っていて、ほれぼれした。豚の背脂で包んだ牛ホホ肉の煮込みにそばがきと行者ニンニクが載ったメインは、濃厚な牛ホホ肉のブイヨンとポルト酒のソースを合わせたクラシカルな一皿。デザートのそば茶のブリュレ、生チョコ・生キャラメルを堪能し、多幸感でいっぱいになった。楽しくて、そして驚きと発見が連続したディナーだった。
「あわい」の時間
とっぷり日が暮れた。部屋の外から流水音が際立って聞こえる。窓から夜空を見上げ、心なしか目頭が熱くなり、水の音で我に帰る。それを何度か繰り返した後、いつもより長く湯に浸かった。ブラインドを少しだけ開けベッドに入ると、大通りを走る車のヘッドライトが時折天井に映る。しま模様の光をぼんやり眺めながら、これからのことを考えていた。
戸隠の朝は早い。「おはよう!」とあいさつを交わす近所の声で、笑いながら起きた。支度をして、朝食前に戸隠神社奥社参道・緑が芽吹く朝の杜(もり)へ出掛ける。大鳥居をくぐる時、一礼している人がいたので、それに倣った。聞けば地元の方で毎朝、奥社にお参りしているという。途中まで一緒に歩き、追いつけなくなったので随神門辺りで別れた。杉並木を進み、奥社と九頭竜社で手を合わせ、その背景にある霊山「戸隠山」を見上げる。自然を信仰し、古くから多くの人が足を運ぶ戸隠。その信仰とともに発展した村の生活。自然への畏敬の念が胸にある人々。帰り道、大鳥居を出て振り返ると、自然と頭が下がった。歴史や心情の全てを知っているわけではないけれど、思いを馳せると胸がスッとして、清らかになった気がする。
『RITA 戸隠/awai』に泊まり過ごした時間を振り返る。まち並みに溶け込むミニマムで洗練された「空間」。フレンチと地元の食材を掛け合わせ、テロワールを表現する「食」。余白のある「時間」。歴史を紡ぐ新しい場所は、戸隠の地を存分に感じるために設計されていて、飾らない自分を思い出させてくれた。ボリュームのある朝食をペロリと平らげ、チェックアウトをし、寄り道して帰ることにする。心とリンクしてか、足取りも軽くなったみたいだ。
『RITA 戸隠 / awai』
長野県長野市戸隠3390
TEL 026-219-3444
1泊2食付 1名25,300円~(2名1室利用時)
ランチ 11:30~14:00 (LO.13:30)2,500円~
カフェ 14:00~16:00 (LO.15:30)550 円~
ディナー 18:00~21:30(コースのみ・要予約)9,350円~
※価格はすべて税込
☞ https://awai-togakushi.com
☞ Instagram:rita.togakushi_awai
☞ facebook:https://www.facebook.com/RITA.TOGAKUSHI
分散型ホテルプロジェクト始動の立役者に聞く、戸隠のこれから。
『RITA 戸隠 /awai』は、地元有志団体と全国で古民家再生事業を手掛ける会社とがタッグを組んで立ち上げた「株式会社awai」が経営する。今回の開業は分散型ホテルプロジェクトの第1弾。第2弾として今秋、宝光社エリアにある古民家を一棟貸しの宿にする計画で、現在改修が進んでいる。なぜ今このプロジェクトを?今後の展望は?など、プロジェクトの立役者2人に聞いた。
お話を伺ったのは、地元出身・在住の株式会社awai取締役・武井智史さんと、重伝建の調査に当たる長野市文化財課の塚原秀之さん。
—プロジェクト発足までの経緯は?
塚原:文化財の調査で関わっていた僕も地元の皆さんも「(建物・施設などは)使われていないと残していけない」「次世代の負担にはしたくない」という共通認識がありました。そんな中、他の重伝建で古民家再生に取り組む会社と出会い、地元に紹介した次第です。
武井:空き家の増加、高齢化、後継者不足は地域の課題。景観保存のためにも建物を活用する。そして人の流れを生む。先進事例も参考に、どうにか実現できないかと模索していました。塚原さんが物件の空き状況を把握されていたのは、プロジェクトを推進する中で大きな力になりましたね。
—プロジェクトの第1弾として「旧中社公会堂」を選んだ理由は?
塚原:偶然といえば偶然で。「旧中社公会堂」は新しい公会堂の設立や老朽化に伴い、取り壊される予定でした。未だ利用されている方もいましたし、獅子舞の練習や竹細工教室、習い事が行われていた思い出の場所を何とか残せないかといった声も聞かれましたが、最終的には次世代の重荷にならないようにとの意見が目立ち、解体の方向で話が進んでいた……ぐらいのタイミングで前述の会社とつながったわけです。
塚原:商業的に事業展開するのではなく、それぞれの文化財が持つストーリーの中で活用することが大切だと思うので、地元住民の寄り合いの場を地域内外の人が集う場所として再生する文脈はしっくりきますよね。
—第2弾の物件を選んだ理由は?
武井:僕の実家の裏にある空き家で、25年ほど放置されていた物件です。株式会社awaiの関係者で物件を見て回り、そこに決めました。朽ち果てて屋根は半分ないし「まさか」と思いましたが、ビフォーアフターのギャップは大きく、改修が上手くいけば地元の希望にもなるでしょうし、挑戦しがいはあると思います。
塚原:ロケーションがとても良く、施設として活用できたら戸隠の新しい魅力が生まれるんじゃないかと目を付けていました。物件の状態から中々難しい挑戦とも分かっていたので、着手するとの話を聞いた時は嬉しかったですね。
武井:しかも、かやぶき屋根に戻すっていう。
塚原:「カヤをふくライフスタイルを知ってもらいたい」という戸隠在住のかやぶき職人の方の考えと、プロジェクトの方向性が合致して、動き出したんですよね。
武井:結(ゆい・相互扶助の仕組み)の復活も見据えていて。これを機に、地域の中にかやぶき屋根が増えたら嬉しいですね。
—今後の展望は?
塚原:まず第1弾が形になったことで、地元の方々に自分たちが負担に感じていたものが、実は宝物であると思ってもらえたら嬉しいです。今後、改修したい物件が地元から挙がってきたらいいですね。そして、宿坊やそば店だけでなく、さまざまな選択肢のある地域になってほしいです。
武井:ここ(RITA 戸隠)に泊まって神社を参拝する選択肢があってもいいと思います。宿坊は敷居が高いと感じている層に、戸隠を知ってもらうきっかけになったら嬉しいですね。戸隠は年間150万人が訪れるのに、人口はどんどん減少している。滞在して戸隠の良さを感じてもらえれば、人も増えるんじゃないかと思います。それだけ魅力的な地域なので。
塚原:重伝建の調査で戸隠に関わるまでは「そばがおいしいところ」ぐらいの認識でした。戸隠のことを調べるようになって、標高1,200~1,300mの厳しい環境下で今も戸隠山を中心とした信仰をベースに人が生活している。なおかつ、そばや竹細工といった産業も全て信仰とつながっていて、今も残り、今後も残そうとしていることを知りました。早い話、戸隠が大好きになったんですよね。それを他の人にも知ってもらいたいし、金銭的な事情などで残していけないというのは悲しいので。いろんな人の力を借りながらプロジェクトが進んでいく中で、僕もサポートしていきたいと思っています。
取材構成・文・撮影:松尾 奈々子
<著者プロフィール>
松尾 奈々子(Nanako Matsuo)
1993年生まれ。長野市出身・在住。
記者・観光地広報担当を経て、現在はフリーライターとして活動中。果物店の娘。大好物はイチゴ。顔は大福に似ているといわれる。人の話を聞くことが好き。
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