温故知新の善光寺門前宿泊施設探訪【建物編】
善光寺界隈には、日本古来の建築美を再認識できる旅館から、モダンなホテル風の宿坊まで、さまざまなスタイルの宿泊施設があります。近年は歴史的な建築と非日常感を楽しめるとあって、外国人宿泊客や若い女性客の利用も増加中。貴重な文化財を間近に眺めつつ、建築から善光寺の風情を体感できます。
記載の内容は、原稿執筆時点の情報です。営業状況やサービス内容、料金等は変更となる場合がございます。詳細は、各施設へお問い合わせください。
質素なイメージを覆す“ラグジュアリー宿坊”【最勝院】
山内随一の広さを誇る庭があることで知られる「最勝院」。『忠臣蔵』の赤穂浪士の一人であり、「子葉」の俳号で俳人としても活躍した大高源五が作庭したと伝わる由緒ある庭で、俳諧師の師匠が善光寺門前の桜枝町にいた縁が造園につながったといわれています。岩で滝を表現した枯山水で、春のツツジや夏の深緑、秋の紅葉など四季折々の景色も魅力。明治24(1891)年の善光寺大火で宿坊の建物は焼失したものの、庭と御本尊は難を免れました。善光寺に団体旅行が急増した昭和の時代には多くの宿坊が庭部分を増築して部屋数を増やしましたが、「最勝院」では歴史ある庭を残したことが今につながっています。
一方、建物は2006年に現在の筒井秀寛住職が先代から代替わりするタイミングで新築。次代のニーズを考えてホテルのような快適さを実現しました。山内で初めて、障子や襖での間仕切りではなく完全個室にし、トイレと洗面台も部屋に設置。貴賓室である「最勝」の間は、床柱に高級材である秋田杉の柾目材を使っています。「もみじ」の間は釘を使っていない木組みの船底天井が自慢で、「松」の間の床柱には太い日光杉の無垢材を使用。いずれも個室ながら鍵をあえて設けていないのは、ホテルと同一にならないような配慮から。1日ほぼ1組しか受け入れていないため、鍵がなくてもほかの宿泊客に気を使うことなく自由に過ごすことができます。
アメニティも充実させ、今後は今治タオルの導入も検討中だとか。若者や女性の利用も多く、サービス業の従事者の利用も見られるといいます。その7割がリピーターということからも、高い満足度が伝わってきます。また「宿泊=住職の家に泊まる」との思いから、宿泊客のアテンドは全て住職が対応。自慢の有機栽培のコーヒーを提供しつつ、善光寺の歴史を伝えたり悩み相談に応じたりと、宿泊客との心のふれあいも大切にしています。
〈最勝院〉
長野県長野市元善町493 TEL 026-232-2590。宿泊13,000円~
☞http://www.saisyoin.jp/
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インバウンドの先駆けとなった木造和風建築【中央館 清水屋旅館】
かつては多くの旅篭が軒を連ねた大門町ですが、今では明治9(1876)年創業の「中央館 清水屋旅館」が唯一の純和風旅館となりました。大正時代に中央通りの道路が拡幅された際も中庭や奥座敷を潰して曳家をすることで建物を残し、昭和5(1930)年には3階建ての新館を増築。これにより、明治から昭和までの建築が融合し、まるで異空間に迷い込んでしまうような不思議な木造建築になっています。複雑に入り組んだ階段、かつて中庭だったことから石橋や石の灯籠が残る館内、昔ながらのレトロな洗面台など、どれも長い年月をかけて生み出された趣が魅力。現主人である6代目の清水翔太郎さんは昭和40年代に20代で旅館業を継ぎ、高度成長期に長野市内の旅館が次々とビジネスホテルへと形態を変えるなか、代々受け継いできた建物を大切に、個室や間取りの改築に工夫を重ねて今に至ります。
現在のようにインバウンド需要が注目される以前から、外国人宿泊客が多く訪れていたのも「中央館 清水屋旅館」の特徴です。長野五輪後、世界中で旅のバイブルとして愛読されているガイドブック『ロンリープラネット』に掲載されたことで次々と海外から予約が入るようになりました。以来、辞書なども使って片言の英語を駆使し、夫妻で対応してきました。「旅館をどんな風に見てくれているかわからないけど、外国人の口コミの評判がよいようです。こちらは隠したいと思うような古いところも写真を撮っていて、魅力があるようなのでなかなか直せないですね」と話します。
2006年には『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』にも紹介されてさらに外国人客が増加。彼らにとって観光ハイシーズンとなる冬場は宿泊者が100%外国人になることも少なくないのだとか。最近は子ども連れの家族や若い女性の一人客が増えており、「建物全体が古く、迷路のようなところが喜ばれるようです。特に案内はせず、自由に見学して撮影してもらっていますが、私たちと視点が違うので面白いですね」と清水さんはいいます。調度品も買い足したものはなく、代々受け継がれたもののみで、価値ある品がそこかしこに見られるのも魅力。レトロな風情が幅広い客層を魅了しています。
〈中央館 清水屋旅館〉
長野県長野市大門町49 TEL 026- 232-2580。宿泊2食付9,900円、朝食付7,590円、素泊まり6,600円
☞https://www.chuoukan-shimizuya.com/
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仲見世の延命地蔵尊が目印、善光寺に一番近い宿【地蔵館 松屋旅館】
仲見世唯一の宿泊施設である「地蔵館 松屋旅館」。「地蔵館」の名が示すように、大きな延命地蔵尊が目印です。ここは約300年前、善光寺本堂(如来堂)があった場所。人家が近かったことから本堂が11回も火災に遭い、元禄13(1700)年に12回目の再建で現在の境内北側に建て替えられた際、かつての本堂の場所を記すために、現本堂落成から5年後の正徳2(1712)年に瑠璃壇があった位置に延命地蔵尊が造立されました。如来堂跡地は広い空き地となって次第に商人が集まるように。「地蔵館 松屋旅館」のルーツも、この場所で営んでいた露天商だったといいます。
明治維新により、多くの露天商は常設店舗に。「地蔵館 松屋旅館」の建物も明治初期に建てられました。明治21(1888)年に長野駅が開業すると善光寺に団体の参拝客が増え、仲見世には団体客を受け入れる旅館が増加。「地蔵館 松屋旅館」も大正時代に商店から旅館業へと業態を変更したといいます。同時期の大正7(1918)年に福井県の宮大工・師田庄左衛門によって善光寺仁王門(国宝)が再建。その縁から、最寄りだった「地蔵館 松屋旅館」のファサードも同大工が建築を手がけました。善光寺仁王門と見比べると、屋根のかたちがよく似ていることがわかります。
一番人気の部屋は、地蔵尊の後ろ姿と仲見世が見渡せる「白樺の間」。この宿でしか見られない景色が広がります。多くの宿坊は2人から宿泊を受け付けているのに対し、旅館の場合は1人から泊まれるのも魅力。外国人宿泊客も多いといいます。食事も精進料理ではなく、板前が腕をふるった信州サーモンや信州牛、鮎や馬刺しなど長野らしい食材が並ぶのも特徴。地のものを使った和食会席膳が味わえます。善光寺最寄りの荘厳な風情と旅館特有の自由な雰囲気、両方の楽しみを肌で感じられる旅館です。
〈地蔵館 松屋旅館〉
長野県長野市元善町484 TEL 026-232-2811。宿泊2食付11,000円、朝食付8,250円~
☞https://matsuyaryokan.jp/
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善光寺の大工・小林弥八が手がけた彫刻欄間が見事【長養院】
明治24(1891)年の善光寺大火により多くの院坊は焼失してしまいましたが、早めに復興した宿坊のひとつが「長養院」です。善光寺大勧進の棟梁を務めていた大工の小林弥八が再建したとされ、とくに特徴的なのが小御堂の彫刻欄間。今では貴重な厚みのある杉の一枚板に奥行を感じさせる天女が丁寧に彫り込まれており、柔和で愛嬌のある表情と立体感のある深彫は見応えがあります。毎年、「善光寺灯明まつり」の際は一般公開しているそうで、「お寺にはさまざまな装飾があるので、意味はわからなくても見ていただくと発見があって面白いですよ」と小林超玄住職。なお、善光寺境内の弥栄神社で開催される御祭礼「ながの祇園祭」で曳かれる元善町の屋台も弥八の作とされています。
院内に生けられた美しい生け花は、小林住職の姉の妙子さんが手がけたもの。華道家元池坊で20年以上稽古を続け、今も長野と京都の師匠のもとで勉強をしており、コロナ禍を機に、院内で生け花や暮らしの花の飾り方教室もはじめました。当初はコロナの影響で遊びに行けない近所の子ども向けに月1~2回のペースで行っていたそうですが、最近では要望に応じて大人向けにも対応。参加者のスケジュールに合わせて月1回ほどの頻度で実施しており、生花店の店員も習いに来ているそうです。観光客も、宿坊の宿泊客に限らず希望があれば体験可能。「善光寺灯明まつり」やひなまつりなど、特に行事の花の飾り方を一緒に楽しめ、つくった作品は持ち帰ることもできます。
〈長養院〉
長野県長野市元善町496 TEL 026-232-2203。宿泊12,000円、食事3,000円~
☞ https://www.zenkoji.jp/shukubo/
list/chouyouin/#detail
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日本唯一の銅造釈迦涅槃像を安置する極彩色の御堂【世尊院】
善光寺の院坊のなかでひときわ大きく華やかな御堂を持つ「世尊院」。鎌倉時代末期にかけて制作されたとされる日本で唯一の等身大「銅造釈迦涅槃像」(国重要文化財)が祀られていることから「釈迦堂」と呼ばれています。約300年前まではこの釈迦堂の西側に善光寺本堂(如来堂)があり(現在は「地蔵館 松屋旅館」が立地)、善光寺本尊の阿弥陀如来は来世を守る仏様であるのに対し、釈迦如来は現世を守る仏様といわれることから、かつては東側の「釈迦堂」がこの世、西側の善光寺本堂があの世(西方極楽浄土)を表現していたとされています。つまり、釈迦堂と善光寺本堂は「現当二世安楽」(この世あの世の二世で幸せになれる)の関係があり、善光寺御開帳には善光寺本堂前の回向柱とともに「釈迦堂」前に供養塔が奉納されます。
堂内の毘沙門天は善光寺七福神のひとつで、長野市有形文化財第一号に指定され、阿弥陀如来像も市指定有形文化財です。ちょっと珍しいのが、仏教の守護神で陽炎(かげろう)が神格化したものとされる摩利支天。現・清水光淳住職の4代前の清水淳忍住職が栃木県日光市よりお迎えしたとされ、霊験あらたかな摩利支天自体にも信者がついているそうです。
門を入ってすぐ右手にある小さな井戸は善光寺七池のひとつ「花ヶ池」で、水は「閼伽(あか)の水」と呼ばれ、清めの水として今も善光寺御本尊に供えられているのだとか。御堂自体は明治24(1891)年の大火で焼失しましたが、銅造釈迦涅槃像などの文化財は井戸に放り込まれたことで難を逃れたと伝わっています。
宿坊として宿泊も対応していますが、基本は講(善光寺詣りをする団体)の泊まりが中心だそう。今では少なくなった講中ですが、「世尊院」では今も講が参拝に訪れているそうです。
〈世尊院〉
長野県長野市元善町475 TEL 026-232-4724。宿泊11,000円
☞https://www.zenkoji.jp/shukubo/list/sesonin/
list/sesonin/
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撮影:清水隆史 取材・文:島田浩美
<著者プロフィール>
島田浩美(Hiromi Shimada〉
長野県飯綱町生まれ。信州大学卒業後、2年間の海外放浪生活を経て、長野市の出版社にて編集業とカフェ店長業を兼任。2011年、同僚デザイナーと独立し、同市内に編集兼デザイン事務所および「旅とアート」がテーマの書店「ch.books」をオープン。趣味は山登り、特技はトライアスロン。体力には自信あり。
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